15日目祖母の思い出
出発前夜は奇妙なほどの静けさをまとっていた。荷物の大半はすでに車に積み込み終え、家の中はがらんとして、まるで持ち主を失った抜け殻のようだった。博とサラは、床に並んで座り、アーカムへ持っていけない残りの食糧を分け合っていた。
「アーカムはどんな町なんだろうな」
博が独り言のように呟くと、サラはスプーンを口に運びながら、少しの間、考え込んだ。
「あんまり、よくは知らない」彼女は、正直に答えた。「でも、グランマが……おばあちゃんが生きてた時、何度か行ったことがある」
その言葉に、博は顔を上げた。「おばあさんが?」
「うん」サラは、遠い目をした。「アーカムの、セント・メアリー病院に、入院してたから。ママの運転で、お見舞いに行ったの」
彼女の記憶の中のアーカムは、ミスカトニック大学の古い校舎や、不気味な噂話の舞台としてではなかった。それは、消毒薬の匂いがする、静かで、どこまでも続くかのような病院の廊下と、日に日に痩せていく祖母の、皺の刻まれた優しい笑顔と結びついていた。
「病院は、大きかった。町の中心から、少し離れた丘の上にあって、窓から森が見えた」
サラは子供の視点から見た、断片的な風景を語り始めた。病院の帰りに、祖母が好きだったアイスクリーム屋に寄ること。駐車場の隅に生えていた、大きなカエデの木のこと。祖母が、ベッドの上で彼女の髪を撫でてくれた、紙のように乾いた手の感触のこと。
それは、この崩壊した世界とはあまりにもかけ離れた、穏やかで、そして二度と戻らない日々の記憶だった。博は何も言わずに、その話に耳を傾けていた。サラにとって、アーカムは父母がいるかもしれない場所であると同時に、大切な人を失った記憶が眠る場所でもあった。
病院。そこには、膨大な医薬品や、高度な医療設備が残されている可能性がある。同時に、パンデミック発生時、生存者が希望を求めて集まる場所の一つであることも、想像に難くない。
「……眠い」
ぽつりと呟くと、サラは博の肩にこてんと頭をもたせかけ、すぐに小さな寝息を立て始めた。博は彼女を起こさないように、そっとその体を毛布で包んだ。
彼は窓の外の闇を見つめた。明日、この家を出て、未知の世界へ踏み出す。それは、単に安全な場所を求める旅ではない。サラの過去の記憶をたどり、まだ見ぬ生存者を探す旅でもある。
眠る少女の金色の髪を、窓から差し込む月明かりが、静かに照らしていた。




