ラドクリフ・ブッセン2
『屋敷を引き払おうと思う』
『え?』
朝食の席で、唐突にラドクリフが告げた。
『独り身の僕に、この屋敷は広すぎる。仕事に復帰すれば帰ってくる事がないし、自分の家だと思ったことがない』
突然の事に食事をするローズの手が止まった。
『この際、君はハンナの元へ帰ったほうがいい。もっと早くこうすれば良かった』
『そう……ですか……』
じっと自分の手元を見つめながら、ローズはその一言だけで言うと、それ以上、何も言うことはなかった。
話はラドクリフが思ってるよりも、あっさりと終わってしまい、一番驚いたのはラドクリフだった。
少なからずローズが自分に淡い思いを抱いているのは分かっていたので、もう少し反応が返ってくるかとラドクリフは思っていたが、案外あっさりとしていたので拍子抜けしたのだ。
それから屋敷を引き払う手続きが順調に進み、孤児院のシスター・ハンナにもローズが帰ってくる事を快く受け入れられ、後は引っ越す当日を待つだけになった。
『あの、私の頼み事を叶えてくれて、ありがとうございます』
『いや、頼みがあると言うから何事かと思ったら、商店街に連れていってほしいなんて安いもんだよ』
ラドクリフとローズは商店街に揃って訪れていた。
前の日の夜にローズはラドクリフの部屋に訪れ、商店街に連れていって欲しいとラドクリフに頼んでいたのである。
『今日も人が多い。おいで』
後ろを振り返りラドクリフはローズに手を差し述べた。
そうするとローズは顔を赤く染めて、おずおずと手を差し出す。
その姿を目にする度にラドクリフは、可愛らしくて甘やかしたくなる気持ちにさせられた。
女性や男性にも恋愛的好意を寄せられる事は多々あるが、ローズに寄せられる好意には、妙に甘酸っぱい気にさせられ、それを嫌じゃない自分がいた。
『何か欲しいものある? 何でも買ってあげよう』
そうして手を引こうとすると、ローズはラドクリフの手を解き、立ち止まった。
『あ、あの……』
『どうした?』
『私、ラドクリフ様が好きです』
いきなりの告白にラドクリフは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
『あー……、うん、ありがとう。気持ちは嬉しーー」
『ラドクリフ様の笑った顔が大好きです。綺麗でキラキラしてます。髪も私よりツヤツヤしてて憧れます。初めて出会った時から大好きでした。ラドクリフ様のような魔法使いになりたいと憧れてました。だから、短い間でも師匠の弟子になれて幸せでした』
俯いていた顔を上げた瞬間、ラドクリフを真摯に見つめるローズの瞳にラドクリフは目が離せなくなった。
『私が弟子としてラドクリフ様の側に置かれたわけじゃないのは知ってます。今の私の状態じゃ魔法使いになれないのも知ってます。私よりラドクリフ様の弟子に相応しい人がいるのも知ってます。でも……』
ローズは、微笑んだ。
『いつか魔法使いになれるなら、またラドクリフ様の弟子になりたいです』
心動かされるという感覚は、こういうものなのかとラドクリフは思った。
一回り以上年下の少女と、どうこうなりたい気はないが、守ってやりたい、見守りたい、側に居てやりたいという感情が湧いた。
そしてラドクリフに予感が囁くのだ。
ここで手を離したら、もう二度と繋がり合う事はないだろうと。
互いの人生が、この先混じり合う機会は二度と来ない予感に、ラドクリフは淋しさを覚えた。
『なら、もう少し、僕の元にいる?』
若い頃から戦いに身を投じてきた人生。
世の中が平和な姿を目にする度に、国の為や平和の為じゃなく、自分を必要とする人の為に生きる人生に憧れを抱き、ローズが自分の元から巣立つまでの時間を、彼女の為に捧げても悪くないとラドクリフは思った。
それから屋敷を引き払うと同時に仕事への復帰は先送りにしてもらい、ローズはラドクリフ直々の管理下という形で一緒に住むようになった。
『師匠! 美味しいです~』
『当たり前だ。この僕が作ったんだから当然』
一緒に住み始めると家事全般苦手なローズを見かねて、ラドクリフが家事全般を担う事になったが、夕飯に並べられた食事は、鶏の唐揚げを南蛮だれにつけて、手作りタルタルソースをかけた一品に、サラダ、スープ、食後のデザートまで付いたプロ顔負けの食事が並べられていた。
『師匠、凄いです。私、師匠のようになれるように頑張ります!』
『調理に関しては趣味を兼ねてるから僕が担当しよう。君は、それ以外を精進なさい』
『……はい』
そう言いながら、ローズに対して甘やかす傾向を見せるラドクリフは甲斐甲斐しいほどに掃除、洗濯、家事全てを完璧にこなすのだった。
そんな生活が三年ほど過ぎると互いがいる生活には慣れ、ラドクリフからすれば、相手の為に尽くす生活が楽しかった。
作った手料理に顔を綻ばせて美味しそうに食べてくれるローズが可愛く、親が子にするように口まで運んで食べさせたくなるのだが、まさか自分が相手に尽くすことに喜びを感じる人間だとは思いもよらなかった。
弟子としてのローズは優秀であり、魔力酔いの件がなければ、どこに出しても恥ずかしくない程で、己の知識や技術を全て彼女に明け渡したいと思うほどだった。
『ですので、ラドクリフ様には王城で教鞭を執って頂きます』
『……ええ。王からの、ご命令ならば』
城からやって来た使いの男は、ラドクリフに王家からの命を伝えに来ていたが、人嫌いなラドクリフは家にいきなりやって来た男に対して、お茶一つ出す気がなく早く帰れと言わんばかりだった。
『良かった良かった。ラドクリフ様にも悪い話ではないのでね』
そんなラドクリフの性格は城中に知れ渡っているので、使いの者は気にする素振りは全くない。
『ところで、お屋敷に居た頃、私はローズ様の教師として雇われていたのですが覚えていらっしゃいますか?』
『教師に関しては経歴と王家からの任状で決めた。顔は覚えていない。それが何か?』
『だと思いました。ラドクリフ様は現在、ローズ様の保護監督者で合ってますよね?』
『ローズが、どうした?』
『ローズ様も成人を迎えますが、どうなさるおつもりですか?』
『とうも何も、彼女の魔力酔いを任せられる者が現れるまでは弟子として面倒みるつもりだ』
男の的を得ない質問にラドクリフは苛ついた。
そして、目の前の男の口から出るローズの名前にも、不快感を覚えずにいられない。
『それでは、僕に任せて頂いても、よろしいですか?』
『は?』
『彼女と婚姻を結びたいのです』
『はあ!?』
ラドクリフは驚きを隠せなかった。
『お前はローズより年上だろう! あんな若い娘に、そういう気を抱いてたのか!?』
『ローズ様は成人です。年上と言っても、老けて見られますが私はラドクリフ様より十も年下です。家庭教師をしていた頃は、貴方に認められたいと健気に努力する彼女に心打たれたまでです』
ラドクリフは、それ以上何も言えず、その男が帰っても衝撃のあまりラドクリフは椅子に座ったまま、しばらく動けずにいた。




