温風の極まり
夏休みが始まって、まだ何日もたっていないというのに、朝からじりじりと暑かった。
庭で水やりをしていたおじいちゃんのところへ、レンがうちわをぱたぱたさせながらやってくる。
「暑いよ、おじいちゃん。」
「おう、暑いなあ。」
「ニュースでも言ってたよ。毎年、だんだん暑くなるんだって。夏休み始まったばかりなのに。」
おじいちゃんは、じょうろを置いて空を見上げた。
「たしかに暑くなってる年もある。でもな、『夏休みが始まったばかりなのに』っていうのは、今のカレンダーだけで考えちゃいけないんだ。」
「え?」
「昔の人は、今使ってる西洋暦じゃなくて、旧暦で季節を見ていたんだよ。」
レンは首をかしげる。
「きゅうれき?」
「そう。今の七月二十日ごろは、旧暦だとまだ六月の終わりごろなんだ。」
「えっ! 六月なの?」
「そうそう。だから昔なら、夏休みなんてまだ始まってもいない頃だ。」
レンは目を丸くした。
「じゃあ、昔は今より涼しかったの?」
「もちろん気候も少し違っただろう。でもな、それ以上に大事なのは、季節を太陽だけじゃなく月の巡りでも見ていたことなんだ。」
おじいちゃんは縁側に座り、うちわをあおぐ。
「西洋暦は一年をきっちり三百六十五日くらいに区切る。でも旧暦は月の満ち欠けで一か月を数えるから、そのままだと季節と少しずつずれてしまう。」
「ずれちゃうの?」
「だから、ときどき『うるう月』を入れて、ちゃんと季節と合わせていたんだ。」
レンは少し考えてから言った。
「なんか、時計を合わせるみたい。」
「その通り。昔の人は、季節の時計も合わせていたんだよ。」
そのとき、庭を吹いてきた風が、むわっと頬をなでた。
「うわぁ……風なのに暑い。」
おじいちゃんは笑った。
「こういう風を昔は『温風』なんて呼んだんだ。」
「温かい風?」
「そう。気持ちいい春風じゃない。熱を運んでくる風だ。」
レンは空を見上げる。
「今日は温風だね。」
「うん。そして、この頃は『温風の極まり』なんて言葉もある。」
「きわまり?」
「『極まり』は、一番そのらしさが強くなる頃、という意味だよ。暑い風が吹き、夏の力がぐんぐん強くなる時期なんだ。」
レンは汗をぬぐいながら笑った。
「なるほど。『暑い』っていうより、『温風の極まり』って言うと、昔の人が『いよいよ夏だぞ』って感じてたのが伝わってくるね。」
おじいちゃんはうれしそうにうなずいた。
「そうなんだ。言葉には、その時代の人が空を見て、風を感じて、『今はこんな季節だなあ』と思った気持ちが残っている。」
庭の木々は、熱い風に葉を揺らしている。
レンはうちわを止めて、その風を少しだけ受けてみた。
「暑いけど……今日はただ暑いんじゃなくて、『温風の極まり』なんだね。」
おじいちゃんは「そうそう」と笑い、またゆっくりとうちわをあおいだ。
風は相変わらず熱かった。
けれどレンには、その風が昔から毎年めぐってくる、季節からのあいさつのようにも思えた。




