思い
ここの紅茶は相変わらず上手いとラドクリフは思った。
優雅な所作で紅茶を嗜むラドクリフの姿は美しかった。ラドクリフがその場に居るだけで殺風景に感じた応接室は一枚の絵のようになる。
「この度も、ご足労ありがとうございます」
そんなラドクリフに恭しく頭を垂れるのは、教会兼孤児院を営むシスター・ハンナという女性だ。
王家の命により孤児院の管理を貴族に分配されているため、貴族であるラドクリフはシスター・ハンナが営む孤児院の支援という形で管理を任されていた。
定期的な貴族の視察が義務付けられており、その視察にラドクリフは訪れなければならない。
「いや、これも僕の役目だからね。それに、僕の好みの紅茶を用意してもらえるのは役得だ」
「昔から、ここの紅茶は、お好きですものね」
シスター・ハンナは優しげに微笑んだ。
ラドクリフとシスター・ハンナは同い年であり、幼い頃から互いを知っている為、良く気心が知れている。
ラドクリフが暴言を吐くことのない数少ない女性の一人である。
「ラドクリフ様は皆の憧れですわ。あなた様に紅茶を召し上がって貰うため、ここの子達が丹精込めて育て作ったものです」
「それは味わい深い。ここの院の子供は優秀な者が多いから、良く出来てる」
「長い戦争に深刻な人手不足から孤児は皆、王家の管理下で教育を受け王家の人材として召し上げられる。その子供達ですから」
「しかし戦争は終わった」
そのラドクリフの一言で、にこやかだったシスター・ハンナの顔が陰った。
「戦争が終わり人手不足は解消されつつある。子供達は、いずれ王家から必要ないと切り捨てられやしないか、君は、それを危惧しているのだろう」
「はい……」
シスター・ハンナは孤児院の子供達を誰よりも愛し、慈しんできた。
若かりし頃にラドクリフが、そんな彼女に心惹かれ結婚を申し込んだりもしたが、孤児院に残りシスターになる事を決めたハンナは首を縦に振ることはなかった。
「君が悩んだところで時代の流れは逆らえない。現在も王家にとって、ここの人間は貴重な人材だ。君は少し考えすぎなんだよ、ハンナ。そろそろ平和に浸ってもバチは当たらないさ」
シスター・ハンナはラドクリフの言葉に驚きの表情を浮かべた。
「ラドクリフ様から、そのような言葉が出るとは思いませんでした。あの頃とは変わりましたね。ローズの影響でしょうか。まさか、もうローズとは男女の関係ですか?」
ローズの事を指摘されて、ラドクリフは手にした紅茶を落としそうになった。
「何を言ってるんだ、君は!」
「あら違うのですか?」
「違うもなにも……」
「ラドクリフ様はローズを特別な女性として見ているのは知っていたので」
「なっ、何をっ! 君は!」
四十過ぎた男の恋心を指摘される恥ずかしさにラドクリフは、つい狼狽えた。
「ローズは昔からラドクリフ様に憧れと恋心を抱いていたのは知っていました。ラドクリフ様もそうなら、想い合う男女が一つ屋根の下で過ごせば自然な流れかと」
「僕がローズを、そういう目で見てると……」
「恐らく誰が見ても、そう思います」
あまり、人の目を気にしないラドクリフは隠すつもりは、さらさらなかったが、正面切って言われると流石に恥ずかしいものがあった。
だが、次のハンナの言葉でラドクリフは雷を打たれたかのように衝撃を受けた。
「まさか、ラドクリフ様の片想いですか?」
カタオモイ
ローズとの縮まらない距離に、やきもきをしていた日々を思い返せば、その言葉はぴったりと当てはまる。
「僕が、片想い……だと?」
「それならばローズの様子に違和感があったのも頷けます」
「違和感?」
「長く伸ばしていた髪をローズは急に切ったでしょう? 邪魔になるから切ったとは言ってましたが、幼いときにラドクリフ様に綺麗だと誉められてから、一度も切ろうとはしなかったので、何か心機一転があったのかと思ってましたが」
今のローズの髪は、結ぶ髪もないほどバッサリ短くなっている。
それまでは波のように美しい長い黒髪だった。
「ラドクリフ様が過去のローズに対する態度には酷いものがありましたから、ローズのラドクリフ様への想いが無くなるのは無理もないかと」
ラドクリフにとって痛い所を突かれた。
若かりし頃のラドクリフにとってローズを引き受けた当時はローズとの関わりあいをできるだけ持たないようにしていた。
少女が一人にされた屋敷で、どんな時間を過ごしたのか想像すらせず、むしろ避け続けた。
「ローズには悪いことをしたと思っているよ。責任ある大人のする事じゃなかった」
「今更、調子いい事を仰いますね」
「君は僕に辛辣だな」
「私は、ここの子供達と同じようにローズを想っています。相応しくない方にローズを任せられません」
シスター・ハンナの聖なる微笑みの裏に、悪魔のような威圧感をラドクリフは感じた。
「手厳しいね」
溜め息を吐きながら、憂いの帯びた横顔が尚更美しいラドクリフだが、長いこと見慣れた人間からしてみれば、いい年したおじさんのする恋の溜め息は見苦しかった。
「そうですね。せいぜい頑張って下さいませ」
「……」
ラドクリフは、もう何も言い返せなかった。
『ローズ! 一体これは!?』
その日、出先から二人で部屋に戻った後、ローズは化粧室に入るや否や、いつまで経っても出てこない事をラドクリフは不信に思い、あまりにも心配で強引に押し入ると目の前は異様な光景だった。
洗面所の床に切り落とされた黒髪が、あちこちに散乱している。
その先には項垂れたように居座るローズの姿と、長かった黒髪が見る影もなく短くなっていた。
どうしたのかとラドクリフが駆け寄れば、ローズは肩を震わせながら泣いていた。
『一体どうしたんだい? ローズ……』
が、そっと肩に手を添えれば怯えるようにローズの肩が跳ねた。
『師匠……』
顔を上げたローズは涙を流しながらも、にこりと笑った。
その姿にラドクリフは痛々しさを感じた。
『魔法使いの髪は魔力を宿すって、私、初めて知りました』
ローズの口調は、涙の跡がなければ、まるで挨拶を交わすような軽い口調だった。
『長ければ長いほど、魔力が蓄積されるんですね』
ローズが何故、急に髪を切るような行動をとったのかラドクリフは合点がいった。
『師匠のお陰で、たくさん教育を受けたのに無知でした。魔力をコントロールできない人間は魔力を溜め込むような真似はしないほうがいいのに、私はずっと師匠に余計な手間をかけさせてたんですね』
ラドクリフがローズを連れていった王立図書館で、ローズが一冊の本に目が止まっていたのは知っていた。
魔力や魔術に関する書物。
彼女を正式に弟子にするつもりのなかったラドクリフは、一流の教育を与えはしたが魔法に関する知識は一切与えてこなかった。
魔力をコントロールできない人間に魔法の知識を与えても無駄だと思っていたから。
『ほんと、お荷物ですね、私』
ラドクリフがローズにそう思っていたのは態度から表れていた。
ラドクリフも隠そうとはしなかった。
だが今は違う。
『ローズ、僕は……』
『師匠、一人にしてください』
ラドクリフへの拒絶。
長い間ラドクリフがどんなにローズを蔑ろにしても、ローズのラドクリフへ向ける敬愛の眼差しは消える事がなかった。
そして、そんなローズをラドクリフは愛しくさえ思うようになった。
『ローズ……』
俯いて目を合わせようとしないローズに、なんて声をかけていいか分からず、ラドクリフはローズの言葉に従うしかなかった。
ずっと自分を想ってくれているのだろうとラドクリフは思っていた。
それが自惚れなのだとラドクリフは気付いた。
外の世界を知らなかった彼女は気付くのだ。
ラドクリフを非道い男だと。
ずっとローズを拒絶してきた自分が今度は拒絶される。
自業自得だとしても、ラドクリフの胸に痛みが広がった。