第11話 悪役貴族、三日だけ才女を試す
試用二日目の朝、執務室へ入ると、クラリスはもう仕事を始めていた。
昨日用意した机には帳簿が二冊開かれ、その横には村ごとに束ね直された訴えが並んでいる。俺が座るより早く羽根筆を動かしているあたり、仕事に関しては随分と真面目らしい。
「おお……早いな?」
「昨日あれだけ紙を見せられたら、早く来た方がいいと思うでしょ?放っておいたら、また増えそうだし……」
「なんだ?よく分かってるじゃないか」
「褒めてないわよ……」
クラリスは顔も上げずに返した。
昨日の時点で木箱一つはほとんど空になった。今日は残った帳簿と、すぐには処理できなかったものを見るらしい。俺としては仕事のやり方まで口を出すつもりはない。ちゃんと減るなら好きにやればいい。
しばらくすると、クラリスが一枚の紙を抜き出した。
「ヴェイン……これ、止めた方がいいわ」
「どれだ?」
「罰銀よ。南の村が麦を予定の日までに運ばなかったから取られてるけど、その時期に橋が壊れてる……荷車が通れなかったのに、怠けたことにされてるわ」
俺は渡された紙に目を通した。
橋の修繕願いが出た日と、麦が遅れた日も近い。どう考えても同じ話だ。
「これ、誰が罰銀を取ったんだ?」
「先代の時の役人……もう屋敷にはいないみたいだけど、罰銀そのものはまだ帳簿に残ってる。払えなかった分まで翌年に回されてるわね」
「それって消せるのか?」
「あなたが認めれば。ただ、村側の記録も一度見た方がいい……こっちだけで決めると、今度は逆に村が嘘をついてても分からないから」
「なら確認させろ……取る理由がなかったなら消す」
クラリスが少しだけこちらを見る。
「簡単に言うのね?」
「払えない金を帳簿に残して何になるんだ。毎年『まだ払ってません』って紙が増えるだけだろ……」
それに、罰銀を絞ったせいで村が潰れでもしたらもっと面倒だ。税を払う奴そのものが減る……そんなものを抱えて喜ぶ趣味はない。
クラリスは俺の顔を見ていたが、何も言わずに紙の端へ印をつけた。
その後も似たものがいくつか出てきた。水路が詰まって収穫が落ちた村へ、前年と同じ量の税を求めたもの。病人が続いて人手が足りなくなった村から出ている延期願い。全部を許せばいいわけではないが、理由も見ずに取り立てれば余計に痩せるところもあるらしい。
俺にはどの村がどこまで苦しいのかまでは分からない。
だがクラリスは帳簿を見ながら、その前後の年まで拾っていた。
「ここは去年だけじゃない……三年前から収穫が少しずつ落ちてる」
「税をごまかしてるんじゃないのか?」
「その可能性もあるわ。でも、水路の修繕願いも三年前から出てるからこっちを先に見た方がいいと思う」
「じゃあ誰か見に行かせろ」
「……誰をいかせるの?」
言われて気づいた。人がまともにいない……俺とクラリス、それから屋敷を回しているミレーヌ。まともに使える人間がほとんどいないのだ。
「……増やすか」
「何を?」
「人だよ……また探さないとな」
「先にこの三日を終わらせてからにして!これ以上増やされたら、私まで何をしてるのか分からなくなるから」
「もう俺の屋敷の心配してるじゃないか?」
「してないわよ!私の机に仕事が増えるのが嫌なだけ」
なるほど……それなら俺と同じだ。
◇
昼を少し過ぎても、クラリスはまだ席を立たなかった。書類を一枚読み終えては帳簿を開き、また別の束へ移している。邪魔をすると怒られそうなので放っておいたが、ミレーヌはそうはいかなかったらしい。
俺の分の軽い昼食を持ってきたついでに、もう一つ皿をクラリスの机へ置いた。
「クラリス様、先にこちらを」
「あとで食べるわ……今ちょうど数字が合いそうなの」
「でも……冷めてしまいます」
「少しくらいなら――」
「いいから、ちゃんと食べてからやれ」
俺が横から言うと、クラリスが面倒そうに顔を上げた。
「二人して何なのよ……?」
「腹を空かせて計算を間違えられたら困る」
「またそれ?」
「他に理由がいるか?」
クラリスはしばらく俺とミレーヌを交互に見たあと、諦めたように羽根筆を置いた。
「……分かったわよ。食べればいいんでしょ」
「最初からそうしろ」
「偉そうに……あんたはさっきからほとんど座ってるだけじゃない」
「俺は当主だぞ?えらいに決まってる。それに、俺はお前がちゃんと働いてるか見てるんだ」
「それを座って茶を飲む理由にしないで」
口は悪いが、昨日より言葉には棘は少なくなっていた。
ミレーヌが置いた皿にも、もう遠慮して手をつけないということはない。二人で何か長く話すわけでもないのに、気づけばクラリスの机に茶が置かれ、空になればいつの間にか片づけられている。
少なくとも、この屋敷で仕事をすること自体には慣れ始めているらしい。
◇
三日目の午後、クラリスが三枚の羊皮紙を俺の机へ持ってきた。
「これで一通り。三日で全部見るのは無理だったけど、急いだ方がいいものは分けたわ」
一枚目は、すぐ返事を出すもの。
二枚目は、徴収を一度止めて調べるもの。
三枚目は、金を出す必要がありそうなものだった。
「種麦?」
「春に撒く分が足りない村があるの。このままだと畑の一部を使えなくなる。貸して、収穫後に返してもらう方がいいと思う」
俺は下書きを読んで、途中で指を止めた。
「なぁこれ……返すの、早くないか?」
「収穫したら返せるでしょう?」
「全部取ったら冬に何食うんだ?」
クラリスが黙る。
「貸した分を早く戻したいのは分かるが、村が冬を越せなくなったら来年また面倒だぞ……少し残して、次の収穫まで分けて返させろ」
「でも、それだと返し終わるまで時間がかかるわよ」
「死なれるよりいいだろ。人が減ったら税も減るし、また別の紙が飛んでくるだけだ」
「……最後はやっぱりそこなのね」
「当たり前だ」
クラリスは少し考えたあと、羽根筆を取りに戻った。
「分かったわ。返す量を分ける……村の蓄えも確認してから決めた方がよさそうね」
「そうしてくれ」
「……三日前だったら、あなたがそんなところまで見るとは思わなかったわ」
「三日前の俺を何だと思ってたんだ……?」
「悪人顔の怠け者」
「今は?」
クラリスは少しだけ笑った。
「意外と使える怠け者」
褒められている気がしない。
まあいいか……使えると思われているなら、そのうち仕事ももっと任せられるだろう。書き直した紙を確認し終えたところで、クラリスが自分の机へ戻らず、そのまま俺の前に立った。
「ヴェイン」
「なんだ?」
「……三日の試し、今日で終わりよね?」
そういえばそうだった……紙が減るのが気持ちよすぎて忘れかけていた。
「そうだな……で、どうする?」
「……雇われてあげる」
俺は思わず椅子へ深く座り直した。
よし……最高だ。
これでまた明日から俺があの木箱を見る必要がなくなる。
「そうか!ならこれだ」
引き出しから正式な雇用書面を出して渡すと、クラリスは露骨に嫌そうな顔をした。
「もう用意してたの?」
「昨日用意しておいた」
「私が断ったらどうするつもりだったの?」
「紙が無駄になるだけだろうな」
「……私より紙の心配?」
「そうだぞ?紙も金がかかるからな」
「……ほんとに腹立つわね」
そう言いながらも、クラリスは書面を受け取った。
試用中に見せたものと大きな内容は変わらない。給金、部屋、食事、任せる仕事、帳簿を見る権限。金を動かす場合は記録を残し、大きな支払いは俺の確認を取る。
クラリスは最初から最後まで目を通したあと、ある一行を指で叩いた。
「ここ、直した方がいいわ」
「どこだ?」
「仕事に必要な支出は屋敷が負担する、だけじゃ広すぎる……これだと私が好きに金を使っても、仕事に必要だったって言えてしまうわよ?」
「それをお前が自分で言うのか?」
「言うわよ!あとで私のせいにされたくないもの」
それもそうだ。俺は羽根筆を渡した。
「じゃあどうする?」
「一定以上はあなたの印が必要って入れる。それ以下でも何に使ったかは残す。これなら私も勝手に使えないし、あなたも後から知らないとは言えない」
「それでいい……書いてくれ」
クラリスは少し驚いたように俺を見た。
「……すぐ直すのね」
「穴があるって分かったのに、そのまま使う方が馬鹿だろ?」
「普通の貴族なら、自分が作った書面に口を出されたって怒るわよ」
「怒ったら穴が塞がるのか?」
「塞がらないわね」
「分かってるなら、さっさと書け」
「はいはい」
クラリスが一文を書き足し、俺が確認する。
ふむ……問題ないな。先に俺が印を押すと、クラリスはその跡を一度だけ見てから羽根筆を持った。名前を書く直前、ほんの少しだけ手が止まる。
だが、それだけだった。すぐに羊皮紙の下へ細い字が並ぶ。
クラリス・エルフォード。
「これでいいかしら?」
「ああ。今日から正式に俺の補佐官だな。クラリス頼むぞ!」
「……ええ」
「きびきび働けよ?俺が楽をするためにな」
「最後までそれなのね……」
クラリスは呆れながらも、今度は笑っていた。書面を片づけようとすると、彼女はもう自分の机へ戻り、三日間で残った紙束を眺め始める。
「とりあえず、一か月あれば領地の金と物の流れはかなり見えると思う……古い帳簿も残ってるし、村ごとの差も調べたいわね」
「待て……一か月もかかるのか?」
クラリスが振り返った。
「何年分溜め込んだと思ってるのよ! 三日で全部終わるわけないでしょう!」
「三日で結構減ったから、いけると思ったんだが……」
「無理に決まってるでしょ!」
どうやら、こいつを雇ってもすぐに俺の仕事がなくなるわけではないらしい。
だがまあ――昨日までよりは、ずっとましだ。それに一か月先の仕事まで考えているなら、少なくとも三日で出ていくつもりはもうないのだろう。
……これでまた一人、俺の代わりに働く奴が増えたな!




