冬の後③あの夏の日、マサチューセッツの午前7時。星辰正しき時
「しかし……」
議論に熱中する医師たちの中で、一番若い、研修医だったという女性が疑問を口にした。
「このメカニズムは、個体がどうやってゾンビになるかを説明してくれます。でも、どうして世界中の人間が、ほとんど同じタイミングで、一斉に感染したのか。その最初の引き金については、何も説明してくれていません」
その言葉に、それまでの興奮は、水を打ったように静まり返った。そうだ。その最も奇妙で、最も重要な謎は、この論文の中でも「原因不明」として、片付けられていた。
地質学者の生き残りが、自分自身でも半信半疑という口調で意見を述べた。
「たとえば地磁気の逆転……つまりポールシフトの瞬間だ。そのタイミングで特殊な宇宙線が地表へ降り注ぎ、地中深くに潜んでいた有機体を刺激したのではないか。そして、それが一斉に活性化して地上にあふれ出した……。SFのように聞こえるかもしれないが、地球規模の異常事態なら大規模なスケールで考えるしかない」
「もし地中深くから出てきたのだとしたら、世界中の同時刻に一斉に発生するのは不可能だ。移動のタイムラグができるからね。だが、すでに我々の体内やすぐ身近に潜んでいたのだとしたら話は別だ」
生物学者は彼の言葉をやんわりと否定すると、もっと生物学的なモデルを提示した。
「周期ゼミを知っているかね?」彼は静かに言った。「十三年、あるいは十七年もの間、地中深くで幼虫として過ごし、ある年のある夏の日、何百万、何千万という個体が、まるで申し合わせたかのように、一斉に地上に現れ、羽化する。彼らは体内の生物時計と土の中の温度変化を感知することで、その完璧な同調性を実現している」
彼はパソコンの画面に表示された、アメーバ状の有機体の電子顕微鏡写真を指差した。
「この有機体もセミと同じなのかもしれない。何万年、何十万年もの間、人間の体内で、もしくは我々が気づかない、環境の中のどこかで、休眠状態で『その時』を待っていた。そして、我々にはまだ分からない、何らかの外的要因――特定の太陽フレアか、宇宙からの特殊なニュートリノか、あるいはもっと別の何か――をトリガーとして、一斉に『羽化』した。それがあの日の、午前7時だったのではないだろうか」
その壮大な仮説に、誰も何も言うことができなかった。それは人類が自らが万物の霊長であるという傲慢な夢から覚め、自分たちが、もっと巨大で、理解を超えた生命のサイクルの中に組み込まれた、ちっぽけな存在に過ぎないことを、思い知らされるような話だった。
博は窓の外で、穏やかに過ぎていく春の午後を見つめていた。セミの羽化。だとしたら、彼らの目的は、ただ繁殖し、その生命を次代へと繋ぐことだけなのかもしれない。その過程で、旧い宿主である人類が滅びることも、彼らにとっては、何の意味も持たないのだろう。




