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第九章 「九年後」

小学生のころの恋から、九年ほどが経っていた。


再会は、Instagramのフォロー通知から始まった。


林花(りんか)の名前を見つけたとき、最初に浮かんだのは懐かしさではなく、疑問だった。


なぜ今さら。


中学生のとき、最後に届いたメールとは違う。今回は、会いたいとも、話したいとも書かれていなかった。


ただ、フォローされただけだった。


僕は少し考えてから、DMを送った。


急にフォローしてきて、どうしたの。


久しぶり、より先にそれを訊いた。


林花からは、おすすめに出てきたから気になった、というような返事が来た。


僕を探していたとも、ずっと覚えていたとも言わなかった。


たまたま表示された名前を見て、少し気になった。それだけのことにも見えた。


僕も、それ以上は追及しなかった。


互いに、相手の意図を探っていたのだと思う。


久しぶり、と言うには間が空きすぎていた。


元気だった、と訊くには、知らない時間が長すぎた。


それでも、何往復かするうちに文章は続いた。


InstagramのDMは、昔使っていたメールより返事が速かった。


僕らはLINEを交換した。


会う話が出たあと、僕らは最近の写真を見せ合った。


久しぶりに会うのだから、待ち合わせで分からなかったら困る、という実用的な理由だった。


写真を見て、僕らは互いに、あまり変わっていないと言った。


もちろん、変わっていないはずがなかった。


僕の記憶に一番はっきり残っているのは、ランドセルを背負っていたころの林花だった。


それでも写真の中の林花には、記憶にある顔が残っていた。


目元や、笑ったときの口の形に、小学生のころの輪郭があった。


僕の方にも同じものが残っていたらしい。


だからたぶん、会えば分かる。


そういう結論になった。


最初に会ったのは、林花の家から近い鳥貴族だった。


久しぶりに会う昔の恋人との店として、特別ふさわしい場所ではない。


だからよかったのかもしれない。


駅で待っていた林花は、すぐに分かった。


写真を見ていたから、というだけではなかった。


顔を見た瞬間、知らない大人だと思った。その直後に、林花だと思った。


僕より背は低かった。


当たり前のことなのに、少し変な感じがした。


僕の中に残っていた林花は小学六年生で、僕も同じ高さから彼女を見ていた。


目の前にいる彼女だけが大きくなったのではない。僕も、その記憶を見下ろせるくらいには大きくなっていた。


「あんまり変わってないね」


写真で済ませた確認を、僕らはもう一度した。


変わっていないところを見つけた方が、変わったところを数えるより楽だった。


店に入り、酒を頼んだ。


小学生のころに付き合っていた二人が、九年後に向かい合って酒を飲んでいる。


文章にすると出来すぎているのに、実際には焼き鳥の皿とタッチパネルが間にあって、隣の席の声がうるさかった。


大学のことを話した。


林花は美大で絵を描いていた。


「大学では、何を作ってるの」


林花はスマートフォンを開き、作品の写真を見せた。小さな絵が、壁一面に並んでいた。


「これ、全部描いたの」


「百個」


一枚の大きな絵だと思っていた。林花は、描いて、印刷して、一つずつ切り、パネルに貼って、それをさらに壁へ貼ったのだと説明した。


「絵を描く課題なのに、最後は工作なんだ」


「壁に貼るのが一番大変だった」


写真を拡大すると、食べ物や、名前の分からない生き物や、何かの一部に見えるものが並んでいた。僕が気になったものを指すたび、林花は少し嬉しそうに説明した。


講評という言葉も、そのとき初めて意味を知った。


「先生に見せるだけじゃないの」


「みんなの前でプレゼンして、作品も出す。途中の講評なら、計画とか進み具合を見せて意見をもらう」


「絵が完成したら終わりじゃないんだ」


「全然終わりじゃない」


焼き鳥が冷めているのに、林花は次の写真を開いた。


全部を理解したわけではなかった。それでも、僕の知らない時間の中で林花が身につけたものを、もっと聞いていたいと思った。


僕も自分の大学のことや、最近していることを話した。


会わずにいたあいだのことを、順番に説明しようとはしなかった。


そんなことを始めれば、たぶん朝までかかる。


互いに、今の自分を作っている部分だけを少しずつ渡した。


林花は大人になっていた。


外見だけの話ではなかった。


僕の知らない場所で、僕の知らない人たちと過ごし、僕には分からない技術を身につけていた。


そのことを、寂しいとは思わなかった。


すごいな、と思った。


同時に、話し方の端々には覚えているものがあった。


笑うところや、どうでもいい話を急に膨らませるところ。


初対面に近いのに、完全な初対面ではない。


昔の恋人なのに、今のことはほとんど知らない。


僕らの間にある関係を表す言葉は、たぶんどれも少しずつ間違っていた。


その日は普通に話して、普通に別れた。


劇的なことは起きなかった。


帰り道、僕は林花とまた会いたいと思っていた。


それが昔の続きなのか、今日初めて生まれたものなのかは分からなかった。


そのあとも、僕らは何度か会った。


酒を飲んだり、店を見て回ったりした。


別の日、僕はデッサンとイラストの違いを訊いた。


林花は、イラストは平面的な表現で、デッサンは三次元を二次元へ移すものだと説明した。


「正しく写せばいいわけじゃないの」


「正しい描き方が一個あるわけじゃないけど、手前と真ん中と奥があれば、空間には見える」


「三つに分ければ、僕も美大に入れる?」


「形も合ってればね」


一番難しい条件が、あとから追加された。


入試では、両手を組み合わせて描く学校もあるらしい。


「両手を描いてたら、どっちの手で描くの」


「片方は見て描いて、もう片方は気合い」


美術にも気合いで処理する部分があることを、僕はそこで知った。


その日は、自分の手がうまく描けないという話だけで、ずいぶん時間が過ぎた。


四回目くらいに会った夜、僕は飲みすぎた。


自分では歩けるつもりだったが、林花は僕の家まで送ってくれた。


どんな話をしながら歩いたのか、よく覚えていない。


酔っていたせいだと思う。


ただ、家の近くまで来たところで、林花が急に可愛く見えたことだけは覚えている。


それまで可愛いと思っていなかったわけではない。


けれど、その瞬間だけ、認識がひとつ前へ出た。


昔好きだった女の子でも、久しぶりに会った同級生でもなく、目の前にいる林花が可愛かった。


僕は林花にキスをした。


好きだとは言わなかった。


付き合ってほしいとも言わなかった。


自分が何を始めようとしているのか、たぶん僕自身がいちばん分かっていなかった。


林花はそのあと、トイレを我慢しているからと言って、すぐに帰った。


九年越しの再会に似合う余韻はなかった。


僕は一人で家に入り、水を飲んだ。


酔いが醒めても、キスをした事実は残った。


その意味を訊いてきたのは、林花の方だった。


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