28日目②ノイズ
拠点とした家のリビングは、微かな希望と張り詰めた緊張感に包まれていた。二人の視線は、テーブルの上に置かれた一台の古い無線機に、釘付けになっている。
「どんな声だった? 何を言っていた?」
博の問いに、サラは記憶を必死に辿りながら答えた。「男の人の声。すごく雑音がひどくて……でも、『応答せよ』って、言ってた気がする」
男の声。応答を求めている。
博は無線機の構造を注意深く観察した。それは、特定のチャンネルを選ぶだけの単純なトランシーバーではなかった。周波数を手動で調整する、アナログなダイヤル式の無線機。サラが偶然声を拾ったのは、おそらく、相手の電波とこちらの受信周波数が、ほんの一瞬だけ、奇跡的に重なったからだろう。
「混信したんだ」博は呟いた。「周波数が完全に合っていない。だから、雑音だらけで途切れ途切れにしか聞こえないんだ」
彼はダイヤルに手をかけた。それは無数の砂の中から、たった一粒の砂金を探し出すような、途方もない作業の始まりだった。周波数の目盛りは、非常に細かい。ダイヤルを、髪の毛一本分でも動かせば、電波はすぐに逸れてしまう。彼は、サラが声を聞いたという、ダイヤルの大まかな位置に目星をつけた。
「いいか、サラ。ここからは、絶対に静かにしてくれ。どんな小さな音も、聞き逃したくない」
彼はヘッドホンを装着し、目を閉じた。聴覚だけを、極限まで研ぎ澄ませる。
ザーッ……という、意味のないノイズの海。彼はその海の中から、規則性のあるパターンを、人の声の響きを探し求めた。
ダイヤルをミリ単位で、ゆっくりと、ゆっくりと回していく。ノイズの音が、微妙に変化する。高くなったり、低くなったり。その変化に、全神経を集中させる。
十分、二十分。永遠にも感じられる時間が過ぎていった。諦めかけた、その時だった。
ノイズの海の、ほんの片隅で、微かな、しかし明らかに人の声と思われる響きが、彼の鼓膜を震わせた。
彼はその位置から、さらにミクロの単位で、ダイヤルを前後させる。雑音が、少しずつ後退していく。そして、ついに、その声が意味のある言葉として、彼の耳に届いた。
『――ミスカトニック大学、アーミテイジ教授。聞こえるか。こちら、ライス。無事なら、応答願う。繰り返す。アーミテイジ教授へ。こちら、ダンカン・ライス。――』
それは冷静で、少し年老いた男の声だった。同じ内容が、テープで再生されているかのように、何度も、何度も、繰り返されている。
ミスカトニック大学。アーミテイジ教授。ダンカン・ライスと名乗る男。
博はヘッドホンを外した。彼の顔には、驚きと確信の色が浮かんでいた。「見つけた」
サラが、息を飲むのが分かった。「なんて言ってるの?」
「大学のアーミテイジという教授を、探しているらしい」博は早口で答えた。「呼びかけている男の名前は、ダンカン・ライス。彼らが、この町にいる生存者かもしれない」
謎の生存者の正体へと繋がる、最初の糸口。それは、夜の静寂の中、古い無線機が吐き出す、繰り返される呼びかけの声だった。




