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ミスカトニック大学留学記  作者: 里見さと子


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2日目①空腹

 浅い眠りと悪夢を繰り返した末、博は意識の浮上と共に瞼を開けた。部屋の中は、夜明けの灰色の光で満たされている。体は鉛のように重く、喉は乾ききっていた。一瞬、昨日の出来事全てが、時差ぼけが見せた悪夢だったのではないかという、淡い期待が胸をよぎる。しかし、ドアの方から聞こえる、爪で何かを断続的に引っ掻くような微かな音が、その希望を打ち砕いた。



 彼は音を立てないよう慎重にベッドから抜け出し、冷たい床に足を下ろした。窓のカーテンの端を、指先で僅かにめくる。外には、昨日と同じ光景が広がっていた。いや、数は増えている。管理人だった老人に加え、隣の部屋の家族連れだったと思しき男女、そして駐車場に乗り捨てられたセダンのそばには、セールスマンのような身なりの男が、片腕をだらりと下げたまま、意味もなく体を揺らしていた。彼らは皆、生前の個性を剥奪され、ただ歩き回るだけの、同じ種類の「何か」に成り果てていた。悪夢ではない。これが、新しい世界の現実だった。



 博は窓から離れ、再びノートパソコンの前に座った。有線LANは、まだ奇跡的に繋がっている。まずメールの受信ボックスを開くが、そこは昨日と変わらず空っぽのままだった。日本の家族からも、アダムからも、返信はない。その事実が、彼の胸に小さな氷の塊を置いたように、じわりと冷たさを広げていく。



 SNSにアクセスすると、情報の濁流はさらに勢いを増していた。生存者たちの断片的な報告が、彼の生存戦略を形作っていく。『奴らは遅い』『頭を破壊すれば止まる』『噛まれるな。傷口からでも感染する』。それは人類が未知の捕食者に対して、リアルタイムで攻略マニュアルを共同で作り上げているかのようだった。彼はそれらの情報を、テキストファイルに一つずつ記録していく。冷静に、機械的に。感情を挟む余裕はなかった。今はただ、知識を蓄えることだけが、正気を保つ唯一の方法だった。



 その時、腹の底から、ぐぅ、と長い音が鳴った。空腹。原始的で、生命の根源的な欲求が、彼を思考の海から引き戻した。そういえば、ピザを一切れ食べたきり何も口にしていなかった。



 テーブルの上の箱を開ける。冷え切って硬くなったピザは、もはや食べ物というより、栄養を含んだ物体に過ぎなかった。彼はそれを手に取り、味も何も感じないまま、黙々と咀嚼した。顎を動かし、飲み下す。その単純な作業の最中に、彼はふと気づいた。



 この部屋にある食料は、この残り数切れのピザと、スーツケースの底に入れたままの非常食用のカロリーバーが数本だけだ。飲み水は、ウォーターサーバーからペットボトルに汲んだものが三本。蛇口をひねればまだ水は出たが、それもいつまで続くか分からない。



 この部屋は、壁と鍵によって外の脅威から守られた、一時的な避難所に過ぎない。食料が尽きた時、この安全は意味をなさなくなる。いずれ、彼はあの徘徊する死者たちの間を抜け、食料を探しに外へ出なければならない。その当然の帰結が、冷たいピザよりも重く、彼の胃の腑に落ちていった。

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