33日目⑤墓地
夜。共同墓地は、豪雨によって巨大な泥の沼と化していた。博は墓石の陰に身を潜め、荒い呼吸を繰り返していた。雨と汗で全身がずぶ濡れになり、容赦なく体温を奪っていく。歯の根が合わないほどの寒さに、体が意思とは関係なく、小刻みに震えていた。
背後の丘の下からは、まだ不気味な呻き声と泥をかき分ける音が聞こえてくる。死者の群れは、執拗に、彼を追ってこの墓場の中へと侵入しつつあった。
逃げなければ。しかし、どこへ。足元はぬかるみ、一歩踏み出すごとに、足が深く沈み込む。もはや、走ることすらままならない。
彼は最後の力を振り絞って立ち上がり、丘のさらに上を目指そうとした。
その時だった。ぬかるんだ地面の下、何か硬いものに足を取られ、彼は派手に体勢を崩した。
「……なんだ?」
彼が蹴つまずいたのは、石でも、木の根でもなかった。それは、黒々とした長方形の木製の箱。雨水が、周囲の土を洗い流し、その全体像がぬかるみの中から、だんだんと姿を現しつつあった。
棺桶だ。
古い時代のものなのか、土葬された棺が、豪雨による地盤の緩みで地表へと浮かび上がってきていた。
絶望的な状況の中で、博の脳裏に、突飛な、だが唯一の活路が閃光のように閃いた。
彼は持っていた鉄パイプの槍の、尖っていない方の端で、棺桶の側面を、力いっぱい突き始めた。一度、二度。鈍い音と共に、棺桶がぬかるみの中で、わずかに揺れる。彼はまるで狂ったように、何度も、何度も、棺桶を突き続けた。
やがて、棺桶は周囲の泥水との間に、完全な浮力を得て、水面にぷかりと浮かび上がった。
博は躊躇しなかった。彼はその不気味な舟に、馬乗りになるように跨った。そして、槍をカヌーのパドル代わりに、ぬかるんだ地面を突き、水をかき分けた。
棺桶はゆっくりと泥水の上を滑り始めた。雨水は墓地の斜面を流れ下り、一つの小川のようになって、丘の下へと向かっている。博はその流れに乗り、死者の群れが登ってくる脇を、すり抜けるようにして、下っていく。
何体かのゾンビがその奇妙な乗り物に気づき、腕を伸ばしてきたが、泥に足を取られ、その動きは鈍い。博は槍でその手を払い、あるいは頭を突き、彼らの追撃を振り払った。
それは、悪夢の中にしかありえないような、冒涜的で、あまりにも奇妙な光景だった。死者の眠る場所で、死者のための箱に乗り、生きるために死者の群れから逃げる。
やがて棺桶は墓地の境界を抜け、濁流と化した川へと続く、急な斜面へと滑り出していった。博は棺桶にしがみつき、目を閉じた。これから始まるのは濁流との死闘だった。




