21日目②ダンウィッチ、最後の夜
ダンウィッチで過ごす、最後の夜だった。
二人は、雑貨店の奥の居住スペースで、バリケードのように積み上げた家具の陰に身を潜めていた。夕食の冷たい缶詰を無言で分け合った後、博は錆びついたバールを、サラは短い鉄パイプを、それぞれ胸に抱いていた。分厚い毛布にくるまっても、壁の隙間から忍び込む冷気が、体温を容赦なく奪っていく。
不思議なことに、今夜は、昨夜までの、あの悍ましい音は聞こえてこない。その静寂は安らぎではなく、嵐の前の凪のように、神経を逆なでするだけだった。博は睡魔と戦っていた。ここで眠ることは、無防備な肉体を、闇の中に蠢く「何か」に差し出すことに等しい。彼は、サラを守らなければならなかった。
しかし、極度の緊張と疲労に蝕まれた肉体は、彼の意思を裏切った。瞼が鉛のように重くなり、思考が徐々に白濁していく。バールを握りしめる指先の感覚が、遠のいていく。
――リ・リ……
はっ、と短い悲鳴を上げて、博は夢から引き剥がされた。目が覚めた場所は、雑貨店の床ではなかった。彼は、あの屋敷の、あの地下室に立っていた。足元には、タールのような黒い塊が、心臓のように、ゆっくりと確実に脈動している。その表面に、無数の、泡のような目玉が浮かび上がり、一斉に博を見つめていた。
――テケリ・リ! テケリ・リ!
囁き声が、脳に直接響く。意味をなさない、冒涜的な音節の羅列。それは、宇宙の最も冷たい深淵から響いてくる、絶対的な悪意そのものだった。逃げなければ。だが、足は凍りついたように動かない。黒い塊から、何本もの触手が伸び、彼の足首に絡みつこうとした、その瞬間――
「……ヒロシ?」
すぐそばから聞こえたサラの声に、彼は再び現実へと引き戻された。雑貨店の、薄暗い床の上だった。自分の喉から、うめき声が漏れていたことに気づく。いつの間にか、眠ってしまっていたのだ。サラが、不安そうに彼の顔を覗き込んでいる。
「……大丈夫だ」
かすれた声でそう答えるのが、精一杯だった。先ほどまでの悪夢は、夢と呼ぶにはあまりにも生々しかった。何かが、博の精神に直接語り掛けているかのようだった。
だが、それだけではなかった。
全身を走る悪寒とともに、博は自分の足首に奇妙な違和感を覚えた。焼けるような痛みが走るその場所には、タールのように黒く、ねっとりとどこか石油臭い、泥のようなものが、生々しくこびりついていた。 地下室の悪夢の中で、確かに何かが触れた場所に――。
ふと見ると、窓の板の隙間から、夜明けの灰色の光が差し込んでいる。白んだ空。
夜は終わった。しかし、悪夢の続きは、すでに現実の側へと染み出している。
この村で過ごす時間も、終わりを告げようとしていた。それは博には何の安堵も与えなかった。




