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記憶の彼岸  作者: 小羊メイ
第一章 神は死んだ

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2-2

 ガタガタと食器の音が止まる。学食全体が、一瞬で静まり返った。


『警察の発表によると、被害者は工学部三年生の佐伯(さえき)拓也(たくや)さん。中央図書館の自習室で刃物で刺されて死亡していたところを、朝方、警備員が発見しました。死亡推定時刻は、昨夜十一時半ごろとされています』


 学食内がざわめく。事件の詳細が明らかになった瞬間だった。周りの学生たちが一斉にスマートフォンを取り出し、ニュースを確認し始める。


「マジだ……本当に殺されたんだ」


 背筋が凍る。昨夜体験した記憶が、紛れもない現実の殺人だったという事実に、胃の中が捻じれるような感覚を覚える。


 昨晩見た光景が、現実の出来事として脳裏によみがえってくる。でも――

 その恐怖は次第に別の感情に押し流されていく。考えれば考えるほど、この状況の特異性に気がついていく。


 事件が起きた時間、場所、そして被害者。すべてが昨夜のメモリーと一致している。

 これは、ただの偶然じゃない。

 つまり、俺は殺人事件のメモリーを、誰よりも早く入手していたということになる。そう。警察でさえ、まだ入手できていないメモリーを。

 

 恐怖と興奮が入り混じる中で、次第にVTuber としての計算が頭をもたげてきた。


「……すげぇ! これヤバいだろ、野見山!」


 思わず声が弾む。


「実はさ、昨日すごいメモリーを手に入れたんだ! 何だと思う? 最初は何かのイタズラかと思ったけど、このニュースを見て確信した。この事件の、犯人のメモリーだ。殺人のメモリーなんて、きっと誰も持ってない。これを配信したら一気にトップVTuber の仲間入りだぜ。今朝まで作業してたんだけど――」

「お前、人が死んでるんだぞ」


 野見山の冷たい声が、俺の興奮を遮る。


「え?」


 その声の鋭さに、一瞬戸惑う。


「たった今、人が殺されたって聞いたばかりだろ。その犯人のメモリーを持っているって言ったか? もしかしてお前、その被害者の死の瞬間をリスナーの前で見世物にする気なんじゃないだろうな」

「い、いや……これはただのコンテンツであって……」


 言葉が途切れる。VTuber で富裕層になり上がるための腰掛として経済学部に入った俺と、真面目に勉学に取り組む野見山と。その価値観の違いを、今更ながら痛感していた。


「メモリーが転売サイトで流れるようになってから、人の記憶が商品みたいに扱われるようになった。でも、これは商品なんかじゃない。人の死だぞ。人の死をネタにして、再生数稼ぎか。おまえ、本当にそれでいいのか?」


 その声には明らかな嫌悪感が滲んでいた。野見山の言葉に、急に我に返る。

 興奮のあまり、ついデータのことを口走ってしまった。あのメモリーのことは、配信するまで誰にも話すつもりはなかったはずなのに――


「あ、いや、その……ちょっと用事を思い出した」

 

 俺は居た堪れなくなって席を立った。椅子が軋むような音を立てる。まだカレーライスも半分も食べていなかったが、野見山のまっすぐな瞳から逃げるように、小走りになってその場を離れた。


 学食から出て、キャンパスの外れにある駐輪場まで足早に歩く。

 まだ四月だというのに、アスファルトからの照り返しが強い。自転車のサドルが日差しで熱くなっていて、タオルを敷かないと座れない。


 駐輪場を出るとき、思わず後ろを振り返ってしまった。追いかけてこないことは分かっていたのに、それでも確かめずにはいられなかった。

 野見山はきっと、まだ学食で事件のことを考えているんだろう。屋上で二人で過ごした時間が、急に懐かしく、そして遠くに感じられる。

 俺に見せた野見山の表情を思い出して、胸のどこかが少し痛む。


 ――そうだ。配信の準備を急がないと。


 野見山の瞳に込められていた意味に気づかないふりをして自転車に跨った。それでも、自転車を漕ぎながら野見山の言葉が頭をよぎる。


『人の死を見世物にするのか?』

『記憶が商品みたいに扱われるようになった』


 いや、違う。これは立派なコンテンツだ。ニュースだってもっと生々しい映像を流してるじゃないか。毎日のように殺人事件の映像が流れているのと、何が違うんだ。これも、ある意味ではドキュメンタリーなんだ。それを少しエンタメに昇華しただけだ。


 帰り道の間中、次々と湧き上がってくる罪悪感を必死で振り払った。これはVTuber としての仕事なんだ。リスナーが求めているものを提供しているだけなんだ、と。




 十分ほどで六畳一間のアパートに戻った。

 汗を拭う間も惜しんで、すぐにパソコンの電源を入れる。昨夜から作りかけの編集画面が浮かび上がった。気分転換にモンスターエナジーを一本開ける。昨日からもう三本目だ。


 画面には中央図書館の暗い廊下が映し出されている。メモリーから抽出した映像は、一人称視点で撮影したような独特の浮遊感がある。

 タイトルを改めて見る。昨夜考えていた『殺人鬼のメモリーを入手した⁉ 衝撃の映像』では、なんだか生ぬるく感じた。


 これが本物の殺人メモリーだって分かった今、もっとインパクトのあるタイトルを付けたい。もっと際どく。もっと刺激的に。


『【衝撃】実在する殺人鬼のメモリー⁉ 深夜の図書館で起きた恐怖の事件!』


 リスナーの興味を惹くには、これくらいの過激さが必要だ。実際に人が死んでいるんだから、それくらいのインパクトがあって当然だろう。


 編集しながら、現実から目を背けるように、過激な演出を重ねていく。

 サムネイルには中央図書館の不気味な暗がりを背景に、これでもかというほど赤いエフェクトを入れる。フォントは視認性の高いゴシック系で、文字には白と赤のグラデーションを施す。そうやって画面を派手にしていけば、あの生々しい記憶も、ただのコンテンツになるはずだ。


 次は本編の編集だ。やはり、殺害シーンそのものはさすがにマズい。規約違反で垢BANされかねない。その直前、被害者が振り返るシーンまでにしよう。代わりに、中央図書館に忍び込むシーンや、被害者に近づくまでの緊張感を存分に盛り込む。


 BGMはホラー系の効果音を入れて、不気味さを演出する。足音のシーンには残響を加えて、緊張感を高める。被害者に近づくシーンでは、心臓の鼓動のような低音を重ねよう。


「完璧だ……これは間違いなく伸びる」


 編集画面を見つめながら、思わず独り言が漏れた。登録者数のグラフが頭の中で右肩上がりに伸びていく。チャンネル登録者数七千人、いや、もしかしたら一万人も夢じゃない。


 でも、なぜだか冷や汗が止まらない。

 画面の中で、被害者が振り返る瞬間の表情が、妙にリアルに見えた。

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