3日目②グレンフィールド・ギフトショップ
日が傾き、世界の輪郭が曖昧な夕闇に溶け始める頃、博は行動を開始した。三度目となる保安官事務所への電話。もはやその行為に、最初の時のような恐怖はなかった。ただ、生きるために必要な手順を、淡々とこなす。受話器から聞こえる呼び出し音と、外から響いてくるそれが重なる。彼はドアの覗き穴から、死者たちが音の鳴る方角へ、磁石に引かれる砂鉄のように吸い寄せられていくのを、冷たい目で見届けた。
モーテルの駐車場を横切る足音は、ほとんど無音に近かった。アスファルトのひび割れを避け、乗り捨てられた車の影から影へと渡る。数分の道のりが、永遠のように長い。目的のギフトショップのガラス扉が見えた時、彼は最後の数メートルを駆け抜けた。幸い、扉には鍵がかかっておらず、彼は音を立てずに中へ滑り込むと、内側から重い金属製のシャッターを慎重に下ろした。カシャン、という控えめな金属音の後に訪れたのは、墓場のような静寂と完全な暗闇だった。
博は声を出さずに小さくガッツポーズをとった。
バックパックから小型のLEDライトを取り出し、周囲を照らす。光の輪が、観光客向けの色鮮やかなマグカップやTシャツ、そして彼が求めていた食料の棚を浮かび上がらせた。棚には、メープルシロップの瓶、ナッツの入った袋、ドライフルーツ、大量のキャンディーやチョコレートが並んでいる。ゆうに数週間はここで生き延びられるだろう。束の間の安堵が、張り詰めていた彼の心に染み渡った。
一階部分に潜む脅威がないことを確認し、彼は二階へと続く階段へ向かった。ここからなら、町の様子がもっとよく見えるはずだ。軋む床板に注意を払いながら、一歩、また一歩と上っていく。博は鼻を鳴らした。建物には何か石油のようなにおいが染みついている気がした。
二階は、事務所兼倉庫のようだった。段ボール箱が積み上げられ、事務机が置かれている。博が窓に近づき、外の様子をうかがおうとした、その時だった。部屋の隅、最も暗い影の中に、何かが動いた。
ライトを向けると、そこに立っていたのは、腹の出た中年の男だった。この店の店長だろうか。だが、その目は濁り、口元からは低い唸り声が漏れている。昨夜の悪夢が、再び現実となって彼の眼前に現れた。
間合いを取る暇もなかった。博は咄嗟に身をひるがえしたが、男に肩を強く掴まれ、そのまま壁に叩きつけられる。衝撃で、手からライトが滑り落ち、床を転がった。限られた光が部屋の隅を不規則に照らし出し、二人のもみ合う影を巨大に映し出す。
腐臭が鼻をつく。博は必死に男の腕を押し返した。しかし、体格差は明らかで、じりじりと壁際の窓へと追い詰められていく。窓ガラスに背中がぶつかる。ミシミシ、とガラスが悲鳴を上げた。このままでは押し殺される。その恐怖が、彼の内に眠っていた最後の力を引き出した。
博は掴まれた勢いを逆用し、自らの体を沈み込ませるようにして男の足元にもぐりこんだ。体勢を崩した男の巨体が、彼の上を通り越して窓ガラスに激突する。けたたましい破壊音と共に、ガラスが砕け散った。男の体は、一瞬宙に浮き、重力に従って下の闇へと吸い込まれていった。
荒い息をつきながら、博は割れた窓から下を覗き込んだ。店長の体は、店の前に駐車されていた古いセダンのボンネットの上に、ぐったりと横たわっていた。
終わった。そう思った瞬間だった。
静寂を切り裂き、けたたましい警報音が鳴り響いた。男の体がぶつかった衝撃で、車の盗難防止アラームが作動したのだ。その音は、この死んだ町において、あまりにも大きく、あまりにも長く響き渡った。
博は血の気が引くのを感じた。まずい。非常に、まずい。
彼は割れた窓から、恐る恐る周囲を見渡した。先ほど、電話の音に誘われて保安官事務所へ向かったはずの死者たちが、一体、また一体と、その音の発信源であるギフトショップへと向きを変えるのが見えた。彼らの数は、もはや十や二十ではない。通りの向こうから、建物の影から、闇の中から、無数の影が、この場所を目指して着実に集まり始めていた。
警報は鳴り止まない。それは孤立した彼の存在を、全世界の死者たちに告げ知らせる、巨大な警鐘のようだった。




