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作業を終えたのは、夜の九時を過ぎていた。
パソコンの画面を見続けすぎて、目の奥が痛い。机の上には空のモンスターエナジーの缶が四本も転がっている。
配信開始予定の十一時半まで、まだ時間があった。
普段の配信は夜十時からだ。メモリーの転売が完全な違法とは言えないまでも、グレーゾーンだということは分かっている。だから、未成年のリスナーが少なくなりつつも、まだ十分に人のいる時間帯を選んでいた。
でも今回は、あえてもう一時間半遅らせて十一時半に設定した。
事件が起きたのと同じ時間だ。昨夜の記憶と同じ時刻に配信することで、より不気味な雰囲気を演出できる。事件からちょうど二十四時間後の深夜。これならリスナーも背筋が凍るはずだ。
配信用の原稿に目を通す。机の上のノートには、殴り書きのメモが乱雑に並んでいた。
『みなさん、こんばんは! メモリーハンターのイサキです!』
『今日は、ガチでヤバいメモリーを入手してしまいました』
『まさか、こんなメモリーが存在するなんて、俺も信じられません』
『心臓の弱い方は閲覧注意です』
いつもの軽い口調で話せばいい。面白おかしく。そうすれば、野見山のような反応を示すリスナーも減るはずだ。事件のことなんて、いつもの配信の一つとして流してしまえばいい。
十一時を過ぎた頃、配信の準備を始める。
ヘッドセットを装着し、配信ソフトを立ち上げる。画面の中で、イケメンアバターが俺の動きに合わせて首を傾げる。この仮面の向こう側なら、どんな内容だって笑い話にできる。リアルの自分なんて、誰も見ていないのだから。
テストで音声を確認する。いつもの声じゃないみたいだ。何度か咳払いをして、声を作る。緊張のせいか、喉が妙に渇いている。
時計が十一時半を指す。
配信開始のボタンに指をかけたとき、スマートフォンが震えた。画面を見ると、遥からのメッセージだった。
『智也君、大学で殺人事件があったって本当?』
『すごく怖くて、夜も眠れない… …』
『今日は配信、お休みなのかな?』
『電話してもいい? ちょっと話を聞いて欲しくて』
既読をつけずに画面を消す。
今は、遥に構っている暇はない。目の前には、もっと大きなチャンスが転がっているんだ。
深く息を吸って、配信開始のボタンを押した。画面の向こう側から、次々とコメントが流れ始める。
『イサキさん、今日も楽しみ!』
『珍しい深夜配信だね』
『何かあったの? 緊急配信?』
よし、来た。この反応なら、絶対に伸びる。
喉の渇きを潤すために、机の上の最後のモンスターエナジーに手を伸ばす。プルタブを開ける音が、妙に大きく響いた。甘ったるい味が、特別苦く感じた。
「はい、どーも! メモリーハンターのイサキです!」
いつもの調子で声を出した。画面の中のイケメンアバターが手を振る。
同時接続数は三十人を超え、さらに増えていく。昼間にXで『今夜、ヤバいメモリーを公開します』と匂わせておいた効果か、普段の倍以上のペースだ。この不規則な深夜配信に何かを察して、続々と集まってきているんだろう。
『昼のツイート見て待ってた!』
『これは期待していいのか⁉』
コメントが次々と流れていく。
いつもの常連の名前も見える。漫画家の卵らしいアズキ、グルメレビューを投稿しているマッスル、毎回スパチャをくれるマイティマウス。安心できる顔ぶれだ。
「今日は、ガチでヤバいメモリーを入手してしまいました。まさか、こんなメモリーが存在するなんて、俺も信じられません」
原稿通りに読み上げながら、画面右のチャット欄に目を走らせる。同時接続が五十人を突破した。
『ヤバいって、どんなデータなの?』
『また面白いの見つけてきたね!』
『深夜配信ってことは、ヤバめ?』
『転売サイトでレアもの見つけたの?』
コメントの数が、みるみる増えていく。反応は上々だ。心臓が高鳴る。
「あ、そうそう。今日は珍しく動画視聴になります。いつもはリアルタイムでメモリーを体験しながら配信するんですけど… …今回はちょっと、その、生々しいシーンもあるので。不適切な部分はカットさせていただきました」
『珍しい!』
『編集済みってこと?』
『ネタ確定じゃんwww』
『いつもの方が面白いのに』
「リスナーの皆さんには、心臓の弱い方は閲覧注意です。これから見ていただく映像は、かなりリアルな――」
そのとき、チャット欄に見慣れないユーザー名のコメントが流れてきた。
『福南大学の事件と関係ある?』
一瞬、言葉に詰まる。
喉が乾く。けれど、すぐに作り笑いを浮かべる。アバターが自然な表情でそれに追従する。このために金をかけただけのことはある。
「はい、実は今回のメモリーは、深夜の図書館で――」
チャット欄が一気に動き出した。
『え? まさかあの事件?』
『嘘乙www』
『どうせフェイクでしょ』
『イサキさんまたネタ配信?』
『見に来た人たち釣られすぎwww』
『ソース:信頼してください』
『まーた再現VTRか?』
『さすがに事件のデータはないでしょ』
『本物だったらヤバすぎるけど』
『警察に言ったほうがいいんじゃ… …』
『これマジなの?』
期待三割、否定二割、残り五割が疑いってところか。だが、同時接続数は一気に右肩上がりだ。もう七十人を超えている。
普段の倍以上の数字に、胸が躍る。半信半疑でいるリスナーも、これから見せる動画を見れば、態度が変わるはずだ。
「皆さんお待ちかねのようですし、早速、動画を再生させましょう」
マウスカーソルを動画プレイヤーに移動させる。手が少し震えている。モニターの青白い光が、汗ばんだ手のひらを照らしていた。




