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第8話 悪役貴族、安く使える才女の噂を拾う

領都の商人酒場は、昼前だというのに随分と騒がしかった。


酒を飲みに来ているというより、商売の話をしに来ている連中の方が多いらしい。麦を扱う商人が帳面を広げ、その隣では塩の仲買が荷馬車の持ち主と何やら揉めている。奥には役人らしき男までいて、酒場というより、領都中の金と噂が集まる場所に見えた。


俺は壁際の空いている卓へ向かい、葡萄水を頼んだ。昨日から屋敷に積まれている紙の山を思い出すだけで頭が痛い。あれを全部自分で読んで、村ごとの事情を調べて、返事まで書くなんて冗談じゃない。俺がやるより、最初から出来る奴を一人置いた方が早い。


――問題は、その出来る奴を雇う金だ。


まともな書記や役人経験者は高い。腕のいい商家の帳簿係なんて、今より悪い条件でわざわざラズグリム家へ来る理由もない。こっちは先代からの悪評まで残っているんだから、普通に探したところで余計に金がかかるだけだろう。


だったら、腕はあるのに今は買い手がつかない奴を探せばいい。


俺が酒場へ入った時に何人かが黙ったのも、そう考えれば悪いことばかりじゃない。父親が死んだ途端に古い使用人を全員追い出した若当主。おまけにこの顔だ。こそこそ見ている連中の様子からして、噂だけは順調に広がっているらしい。


「旦那様、本当にここでお探しになるのですか?」


隣に立っていたミレーヌが、周囲を気にしながら小声で尋ねてきた。


「その前に座れ。お前だけ立ってる方が目立つ」


「ですが……」


「屋敷でも働いて、ここでも立ってたら無駄に疲れるだろ……いいから座ってろ」


ミレーヌは少し迷ってから、向かいの椅子へ腰を下ろした。まだこういう時に遠慮する癖は抜けていないが、以前みたいに何度も断ることはなくなった。


「紹介屋を使わないのですか?」


「二度続けて頼めば、こっちが人手に困ってるって教えるようなもんだ。次に吹っかけられる」


「……実際、困っておりますよね?」


「困ってるのと、それを相手に教えるのは別だ」


ミレーヌは少し考え、納得したように頷いた。最近は食料庫の帳面も見せているせいか、金の話をしても以前ほど戸惑わなくなってきた。いい傾向だ。俺が気づかないところでまで金を使われては困る。


葡萄水を飲みながらしばらく周囲の会話を聞いていると、奥の卓から聞き覚えのない家名が飛んできた。


「エルフォード家、また支払いが遅れたらしいぞ?前はあんな家じゃなかったんだがな……」


「例の娘を追い出してからだろ? クラリスとかいう」


「横領したって話の?」


「本当かねえ?先代が生きてた頃から帳簿を見てた娘だぞ。あの家の倉も畑も、あいつが数字を見始めてから随分ましになったって聞いたが」


「だが勘当されたのは本当だ。今は北通りの古宿だとさ……いくら腕があっても、横領の噂がついた女を雇いたがる貴族はいないだろうなー」


俺は持っていた杯を置いた。追い出される前は家の金回りが良かったか……そして追い出した途端に支払いが乱れ、本人は横領の疑いをかけられている。


うーん……妙だな?


本当に金を抜いていたのなら、追い出した後の方が家の金は残りそうなものだ。それが逆なら、一度くらい本人を見ておく価値はある。


しかも今は勘当されて、古宿暮らし。


条件までいいではないか。


「ミレーヌ。北通りの古宿って分かるか?」


「はい。ですが……あまり良い場所ではありません。身寄りのない方や、お金に困った方が泊まるような宿です」


「なら行くぞ」


「もう決めたのですか?」


「会うだけなら金はかからんだろ?使えなければ帰ればいい」


ミレーヌは何とも言えない顔をしたものの、それ以上止めてはこなかった。


◇


北通りまで来ると、同じ領都でも少し空気が変わった。


道幅は狭くなり、建物も古い。目的の宿はその中でも分かりやすくくたびれていて、看板まで少し傾いている。中へ入ると酒と湿った木の匂いが混ざっていた。


帳場では女将が豆を数えていた。クラリス・エルフォードの名前を出すと、露骨に嫌そうな顔をされる。


「あの娘に何の用だい?」


「仕事を任せられるか見に来た」


「やめときな……顔は綺麗だけど面倒だよ?金もないくせに勘定だけは細かくてね。こっちがちょっと間違えただけですぐ気づく」


「間違えた?」


「……ちょっとだよ」


女将の目が泳いだ。


俺はミレーヌを見る。ミレーヌも何も言わずにこちらを見返した。


少なくとも勘定を見る目はありそうだな。


案内された部屋は二階の一番奥だった。扉の板は少し反り、廊下の床も歩くたびに鳴る。女将が戻ったあと、扉の向こうへ耳を澄ませると、かすかに紙を動かす音が聞こえた。


俺が二度叩く。少し間があってから、女の声が返ってきた。


「……誰?」


「ヴェイン・ラズグリムというものだ。少し話がある」


中の音が止まった。


やがて扉が細く開き、金髪の女が顔を出す。髪は長く、後ろで一つにまとめられていた。着ている服はかなり古くなっているし、青い瞳の下には疲れも見える。それでも背筋は真っすぐで、こちらを見上げる目にも弱々しさはなかった。


顔立ちもかなり整っている。


……いいじゃないか。あとは本当に頭が使えれば文句なしだ。


「ラズグリム……?」


クラリスは俺の顔をしばらく見たあと、すぐに思い当たったらしい。


「ああ……父親が亡くなって、屋敷の使用人をまとめて追い出したっていう若当主。噂通り、ずいぶん悪そうな顔してるのね?」


初対面から遠慮がないな。


「顔は関係ないだろ」


「少しくらい関係あるでしょ。それで? そんな人が、横領したって噂されてる私に何の用?」


「人を探してる。領地の帳簿や、村から来る書類を見られる奴だ」


クラリスの表情から少しだけ軽さが消えた。


「それを私に?」


「お前が数字に強いって聞いてな……それに今は家も仕事もない。雇うなら安く済みそうだ」


一瞬の沈黙のあと、クラリスが乾いた笑いを漏らした。


「……あんた、もう少し言い方ってものを覚えた方がいいわよ?初対面の女に『今なら安そうだから来た』って、普通は言わないでしょう?」


「嘘をついても給金が増えるわけじゃないからな……俺は高い補佐を雇う金がない。その上、お前は今なら安い。だが、本当に腕があるなら俺の仕事が減る。お互い都合がいいだろ」


「本当に自分のことしか考えてないのね」


「俺が楽をするために人を雇うんだぞ?」


クラリスは呆れた顔をしたが、扉を閉めようとはしなかった。むしろ少しだけこちらへ身体を向ける。


「……条件は?」


「細かい話は屋敷で書面を見せる。ここで長々話して、あとから言った言わないで揉めるのは嫌だからな」


その瞬間、クラリスの目が僅かに動いた。


「……書面?」


「ああ……給金も仕事も、俺が何を任せるかも書く。読んで嫌なら断ればいい」


「ずいぶん用心深いのね」


「お前が本当に横領した女だったら困るからな」


「……そこまで正直だと腹が立つわ」


怒っている割には、声は少しだけ柔らかくなった。


その時、クラリスの視線が俺の後ろにいるミレーヌへ向いた。


「そっちの人も、あなたの使用人?」


「はい……ミレーヌと申します」


「あなたもこの人に安く雇われたの?」


質問がひどいな……。


ミレーヌは少し困ったように俺を見たあと、それでも正直に頷いた。


「給金は、旦那様がお安いと思われる額です……ただ、食事と部屋をいただいておりますし、仕事中に怪我をした場合の薬代も屋敷から出していただいています」


クラリスが固まった。


「……それで安く雇ってるつもりなの、この人?」


「はい……おそらくは」


「おい」


ミレーヌまで何を言ってるんだ。


けれどクラリスは俺たちを見比べたあと、初めて少しだけ笑った。


「本当に変な屋敷みたいね……?」


「変なのは旦那様だけではありません」


「なんだって?ミレーヌ?」


「……失礼しました」


絶対に失礼だと思ってないだろ!ただ、このやり取りのおかげか、クラリスの警戒は最初より少し薄くなったように見えた。


「先に言っておくが、高い給金は出せないぞ?飯と部屋は用意するから安心しろ。正式に雇うかどうかは、お前の仕事を見てから決める。まず三日くらい帳簿と書類を見てもらうつもりだ」


「私が横領してたらどうするの?」


「その時は雇わない」


「してないわよ!」


初めて、クラリスの声が強くなった。


俺は少しだけ彼女の顔を見る。


「なら、そうだと分かるものを見せろ」


「……信じるとは言わないのね」


「今会ったばかりなのに信じろって方が無茶だろ。お前も俺を信用してないじゃないか」


クラリスは何も言わなかった。


どうやら図星らしい。


少しすると肩から力を抜き、部屋の中へ戻った。断られたかと思ったが、すぐに小さな鞄を持って出てくる。替えの服らしきものと羽根筆、インク壺。その上には何枚か紙が重ねられていた。


「その書類は?」


「私が横領してないって証明するために、自分でまとめてたもの……誰もまともに見てくれなかったけどね」


「ならそれも持ってこい。俺は数字を見てもよく分からん」


「……よくそれで領主やってるわね」


「だからお前を探しに来たんだよ」


クラリスは呆れたように息を吐いたが、紙を鞄へ入れた。


◇


一階へ降りると、クラリスは帰る前に女将から宿代の明細を受け取った。


そして、すぐに足を止めた。


「女将さん。これ、湯代が二回入ってる。それと昨日は食事を取ってないから、この分も違うわよ」


「細かいねえ! それくらい――」


「払ってないものを払うのは、細かいとは言わないでしょう?」


女将が言い返そうとしたところで、俺と目が合った。俺は何も言っていない……ただ見ていただけだ。なぜか女将はすぐに明細を書き直した。


……この顔、こういう時は便利だな。


宿を出ると、クラリスは返ってきた硬貨を小さな財布へしまった。俺はその手元を見てから歩き出す。


「宿の勘定まで見るのか?」


「自分のお金なんだから当たり前でしょ!今の私には一枚だって無駄にできないの」


「いいな……!その調子でうちの金も見てくれ」


「まだ働くって決めてないわよ?」


「屋敷まで来る奴が言うな」


クラリスは何か言い返しかけたが、結局小さく笑った。


しばらく歩いたところで、今度は向こうから口を開く。


「本当に私を連れて帰るのね……横領の噂がある女を屋敷へ入れたら、あなたまで何か言われるかもしれないわよ?」


「もう十分言われてる……今さら一つ増えたところで変わらん」


「……開き直ってるの?」


「有効に使ってると言ってくれ」


クラリスはまた呆れたような顔をした。


俺は別にこの女を救いに来たわけじゃない……有能なら使いたいだけだ。だが今のところ、酒場で聞いた噂より本人を見た方がずっとましに思える。宿代の数枚まで見逃さないなら、屋敷に積まれたあの紙の山にも少しは効くだろう。


あとは実際に仕事をさせれば分かる。俺は屋敷へ続く道を歩きながら、隣の金髪をちらりと見た。


……頼むから、使える奴であってくれよ。


俺の昼寝時間がかかってるんだからな。

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