ラドクリフ・ブッセン
『ラドクリフ様……』
聞き覚えのある声に導かれるように、ラドクリフの意識が現実に戻る。
目を開けて目の前に居たのはローズの姿だった。
『ラドクリフ様!』
あまり回らない頭ながらにも、ベッドの上で寝かされている自分の状況を整理するが記憶がない。
だが、死にかけたのは分かった。
死に損なった。
自分のような人間は、いつ死んでもいいと生に執着を持てずにいたが、無駄に生命力だけはあるのかとラドクリフは溜め息が出た。
そんなラドクリフの傍らに居るローズはポロポロと涙を流していた。
ラドクリフはローズの涙に目が離せなくなった。
今まで、まともに目を合わせた事もなく会話らしい会話をしてこなかったが、こんな表情をする子だったのかと今更ながらに新しい発見だった。
視線に気付いたローズは、涙ながらにもラドクリフに向かって微笑んだ。
『ラドクリフ様が生きていてくれて良かった』
何故か、その一言でラドクリフは満たされたような気持ちになった。
自分の生き死にで涙を流してくれる人が居る。
この時から、ラドクリフがローズに抱く印象が変わっていった。
その後、屋敷での療養をする事になったラドクリフは、何年ぶりか屋敷での寝食する日々を過ごした。
ローズは一日を欠かすことなく、ラドクリフの元に顔を出しては体調はどうか調子は良いかと甲斐甲斐しく聞きに来る。
ある時、常に屋敷に居るローズを、なんとなく不思議に思い、君は何処にも出掛けないのかと、軽い興味本意でラドクリフはローズに聞くと返ってきた言葉は、
『私が外に出るのは、あまり良くないと……』
ローズが、その後の言葉を言いにくそうにした理由は聞かなくても分かった。
ラドクリフ自身がローズに外出を控えるようにと言ったのを思い出したのだ。
ラドクリフの預かり知らぬ場所で魔力酔いを起こした場合、駆けつけられないからというのは建て前で、万が一の事があったら面倒が自分に降りかかるからという身勝手な理由で言ったのを思い出した。
『出ようとは思わないのか?』
『……わかりません』
誰も彼女の為を思って連れ出そうと思わなかったのかと、自分の事を棚にあげて憤りを感じたが、自分が選んだ優秀すぎる使用人達がラドクリフの言いつけを破るはずもなかった。
『今すぐ、出掛ける仕度をしなさい』
『え?』
『僕と一緒に行こう』
『は、はい!』
半ば強引にラドクリフはローズを連れ出すと、ラドクリフが連れて来た場所は、王都で一番賑わう商店街だった。
『人が、すごい、ですね』
戦争が終わり他の国と物流が栄えるようになると、商店街に人が多く集まり、街に活気が溢れていた。
『はぐれないように、僕に掴まりなさい』
『は、はい!』
恐る恐るラドクリフの上着に手を伸ばし、恥ずかしそうに耳を赤く染めるローズの姿に気づいてラドクリフは、子供に抱くような可愛らしさをローズに感じた。
『何か、食べたい物がある?』
そう聞かれ辺りを見回すと、ローズは一つの出店に目が止まる。
『あれが……』
ローズが指差した先には、他の店より子連れが多く集まる綿飴屋があった。
『うん、いいよ』
ラドクリフが買いに行き綿菓子一つ持ってローズの元に戻ってきた。
『はい、どうぞ』
『ありがとうございます』
ラドクリフから受け取った綿菓子は真っ白でふわふわで甘い匂いがした。
『い、いただきます』
口に頬張ると、ローズは目を輝かせて美味しそうに顔を綻ばせた。
『もしかして食べたことがなかった?』
『はい』
『……そう』
『あの!』
『ん?』
『ありがとうございます』
嬉しそうに、はにかむローズの笑顔があった。
『そんなの、いつでも買えるさ』
純粋に嬉そうな感謝を述べられて、ラドクリフは面映ゆいような感情を感じた。
そんな自分の感情に、どうしていいか分からず、自分より年下の少女に大人げなく素っ気なくしてしまったのだが、他人とまともなコミュニケーションをしてこなかった男が、年頃の女の子の扱いなど知るわけもなかった。
『お帰りなさいませ。ご主人様、ローズ様』
『ご苦労』
恭しくラドクリフの荷物と羽織を受け取る老齢の使用人は、屋敷を取り仕切っている立場にあり、ラドクリフの指示を直接与えられる男だった。
『只今、夕食の準備をしておりますが、お二人様でご一緒に、お食事になさいますか?』
『うん、それでいい』
そうして珍しく食卓には二人分の食事が用意された。
『それだけしか食べないのか?』
並べられた二つの食事の違いに単純に抱いた疑問をラドクリフは、また口にしていた。
『それだけ、とは?』
並べられた食事は、屋敷専属のシェフによって栄養面もよく考えられスープから食後のデザートまで用意された、一流の食事だったが、ローズは量が少ないのである。
『それだけの量で足りるのかい? 君は成長期だろう……』
『満腹を得るのに、私には丁度良い量です』
『……そう』
答えに納得したのか、ラドクリフはテーブルに置かれたナプキンを手に取ると膝の上に置き、食事を始めようとナイフとフォークを手に取った。
『でも』
ラドクリフの手が止まった。
『こうやって誰かと食事するのは孤児院を出てから久しぶりです。嬉しいです』
そう言って、照れたようにはにかむローズの姿に、守ってやりたくなるような甘やかしたくなるような加護欲に近い感情が沸いた。
ラドクリフの中に初めて湧く感情だった。
『……これからは出来るだけ共に食事をしよう』
気付けば、そんな事をローズに口走っていた。
2ヶ月程の療養期間を過ぎ、ラドクリフは仕事への復帰を打診されるようになっていた。
だが、この2ヶ月間の生活を送りながら、ラドクリフは戻ることに迷いを抱き始めていた。
あれから食事の時間などローズと共に時間を過ごすようになり、会話の中で彼女が、この数年置かれていた環境を知るたび申し訳なさを感じていた。
大人になりつつあるが、まだ少女の幼さが残るローズは、処か孤独感を抱え、それを受け入れるローズの姿に、自分が彼女をそういう風にしてしまったかと思うと、何か彼女の為にしたいという感情が生まれた。
国への多大なる貢献で、この先仕事せずとも生きていけるわけで、仕事に復帰し檻の中のような屋敷でローズが、また一人きりで過ごすかと思うと躊躇いが生まれた。
今まで気にも留めなかったローズに対して、そう思う事にラドクリフは自分でも不思議だった。




