ラドクリフ・ブッセン3
『あれ? どうしたんですか。師匠』
ローズが戻ると、長椅子に座り頭を抱え込むラドクリフの姿があった。
『ああ、ローズか。おかえり』
『ただいま戻りました』
ラドクリフの様子がおかしい事に気づいてはいたが、かれこれ一緒に住み始めながらラドクリフが意外と変な性格だと理解しだしたローズは、彼の不審な様子に、あまり気にしなくなっていた。
『そういえば今日、お城から使者がいらっしゃる日でしたよね。先生になるのを引き受けるんですか?』
『うん……』
『師匠が先生になるんですね! 凄い! だとしたら私が最初の生徒になりますか?』
『生徒?』
『その時、私は師匠の事を、先生と、お呼びするのでしょうか……』
そう言いながら頬を染めるローズの姿に可愛くて堪らなくなり、ラドクリフは荒んだ気持ちが綻んだ。
『実は君に婚姻を申し込みたいと相談を受けた』
『婚姻?』
『君が成人したら申し込みたいそうだ』
『へえ。そうですか……』
驚きもせず、どうってことないようなローズの様子にラドクリフは顔をしかめた。
『受ける気か?』
『師匠に、ずっとお世話になる訳にはいかないと丁度、思ってました。私の婚姻で師匠にとって都合の良いことがあるなら従いますし、師匠が選んだ方なら私は良いです』
そう言うローズに何故かラドクリフはショックを覚えた。
ローズから向けられる気持ちに応えるつもりはないが、自分ではない他の男との婚姻を、必要とあらば受けるつもりでいるローズに苛立ちを覚えてしまった。
丁度、夕飯時だった為、様子のおかしいラドクリフを放っておきながら、気にする事なく食事の為にテキパキと皿や食器を用意するローズをラドクリフは食事を調理しながら眺めていた。
今日のおかずは焼き魚に決め、魚が焼けていくのをぼーっと待ちながら、自分の感情が苛立ちを覚えてしまった事にラドクリフは悶々と考えていた。
結論を言えばローズを嫁に出したくない。
娘を他所にやりたくない父のような気持ちなのだろうと納得しようするが、どうにも腑に落ちずにいた。
ローズは弟子で保護責任者である自分がローズを一人の女性として見たことも考えたこともなかったが、保護し守るべき存在がいる生活はラドクリフにとって妙に心地好いものだった。
幼い頃に両親を亡くし家族が居なかったラドクリフにとって、家に帰ると「おかえりなさい。師匠」の一言に気持ちが華やぐのだ。
彼女を屋敷で孤独な日々を過ごさせてしまった悔恨から、出来るだけ側に居るようにしながら、他人がいる空間に落ち着かない自分の性格に不安はあったが、ローズと過ごす日々に苦もなにもなく、むしろ居心地のいいもので、もっと側に居たいとさえラドクリフは思った。
あの元家庭教師の男ならば立場も家柄も良く、年も二十後半でローズと釣り合いがとれ、結婚相手として理想的な男である。
自分が、あと十若ければローズの気持ちに応え、ずっと側に居てもいいのだが。
『ん?』
食事を作るラドクリフの手が止まった。
『どうしました? 師匠』
ラドクリフは自分が今まで何を考えていたのか思い返し愕然とした。
まさか僕はローズと結婚したいのか?
そんな考えを振り切るように、出来上がった焼き魚と、考え事に気をとられてるため適当に作った付け合わせ等を急いで皿に盛り、ローズと向かい会わせに食卓に座ると、いつも通り食事を食べ始めた。
『師匠、今日も美味しいです。美味しいものを食べさせてくれて幸せです』
嬉しそうにラドクリフの作った食事を食べるローズの姿が、堪らなく可愛く、ラドクリフは無性に押し倒したい気に駆られた。
ガン!
気づけばテーブルの上に、ラドクリフは己の頭を自ら打ち付けていた。
『師匠……、具合、悪いんですか?』
ラドクリフは気づいてしまった。自分の気持ちに。
顔を上げれば、ラドクリフのおでこは赤くなっている。
『ローズ……』
『はい?』
怖い顔で睨むようにローズを見つめるラドクリフに、ローズは何か良くない事を言われるのかと思い、若干、引いていた。
『僕は君が居ると幸せだ』
ずっと側に居たいほど、ローズに愛を抱いている自分にラドクリフは気づいてしまった。
自覚してしまった想いは口をついて言葉になり、ラドクリフにとって初めての愛の告白だった。
『ん? はい。私も師匠の美味しい御飯を食べて幸せです。今日のは師匠ご自身でも一段と最高に美味しく、最高傑作の喜びに身悶えてたのですね!』
『は?』
ラドクリフは何か失敗したのだと分かった。
『私、いつまでも師匠の迷惑にならぬよう、いつか師匠の助けを借りなくても、やっていけるようになりたいです。その手始めに料理を教えてください』
『……なんの話だい?』
『私、師匠の料理が大好きです。もし嫁ぐ事になったら師匠の手料理を食べられる機会があるかどうか分かりません。嫁ぐ事がなくても、いつまでもお世話になる訳にはいきません。だから、お別れになる前に教えて欲しいです』
自覚し始めたばかりの想いに突きつけられたのは、ローズからの別れだった。
『君は、出ていきたいの?』
『そういう訳じゃ、ありません。いつまでも師匠に甘えてばかりじゃ良くないという考えです』
ラドクリフは自覚した想いと同時に胸の傷みを覚えた。
甘えてばかりじゃ良くないだと? とことん優しく、ぐずぐずに甘やかして、僕がいないと生きていけないぐらいに、なんでもかんでもしてやるのに。
君は僕の事を好きだと言ったじゃないか。
『あの婚姻の話は無しだ』
『え? そうなんですか。まあ、だと思いました。私と結婚したいだなんて、そんな人いるのかなあと思ってました』
食事をパクパク食べながら、婚姻の話も無くなりラドクリフの告白まがいにも気にする素振りのないローズは、ラドクリフの思惑や想いに何一つ気付いていなかった。
巣立ちをする雛のように自由に羽ばたこうとする、そんなローズを、自分のもとに引き留め独占したい気持ちのままにラドクリフは告げた。
『君は僕がいないと生きていけないだろ』
その一言はローズが一番、傷付く言葉であるのをラドクリフは知らない。
その一言でローズは、自分がラドクリフを縛り付ける、面倒な重荷であるのを嫌でも思い知ってしまう。
『そう……ですね。なるべく師匠の御迷惑にならぬよう精進します』




