第1話 妻の蒸発と、謎のブレスレットの件
今日から本編がスタートします。
作者や特撮ヒーローものが好きで、これは昭和後期から平成の特撮ものをイメージして書いています。あの時代特有のホームコメディと、特撮アクションの絡みが大好きなんです。
よろしくお願いいたします。
珍しく仕事が早く片付いたため、早帰りしてきた神原剛(かんばら つよし・四十三歳)は、自宅のアパートの前でふと足を止めた。
時間はまだ17時を少し回った頃。
普段なら家に妻が帰っており、窓からはリビングの明かりが漏れているはずだった。
しかし、外から見える限り部屋は真っ暗で、人の気配も一切感じられない。
嫌な予感に襲われ、剛は無意識に後ろで一つに結んだ髪のゴムを触る。そして、大きく息を吐くと会社の制服であるブルゾンのジッパーを胸元まで引き上げた。
「ただいまー…」
鍵を開けると、ゆっくりとドアを押し開ける。家の中はしーんと静まり返っていた。
剛は玄関に置いてあった娘のバドミントンのラケットをそっと手に取るとそれを構え、恐る恐るリビングへと足を進める。
「誰もいない…?」
意を決してリビングの電気をつける。
パッと灯った蛍光灯の下、剛の目に飛び込んできたのは、テーブルの上に広げられたままの、見覚えのある書類だった。
緑の縁取りがある書類。そして、その横に添えられた一枚のメモ書き。
それは、妻が癇癪を起こすたびに何度も突きつけられてきた、あの離婚届だった。
さっと剛の顔から血の気が引き、飛びつくように離婚届とメモを確認する。
「え…ええ!?」
書類には、すでに妻の名前が署名されている。
そしてメモには、
「もう自由にしてください。さようなら…」
剛はメモを読み上げると、がっくりと膝をついた。
「ま、マジか…」
剛の両の目から、いつの間にか涙がボロボロと溢れ出していた。
そして、四十三歳の男は、床に突っ伏して泣いた。声を上げて、めちゃくちゃに泣いた。
剛の異変に気がついたのだろう。
愛猫のテン(メス、推定年齢13歳)が歩み寄ってきて、「なう」と小さく鳴きながら、その身体を剛にすり寄せてきた。
「ただいまー」
不意に玄関から、聞き慣れた娘の声が聞こえてくる。
リビングに入ってきたのは娘の神原アキ(9歳)。
ノースリーブのTシャツに、キュロットという服装に、長い髪をツインテールにしている。
アキは、父親の姿とテーブルの上の書類を見て、一瞬ですべての状況を理解する。
「あー、ついにお母さん出ていったんだ」
あまりにもドライな反応に、剛は涙で顔を濡らしながら声を裏返した。
「アキ…! お母さんが出て行っちゃったんだぞ! しかも、どこに行ったかも分からないんだぞ…!?」
血相を抱える剛にアキはドライな視線を向ける
「でも、お父さんさあ…娘の私が言うのも何だけど、あの人、ダメ人間を通り越して、かなりのクソ人間だよ?」
アキは郵便受けから取ってきたばかりのいくつかの封筒を、剛の前に投げる。それは、どれも消費者金融からの催促状だった。
「自分はバイトくらいしかしてないのに、好きな料理以外は家事しない。そのバイトに行ったと思ったら日をまたいで帰ってくる。あげくの果てがこれよ?」
「ま、まあな…」
あまりにも正確で容唆のない娘の指摘に、剛の涙がピタッと引っ込む。
「でも、母さんにだっていいところも…」
「まあね…私に洋服とか、ガチャとか色々かってくれるよ。でも…!」
アキはビシッと封筒を指さした。
「それって全部これがもとでしょ!お父さんのお小遣い、今月五千円だったでしょ!?」
「そ、そうだけど…なんでアキそれ知ってるだ!?」
剛は思わず胸を押さえる。
「お父さん、この前、テーブルの上にお小遣い帳置きっぱなしだったよ」
「あ…」
固まる剛にアキは大きくため息をついた。
「こんなの、新帝国ギアレベルよ?」
「え? なにそれ?」
娘の口から飛び出した謎のワードに、剛は完全にポカンとした。その顔をみてアキは怒りで顔を真っ赤に染める。
「あー、もう! こんな常識レベルの話も分からないの!? お父さん! つまりね、悪の組織でもクーデターを起こすレベルってことよ!? 逆にお父さん、なんでそこまでされて泣けるの?」
「いや、だって…その愛しているから…」
アキは天を仰ぎ、これ以上ないほど大きなため息をついた。
「お父さんのそういう甘いとこが、お母さんを調子に乗らせちゃったんだよ!わかる!?」
ドン! とアキが強くテーブルを叩く。
「ご、ごめん…」
剛はいつの間にか正座で頭を下げていた。
「あー、気分わる! 本当のこと言ってるのに、これじゃウチが悪役みたいじゃない! こんな黒十字軍の戦闘員でもやりたがらない最低の任務を代わりにやってあげてるっていうのに、お父さんときたら!」
「う、うん…ごめんな、アキ…」
剛はアキが話している内容の半分以上を理解できなかったが、とにかく自分が猛烈に怒られていることだけは分かった。
アキはクルッと踵を返すと、ランドセルを背負ったまま玄関へと歩き出した。
「アキ…もう夕方だぞ、どこに行くんだ!?」
慌てて声をかける剛に、アキは振り返ることもなく答える。
「バアバのとこ! 今日は泊まって、明日の学校もバアバの家から行くから心配しないで!」
直後、バタン! と乱暴にドアの閉まる音がリビングまで響いた。
「アキ…」
剛の足元で、テンだけが、変わらずスリスリと頭をこすりつけ続けていていた。
一晩たったが、結局、妻もアキも帰ってこなかった。
「なう」
静まり返ったリビングで、剛は愛猫のテンと並んで朝食を食べていた。今朝のメニューは、缶詰だ。
テンは猫缶、剛は焼き鳥の缶詰。白米の上にそれを乗せ、うつむきながら口に運ぶ。
剛はワイシャツにスラックスという仕事着に着替えたものの、最後の最後まで仕事に行くか迷っていた。
とてもこんな状況では仕事に集中できない。が、有給を取って家にいたところで、思い出すのは妻のことばかり。
剛は大きなため息をつくと、
「よし…行こう」
髪の毛をアキからもらった紫色のゴムで縛り、いつもより5分遅れて家を出た。
剛の仕事は、福祉用具専門相談員。
介護保険を使ったベッドや車椅子の設置、そして定期的な点検がおもな業務だ。日中は会社のバンを運転し、高齢者宅を回っている。
「失礼します。カントーの神原です。光里田さん、ベッドの定期点検に伺いました」
剛はお得意さまである光里田の家を訪れていた。
光里田は70代の男性だ。古い平屋に一人で住んでいる。
白髪混じりの短髪に、往年の映画俳優を思わせるような彫りの深い、端正な顔立ちをしている。
若い頃に何をしていたのかは誰も知らない。担当のケアマネジャーが警備関係の仕事をしていたらしいと小耳に挟んだが、詳しい経歴は謎に包まれていた。
時折、見透かすような視線を走らせることがあるため、社内では関わりづらい頑固なじいさんと敬遠するスタッフも少なくなかった。
しかし、不思議と剛はそう思ったことは一度もない。優柔不断な剛と、職人堅気な光里田。
正反対だからこそ、二人は妙にウマが合ったのかもしれない。
この日も、電動ベッドを点検していると、
「どうした、神原さん。今日は手元が少しおぼつかないようだが」
光里田はお茶を入れてくれた。
メンタルが限界だったのだろう。温かいお茶をすすると、剛は堰を切ったように言葉が溢れ出してしまった。
妻が消費者金融で借金した挙句、離婚届を置いて蒸発したこと。それを目撃した九歳の娘にブチ切れられ、家出されてしまったこと。
光里田は黙って剛の身の話を聞いていた。
「なんか、私の話ばかりして、すいません…」
頭を下げる剛に、光里田は穏やかな笑みを浮かべた。
「ちょっと待っていなさい」
光里田は立ち上がると、寝室の押し入れの奥へと向かった。数分後、彼は小さな金属製のケースを手に戻ってきた。
「これを、君にやろう」
差し出されたのは、革製の太いブレスレットだった。中央には、何かの鉱石だろうか、鈍い輝きを放つ不思議な石が埋め込まれている。
「…なんですか、これ? パワーストーンですか?」
剛はそれを手に取り、ポカンとする。
「心が照らされる、お守りのようなものだ」
「お守り、ですか?…あの、お気持ちは嬉しいんですけど、さすがにこんな高価なお守りは受け取れませんよ」
それおケースを戻そうとする剛に、光里田は悪戯っぽい少年のような笑みを浮かべた。
「いいから持っていきなさい。君のその…特撮オタク、だったかな? 娘さんが見れば、きっと喜ぶと思うぞ」
「アキが、ですか? …まあ、こういうの好きそうですけど…」
光里田にそこまで言われては、断ることもできず剛はおとなしく、ブレスレットを受け取ったのだった。
いかがだったでしょうか?
楽しんでいただければ、幸いです。
ちなみに細かいディテールについてはカクヨムと異なるところがありますが、そのあたりはお目溢しを苦笑
次回も金曜日に更新予定です。




