第3話 娘のスパルタ講義と、銀行強盗の件
アキはどこから取り出したのか、日の丸の入ったハチマキを頭に巻いた。右手に定規を持ち、左腕にはジイジ特製スクラップブックを抱えている。
「いい、お父さん? まず『プリズマン』っていうのはね、主人公の光田ワタル(ひかりだわたる)がプリズムブレスレットで変身する姿なの! 世界征服を企む悪の組織『デスダーク』と戦ったんだよ。放送されたのは昭和60年!」
アキはオタク特有の早口でまくし立てる。
「グッズのレア度が凄くてね、特に後期の必殺武器『プリズムソード』はめちゃくちゃ希少価値が高いの。新品未開封なら100万円近くするんだって。 でもね、当時の子どもたちにはプリズマンよりも、敵組織デスダークの『魔戒人間』のほうが人気があって、魔戒人間ブームが起こったくらいなんだよ?」
剛は何度も意識を失いかけたが、その度にアキにプラスチックの定規でスネをパシッと叩いて起こされた。
「お父さん聞いてる!?」
ちなみに一番の当事者であるはずの愛猫のテンは、テーブルの下で「グビー、グビー」といびきをかいて爆睡していた。
「なんか、凄い人気があるのに再放送も一回だけしかやってないみたいなんだよね。しかも、それも変なところで打ち切りみたいに終わっちゃったらしいし」
アキ自身もプリズマンの本編映像を観たことはないのだという。未だに一度もDVD化や配信化がされておらず、当時の資料もほとんど残っていないらしい。
「ネットの噂だと『実話が混ざっているから大人の事情で放送できない』なんていう話もあるみたいだけど…あんな怪奇系のストーリーに実話なんて混ざってるのかなあ?」
アキは首を傾げた。
「とにかく、そのブレスレットをくれた光里田さんって人に詳しく聞いてみようよ」
午前3時、アキのそんな結論をもって、ようやく地獄の講義は幕を閉じたのだった。
翌朝。
剛は寝不足で揺れる視界の中、出勤の準備をしていた。ちなみにアキは眠いからという至極シンプルな理由で、学校をズル休みすることを決定していた。
「アキはいいなー…」
剛は重い頭を振って、いつもより5分早く家を出ることにした。
出がけに、テンが今朝も人間の言葉を話すかどうか確認したかったのだが、テンは珍しく、皿にキャットフードを用意しても起きてこなかった。
「テンちゃん、行ってくるね」
剛のあいさつにテン耳だけを上げて返事をした。
職場である株式会社カントー青野営業所に到着した剛は、いつも通り自分のデスクに向かおうとした。
しかし、その手前で事務の須山が血相を変えて話しかけてきた。
「ちょっと、神原さん聞いた!? 光里田さんのこと!」
「え? 光里田さんですか? …また何かありました?」
何かクレームを言ってきたのかと剛は思わず構える。
だが、須山は大きく首を横に振った。
「違うわよ! 光里田さん。昨夜、自宅の火事で亡くなっちゃったんだって…!」
「え…?」
剛のズボンのポケットから、滑り落ちた革製のブレスレットが、職場の床に頼りない音を立てて転がった。
何とも言えないモヤモヤとした悲しみを胸の奥に抱えたまま、剛はコインパーキングに車を止めて休憩を取っていた。
ハンドルに額を押し当て、深くため息をつく。
「俺どうしたらいいんだろう…」
コン、コン。
不意に、営業車の助手席の窓を、誰かが外から叩く音が聞こえた。
嫌な予感を覚えつつ、身構えながら窓の外を見るが、そこには誰もいない。
恐る恐るドアを開けて外を見回してみても、やはり誰もいなかった。
「気のせいか?」
首を傾げながら車内に戻り、ドアを閉めた剛は、心臓が跳ね上がるほど驚いた。
いつの間にか、運転席にテンが座っていたのだ。
「お前、元気なかったから心配で見に来てやったニャ」
テンはそう言うと、何食わぬ顔でペロペロと前足を舐めて毛繕いを始めた。あまりの神出鬼没ぶりにドキドキしながらも剛は思わずテンに少しだけ愚痴をこぼす。
「…テンちゃん。俺、光里田さんが亡くなっちゃったこと、すごく悲しい…けど、なぜだか、涙が出てこないんだよ。冷たい人間なのかな、俺…だから、あいつも出てったのかな」
剛は無意識のうちに髪を留めていたゴムを外すと、ぐしゃぐしゃと後頭部をかき回す。テンは毛繕いをしながらそれを見つめていたが、不意に毛繕いをやめ言った。
「ちょっとこっち来るニャ」
「え? どこ?」
「いいから来るニャ」
テンは助手席の窓の隙間からスルリと外へ抜け出した。剛は慌てて髪を結ぶと、テンの後を追った。
テンは迷いのない足取りで細い路地を抜け、古びた雑居ビルの中へと入っていく。
エレベーターに乗ると剛に指示した。
「1番上ニャ」
テンは最上階につくとわずかに空いていたドアの隙間からスルリと外に出る。ドアには立ち入り禁止と書いてある。
「テンちゃん、ここ、勝手に入っちゃまずいんじゃない?」
「アタイは猫だから関係ないニャ」
そこは人気のない屋上だった。
テンは屋上のふちに飛び乗っり、前足で下をさす。
「ほれ。あっち見るニャ」
「なに? 」
剛が恐る恐る屋上のふちから身を乗り出し、テンが指し示した先を見た。
次の瞬間、その目に飛び込んできたのは、無数のパトカーの赤色灯だった。
警察車両が集まっていたのは、通りの向かいにある銀行の前。銀行の入り口付近で、一人の女が人質を捕まえて何か言っている。
捕まっているのは、50代くらいの、頭のハゲ上がった小太りの行員だった。恐怖で顔を涙と汗でぐしゃぐしゃにしている。対して、その行員の首元に包丁を突きつけているとのは、20代後半ぐらいのショートボブの女性だった。
しかし、その様子は明らかに異様だった。
茶色の太いセルフレームの眼鏡をかけているが、それで隠しきれないほど目の下には濃いクマができている。もともと大きい瞳がさらに大きく見開かれ、真っ赤といっていいほど血走っていた。
「無駄な抵抗はやめろ! もう完全に囲まれているぞ!」
拡声器を持った警察官が、必死に説得を続けている。だが、女はボサボサの髪を振り、警察に向かって叫んだ。
「この渋田って男はね! 私だけじゃない、たくさんの人にセクハラしたの!それでそれを訴えた人に嫌がらせをして、病気にさせたり、仕事を辞めさせたりしたのよ! なのに自分だけ今も支店長なんかやって! こんな奴、許しちゃいけないのよ!!」
女の悲痛な叫びが、屋上の剛の耳にまで届く。
警察は、
「気持ちはわかるが、やめるんだ。君の人生はこれからなんだから」
と必死に説得を試みる。
警察の説得に人質である渋田も、恐怖でガタガタと震えながら同調した。
「い、犬山くん!や、やめるんだ…! こんなことをしたって、何にもならないぞ…!」
だが、その渋田の言葉が、女、犬山をさらに激昂させた。
「あなたが言うことじゃないでしょ!!」
犬山の包丁が、渋田の首元にさらに深く押し付けられる。
「あなたのせいで私は… 病気になって、その上仕事まで失って…婚約まで破棄されて…もうお終いなの!!」
その絶望に満ちた叫びを聞いた瞬間。
剛の心の中に、ポツン、と小さな滴が落ちた。
苦しく、悔しく、世界の全てを呪いたくなるほどの絶望の音。
それまで前を向いていたテンがゆっくりと剛の方を振り返る。その茶色の瞳には、厳かな意思が宿っていた。
「剛…そろそろ、目覚めてもいいんじゃないかニャ?」
テンの言葉にハッとして、剛はズボンのポケットに手をやった。ポケットの隙間からは、光が溢れている。
恐る恐る中からブレスレットを取り出すと、石がは剛の心臓の鼓動と同調するように、ドクン、ドクンと静かに、しかし力強く明滅していた。
「プリズムストーンが目覚めの時を待ってるニャ」
次回も金曜日、更新予定です。
よろしくお願いします。




