冬の後②ゾンビ化のメカニズム
ミスカトニック大学へ戻ると図書館の一角が、にわかに騒がしくなっていた。セント・メアリー病院から救出された、数人の医者たちが、博のノートパソコンの前に集まり、画面を食い入るように見つめながら、熱心に議論を交わしている。
「どうしたんですか?」
博が声をかけるとグループの中心にいた、初老の医師が、興奮した面持ちで振り返った。
「 大変なことになった! 見てくれ!」
医師が指差した画面には、膨大な量の専門的なデータと論文が表示されていた。それは、細々と生き残っていたインターネット回線を通じて、世界のどこかの生存者グループ――おそらく、まだ機能している研究施設に立てこもっている科学者たち――が、発表した、ゾンビ化のメカニズムに関する研究報告だった。
博はアーミテイジ教授と共に、その驚くべき内容を読み進めていった。
報告によるとゾンビ化の直接的な原因は、これまで考えられていたようなウィルスや細菌ではなかった。それは、アメーバ状の極めて特殊な有機体であり、主な感染経路は体液接触。その有機体は、人間の体内に入ると血流に乗って脳へと到達する。
有機体は脳神経細胞の脂質膜に寄生する。そして、本来記憶や思考を司るシグナル分子を模倣、あるいは乗っ取ることで、ドーパミンやグルタミン酸といった、神経伝達物質の受容体を完全にジャックしてしまうのだという。その結果、人間の高次機能は完全に破壊され、残されるのは、最も原始的な、捕食と攻撃の衝動だけ。一度このプロセスが完了すれば、それは、不可逆的な変化となる。
「……これが、正体か」博は呟いた。
彼は以前から、生存者たちの間で議論されていた疑問を口にした。「老人が感染しにくいという傾向がありましたが、それも、これで説明がつくのでしょうか?」
「まさに、そこなのだ」医師は興奮を抑えきれない様子で、論文の一節を指差した。「この報告では、二つの仮説が立てられている。一つは加齢に伴い、脳の脂質膜の組成が変化し、有機体が寄生するための『足場』が少なくなることで、単純に寄生効率が低下するのではないか、という説」
「そして、もう一つは?」
「老人の多くが持つ、慢性的で軽度な炎症状態。この常に微弱な炎症が起きている体内の環境が、結果的に、有機体の活動を阻害しているのではないか、という仮説だ」
それはまだ仮説の段階だった。しかし、長らく謎に包まれていた現象に、初めて科学的な光が当てられた瞬間だった。
博はその報告から、目を離すことができなかった。彼の脳裏には、先ほど見たあの古墳の光景が、不意に蘇っていた。タールのような物質が、消えていた、異形のミイラ。
科学が、ようやく目の前の脅威の正体を解明し始めた、その一方で。この世界のもっと深く、暗い場所で、何かが、静かに、その活動を再開しているのかもしれない。肌を粟立たせるような予感が、春の穏やかな日差しの中で、博の心を冷たく締め付けていた。




