20日目①屋敷
朝は、昨夜の絶叫が嘘だったかのように、不気味な静けさの中に明けた。博の耳の奥には、あの魂を削るような音が、まだこびりついて離れなかった。この村で何が起きているのか。それを知らないまま、ただ闇雲に怯え続けることは、精神を確実に蝕んでいく。そして、あの農家には、生存者がいるかもしれない。あの悲鳴は、助けを求める声だったのかもしれない。
「僕は行く」
博の決意に、サラは泣きそうな顔で首を振った。「だめだよ! 危ない!」
「大丈夫だ。様子を見るだけだ」彼は、サラを一瞥した。「ここにいて、ドアに鍵をかけて。必ず戻る」
その言葉は、ほとんど自分自身に言い聞かせるためのものだった。彼は、雑貨店にあった錆びついたバールを手に、深い霧の中へと足を踏み出した。
昨夜、何かが這いずり回ったであろうぬかるんだ道には、奇妙な轍のような跡が、幾筋も残されていた。それは、どんな生き物の足跡とも似ていない。巨大な軟体動物が、その身を引きずりながら進んだかのようだった。
丘の上の農家は、近づくにつれて、その異様さを増していった。巨大で、歪んでいる。まるで、建材そのものが、長い年月の間に邪悪な意志を持ってねじくれてしまったかのようだ。例の病んだ牛たちが、博の存在に気づいても、何の反応も示さない。ただ、その濁った瞳を、一瞬だけこちらに向けた。その目には、家畜のそれではない、何か諦観にも似た、人間的な光が宿っているように見え、博は背筋が凍るのを感じた。
農家は、母屋とそれに隣接する大きな納屋から成っていた。奇妙なことに、生活の痕跡は、すべて納屋の方に集中していた。使い古された毛布、空の缶詰、古い焚火の跡。誰かが母屋を避けるように、この吹きさらしの納屋で暮らしていたかのようだった。
対照的に、母屋は完全に死んでいた。窓という窓、ドアというドアが、すべて内側から、分厚い木の板で厳重に打ち付けられている。それは、侵入者を防ぐためというよりは、何かを「中」に封じ込めるための、執拗なまでの執念を感じさせた。
博がその打ち付けられた壁に沿って、建物を一周しようとした、その時だった。
ギィ、と家の中から、床板がきしむ音が、微かに聞こえた。
博はその場で凍りついた。耳を澄ます。気のせいではない。確かに、誰かが、あるいは何かが、家の中を歩いている。
生存者だ。博の心臓が、恐怖と微かな希望に脈打った。昨夜の悲鳴の主かもしれない。助けを待っているのかもしれない。
彼は建物の裏手に回った。そこには、台所の勝手口らしき小さなドアがあった。そこも同じように板で打ち付けられていたが、他の場所よりは、いくらか打ち付けが甘いように見えた。彼は意を決し、持ってきたバールの先端を、板とドアの隙間にねじ込んだ。
テコの原理を使い、全体重をかける。メリメリ、と釘が木材から引き抜かれる、耳障りな音が響いた。数分の格闘の末、ついに板が外れ、その下のドアノブに手をかけることができた。鍵は、かかっていなかった。
彼はゆっくりとドアを開けた。カビと埃と、鉄が錆びたような血の匂いが混じり合った、淀んだ空気が、中から溢れ出してきた。家の奥は、板で塞がれた窓のせいで、ほとんど光の届かない、深い闇に包まれている。
博はバールを強く握りしめ、その闇の中へと、一歩、足を踏み入れた。




