33日目①ミスカトニックダム
朝。空は鉛色の厚い雲に覆われ、冷たい雨が、ぽつり、ぽつりとアスファルトを濡らし始めていた。ミスカトニック大学の正門で、博とアーミテイジ教授は、ディーンやサラ、そして残る生存者たちに見送られていた。
「気をつけて、ヒロシ! 教授も!」サラが、不安そうな顔で叫ぶ。
「ああ。すぐに戻る」博は力強く頷くと電気自動車の運転席に乗り込んだ。
車は、静かに大学を後にし、ミスカトニック川を遡るように、西へと続く道を進み始めた。ワイパーが、フロントガラスを叩く雨粒を、規則的に拭っていく。
「嫌な天気だな」博が、独り言のようにつぶやいた。
「うむ」助手席のアーミテイジ教授が、窓の外を眺めながら答えた。「我々の行く末を暗示しているかのようだ」
しばらく車内には雨音とモーターの低い駆動音だけが響いていた。その沈黙を破ったのは、教授だった。
「この道は、よく通ったものだよ」彼は、どこか懐かしむように言った。「パンデミックが起きる、ほんの数週間前までな」
「何か、ご用事が?」
「ああ」教授は頷いた。「私の専門は、考古学でね。特に、この地域の、先住民の文化を研究している。この先の森の中で、非常に興味深い、古い古墳群が発見されてな。その本格的な調査を、始めようとしていた矢先だったのだ。この世界は、ひっくり返ってしまったが」
その声には、長年追い求めてきた研究を断ち切られた学者の無念が滲んでいた。歴史の謎を追い求めていた平和な日常。それはもう、手の届かない、遠い過去の記憶となってしまった。
教授の話が終わる頃、雨脚は、先ほどよりも明らかに強まっていた。ワイパーの動きが、忙しなくなる。カーブを曲がった瞬間、前方の、霧雨に煙る谷の向こうに、巨大な人工物がその姿を現した。
灰色のコンクリートの壁が、谷を堰き止めるように、そそり立っている。
ミスカトニックダム。
その壁面を、白い水しぶきを上げながら、おびただしい量の水が、まるで滝のように流れ落ちているのが、遠目にもはっきりと見えた。あれは、通常の放水ではない。ダムが、その許容量を超えて、悲鳴をあげているかのようだった。
車はダムへと続く、最後の坂道を登り始めた。雨はもはや、豪雨と呼んでいいほどの勢いでフロントガラスを叩きつけていた。




