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第28話 根城の位置

 インターフォンが鳴った。立ちかけた俺より先に、凛が玄関に飛んでいった。スリッパが床を叩く音。ドアを開ける。晴輝がいた。


「よう。朝から呼び出しとか、お前も偉くなったな」


 軽い声。いつもと同じだ。土御門家の次期当主候補は紺のコートを着て、片手にコンビニの袋を下げている。中身はコーヒーだろう。袋の形で分かる。


 晴輝が一歩踏み込んで、止まった。


 視線が部屋の奥に向く。パイプ椅子に座っている朱里に止まる。目だけが動いた。笑顔は崩さない。


「——鳳凰院の人間が来ているとは聞いてなかったな」


「言ってなかった」


「まあ、いいけど」


 どこか楽しそうだった。声の奥に別の温度がある。面白がっているのか、警戒しているのか。おそらく両方だ。


 朱里が立ち上がった。背筋が真っ直ぐなまま、晴輝に向き直る。椅子が少し鳴った。


「土御門晴輝さんですね」


「鳳凰院朱里さん。噂は聞いてますよ」


 晴輝が笑っている。目が笑っていない。朱里も表情を変えない。御三家同士の挨拶だ。互いの名前を知っていて、初めて顔を合わせている。三秒で終わった。それで十分だった。


 晴輝の視線が凛に向く。軽く顎を引いた。


「日向さん、また」


「お久しぶりです」


 凛が小さく頭を下げた。朱里がその二人を一秒だけ見た。


「で、何の話だ」


 晴輝がパイプ椅子を引いて座る。コンビニの袋から冷コーヒーを三本出して机に置いた。残りは自分で持っている。


「余計な話は後にしろ。まず事実から」


 四人が同じ部屋にいた。事務所の蛍光灯が全員の顔を同じ白さで照らしている。窓の外、五月の朝日が斜めに差し込んでいる。


◇◇◇


 晴輝が朱里を見た。コーヒーのプルタブを引きながら、声だけ向ける。


「鳳凰院は今回フリーに何を期待しているんですか?」


「情報の共有と、実働部分の補完」


「情報の共有——つまり鳳凰院が持っている情報を、ここに出すと?」


「条件によっては」


 晴輝が少し笑った。缶を一口飲んで、机に戻す。


「お互い様ですね」


 駆け引きだ。二人とも御三家の看板を背負っている。情報の出し方で格付けが決まる。そういう世界の人間だった。


 俺は依頼書の裏を一枚引き抜いた。白紙面を上にして、テーブルに置く。ボールペンを取る。


「余計な話は後にしろ。まず事実から」


 二人が同時にこっちを見た。どちらも表情を変えない。


 凛がノートを開いた。ペンを手に取る。会議が始まる。


 俺は白紙に書く。字は汚い。自覚はある。


「影鬼の根城の推定位置。五月十日時点」


 凛のペンが走る。晴輝は何も書いていない。全部覚えている顔だった。目が細い。焦点が朱里の口元に合っている。


 朱里が口を開いた。声のトーンは昨夜と同じだ。冷たい丁寧語。無駄がない。


「昨夜の後、当主に確認しました」


「箱根任務よりも以前から——鳳凰院利用派が影鬼に渡していた情報は三点です。地下の構造図、退魔師のパトロールルート、霊術師の配置」


 凛のペンが走る。晴輝は何も書いていない。全部覚えている顔だった。目が細い。焦点が朱里の口元に合っている。


「引き換えに、影鬼から受け取ったのは——禍古神の封印に関する断片的な記述です」


「封印の記述」


「利用派はそれを使って禍古神の力を制御しようとしていました」


 俺はボールペンを紙に置いた。音が静かだった。


「影鬼は鳳凰院に情報を売って、それで地下に潜り続けてきた」


「正確には、利用派が情報を買い、影鬼が見返りを得ていた。鳳凰院全体の行動ではありません」


「全体ではない——でも、止められなかった」


「……はい」


 朱里の視線が一瞬だけ落ちた。指先が膝の上で揃っている。


 凛が顔を上げた。ペン先が止まっている。


「七年前の箱根で、何があった」


 自分の声が出た。白紙を指で叩く。場所が分かれば動ける。それだけだ。


 朱里が間を置いた。三秒。この部屋に来てから一番長い沈黙だった。朱里の手が膝の上で組み直されるのが見えた。


「……箱根で、鳳凰院の術者が事故を起こしました」


 声のトーンが変わらない。ただ、速度が落ちた。言葉を選んでいる。一語ずつ確かめるように出している。


「禍古神の封印を補強するはずだった霊術が、誤った手順で展開されました。意図した結果ではありません。ただ——」


「封印が一部弱まった。それ以降、影鬼は地下に実体を持てるようになっています」


 手が止まった。ボールペンを握ったまま、上げも下ろしもしない。指の間で軸が少しずれた。


 晴輝が静かに言った。朱里に向けている。


「知っていたか」


「私は最近知りました。家の中でも上層部だけが知っていた情報です」


 三者が黙った。事務所の外から車の走る音が一台分聞こえて、遠ざかった。凛のペンが紙の上で動かない。十秒が過ぎた。


「——御三家三家が情報封鎖に合意した理由は——鳳凰院だけの問題ではないからですね」


 凛の声が静かだった。ゆっくり、言葉を選んで言った。誰かの感情も代弁していない。事実を確認しただけだった。


 誰も口を開かなかった。事務所の外からバイクのエンジン音が聞こえて、遠ざかっていく。


「——それが隠蔽されていた理由、ですね」


 凛の声が静かだった。


 誰も口を開かなかった。事務所の外から車が一台通り過ぎる音がして、消えた。


「——で、根城はどこだ」


 自分の声が出た。白紙を指で叩く。場所が分かれば動ける。それだけだ。


 朱里がジャケットの内ポケットから紙を出した。手書きの図。索敵霊術の記録だ。影鬼の気配が最も強い方向が矢印で示されている。複数の矢印が一点に向かって収束している。


 凛がノートを広げた。出現地点データ。赤ペンの印がびっしり並んでいる。出現位置と時刻。三週間分の記録だった。


「南西地下——この区域ですね」


 晴輝が身を乗り出した。手袋の指先で地図の一角を示す。


「禍古神の気配の強さはこの方向で最高値を示している。土御門の計測でも一致する」


「三方向から同じ場所を指している」


 晴輝が呟いた。凛のデータ。朱里の索敵記録。晴輝の計測値。別々に集めた情報が、一点で重なった。


 俺は地図の上に指を置いた。ボールペンで丸を描く。小さい丸だった。地下中層。南西区域。


「ここだ」


 四人が地図の同じ一点を見た。


「四人で行く必要があるのか」


 疑問ではない。確認だ。


 晴輝が即答した。


「俺なしで封印結界を維持できるのか?」


「私なしで広域索敵ができますか?」


 朱里が続けた。間を置かない。


 凛が顔を上げた。ノートを閉じて、まっすぐ俺を見る。


「——わたしなしで影鬼の弱点構造が読めますか?」


 静かな声だった。三人の中で一番低かった。


「……分かった」


 晴輝がコーヒーを飲み干した。空の缶を机に置く。


「装備の確認に一日かかる。封印結界の展開手順も再確認する」


「索敵霊術の調整範囲を確認しておきます。地下中層で精度が落ちる可能性がある」


 朱里が淡々と続けた。


 凛がメモを取りながら言った。


「明後日の朝、この場所に集合で」


 朱里が席を立った。ジャケットの裾を直す。


「では明後日」


 凛が「鳳凰院さん」と呼び止めた。


 朱里が振り向く。髪の先が右肩に流れた。


「……ありがとうございます」


 朱里が一拍置いた。


「明後日」


 それだけ言って、靴を履いて出ていった。ドアが閉まる。等間隔の靴音が階段を下りていく。昨夜と同じリズムだった。


 事務所には三人が残る。


 晴輝がコンビニの袋をくしゃっと丸めた。ゴミ箱に投げ入れる。入った。


「お前、なんか変わったな」


「どこが」


「分かんないけど」


 笑いながら言った。手袋をした手で空の缶を弄んでいる。


 窓から五月の陽が差していた。朝よりも光が高くなっている。


 明後日。地下中層。四人で行く。


 凛がノートを開き直して、何か書き始めた。ペン先が速い。今日聞いた情報を全部記録するつもりだろう。


「神崎さん、明後日の持ち物リストも作っておきますね」


「頼む」


 俺は白紙の地図に目を落とした。ボールペンで描いた丸が、一つだけ残っている。

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