冒険者のケガ
その日の昼過ぎ、神殿の医療棟に人が運び込まれた。
アルテが中庭で歴代聖女の記録を読んでいると、慌ただしい足音が聞こえてきた。複数の人間が早足で回廊を通る音と、何か重いものを運ぶ気配。アルテは本を閉じて立ち上がった。
回廊に出ると、担架を運ぶ冒険者が二人いた。担架の上に、もう一人。横たわったまま動かない。顔が青白かった。
すれ違いざまに、冒険者の一人がアルテを見た。
「神官を呼んでくれ。エヴァの森で魔物にやられた。毒かもしれない」
アルテは一秒だけ止まった。それから走った。
◆ ◆ ◆
医療棟の当番神官はクレイン修道士だった。三十代の、温かみのある顔をした人で、普段は薬草の調合をしていた。アルテが呼びに行くと、すぐに道具袋を持って走ってきた。
担架の冒険者を寝台に移し、クレイン修道士が素早く傷を確認した。
右肩から胸にかけて、深い爪痕が三本走っていた。傷口が黒ずんでいた。
「毒です」とクレイン修道士は言った。淡々としていた。慣れているのだろう。「解毒の薬草を。棚の上段、青い瓶。それと浄化水を」
担架を運んできた冒険者の一人が動いた。もう一人はその場に残って、横たわった仲間の手を握っていた。若かった。二十歳を超えたくらいで、目が赤かった。泣いていたか、泣きそうなのか。
アルテは医療棟の端に立っていた。手伝えることがあれば、と思っていたが、クレイン修道士の動きは速くて的確で、入る隙がなかった。
横たわった冒険者の呼吸が、浅かった。
光精霊たちが、その人物の周りに集まり始めていた。
◆ ◆ ◆
クレイン修道士が解毒の処置を施した。薬草を練ったものを傷口に当て、浄化水を飲ませ、祈祷の言葉を唱えた。
しばらくして、横たわった冒険者の呼吸が少し整った。傷口の黒ずみが、わずかに薄くなった。
「毒は抜けてきています」とクレイン修道士が言った。「ただ傷が深い。回復に時間がかかる」
手を握っていた若い冒険者が、息を吐いた。
光精霊たちはまだ、横たわった冒険者の周りにいた。揺れ方が、普段と少し違った。何かを待っているような、静かな揺れ方だった。
アルテは一歩、前に出た。
「クレイン修道士」と言った。「光で回復を補助できますか」
クレイン修道士がアルテを見た。一瞬だけ考えるような顔をして、それから頷いた。
「やってみてください。毒は抜けてきているので、今なら」
アルテは寝台の横に膝をついた。
◆ ◆ ◆
光誕祭で「祝福の光」を放つのとは、少し違う。
あれは広く、遠くに届ける光だった。今必要なのは、狭く、深く届く光だ。傷口に、体の中に、毒の残滓に向けて。
アルテは目を閉じた。
精霊たちに話しかけた。言葉ではなく、感覚で。この人の傷を、少しでも楽にしてほしい。痛みを和らげてほしい。体の中にまだ残っているものを、外に出してほしい。
精霊たちが応えた。
今回は光誕祭の時とまた違う感覚だった。静かで、細くて、でも確かな流れがあった。アルテの手のひらから、横たわった冒険者の傷口に向かって、光が流れていく感じがした。
どのくらい経ったかわからなかった。
目を開けると、傷口の黒ずみがほとんど消えていた。傷自体は残っているが、赤みが正常な色になっていた。冒険者の顔色も、少し戻っていた。呼吸が、深くなっていた。
クレイン修道士が傷口を確認して、静かに言った。
「よかった。これなら三日で動けるようになる」
◆ ◆ ◆
手を握っていた若い冒険者が、アルテを見た。
「あんたが光を当ててくれたのか」
「はい」
「……ありがとう」
声が掠れていた。さっきまで泣いていたのかもしれなかった。アルテはどう返せばいいかわからなくて、ただ頷いた。
「仲間ですか」とアルテは聞いた。
「パーティを組んでる。こいつとは三年」若い冒険者は横たわった仲間を見た。「エヴァの森の中層に入ったら、予想外の魔物が出て。逃げ切れなかった」
「中層は難しいですよね」
「俺たちのランクなら問題ないはずだったんだが」若い冒険者は眉を寄せた。「最近、奥から変な気配がすることがある。森が落ち着かない感じで」
アルテは少し止まった。
「変な気配というのは、どんな」
「うまく言えないけど——普段いない種類の何かが、奥からこっちに来ようとしてる感じ。仲間も同じことを言ってた。ギルドにも報告は出してある」
アルテは、黒の根域の変化についての神殿会議の話を思い出した。ロアン神官が神官たちに報告していたのを、廊下で聞いてしまったあの話。
何かが動き始めている。
でも今日は、それを深く考える場面ではなかった。アルテは頭の隅にしまっておくことにした。
「早く良くなるといいですね」とアルテは言った。「光の精霊たちが、ちゃんと手伝ってくれました」
若い冒険者は少し目を丸くした。
「精霊が、直接?」
「わたしを通して、ですけど」
「……そういうもんなのか」若い冒険者は寝台の仲間を見た。それからアルテを見た。「あんた、神殿の見習いか。若いな」
「十二歳です」
「十二歳で光が使えるのか」
「精霊に借りてるだけです」とアルテは言った。いつも通りの答えだった。
若い冒険者はしばらく黙っていた。それから、ふっと笑った。穏やかな笑い方だった。
「謙虚だな」
「本当のことです」
「本当のことを言える人間が、謙虚に見える。それでいいと思う」
アルテはその言葉を、少し意外に思いながら受け取った。冒険者というのは、もっと荒っぽい人たちだと思っていた。この人は違った。
◆ ◆ ◆
横たわっていた冒険者が、夕方になって目を覚ました。
アルテはその頃にはもう夕食の準備で医療棟を離れていたが、クレイン修道士から後で聞いた。目を覚ました冒険者が「光の子どもに礼を言いたい」と言っていたと。
翌日、回復した冒険者がアルテを訪ねてきた。
三十代くらいの、日焼けした顔の男性だった。右肩に包帯が巻かれていて、まだ少し顔色が悪かったが、歩いていた。
「昨日助けてもらった。ありがとう」
「もう動けるんですか」とアルテは言った。「三日は安静にしてください」
「そのつもりだ。ただ礼だけは言いに来た」男性は少し笑った。「光の聖女様だと聞いた。こんな子どもだとは思わなかった」
「見習いです」
「見習いに助けてもらった。情けないと思うか?」
アルテは首を振った。
「精霊が助けてくれたんです。わたしはただ、お願いしただけ」
男性はアルテをしばらく見た。何かを確かめるような目だった。それから、深く頷いた。
「ギルドの連中に話す。光の神殿の見習いが、精霊と一緒に助けてくれたって」
「大げさにしなくていいです」
「大げさじゃない。本当のことだ」
男性はそれだけ言って、包帯の肩をそっと押さえながら帰っていった。
アルテは廊下に立ったまま、その背中を見送った。光精霊たちが、男性の後ろをしばらくついていってから、戻ってきた。
——また来たら、ちゃんと治してあげたい。
そう思った。精霊に頼んで、また借りて。自分にできる限りのことで。
◆ ◆ ◆
夜、アルテはミラに今日のことを話した。
ミラは最初から最後まで真剣に聞いていて、最後に言った。
「アルテってさ、人が傷ついてる時、迷わないよね」
「迷う?」
「どうしようとか、自分には難しいかもとか、そういうの考えないじゃない。すぐ動く」
アルテは少し考えた。
「考えてる時間がもったいない気がして」
「それだよ」とミラは言った。「それが、アルテがアルテな理由だと思う」
アルテはよくわからなかった。ただ、嬉しかった。
暖炉の前に座って、炎を見た。今夜の炎はいつもより少し大きかった。寒かったのか、妖精が元気なのか。
「今日もありがとう」とアルテは言った。今夜は精霊たちにも、炉端妖精にも、向けて言った。「また明日も、よろしくね」
炎がふわりと揺れた。
精霊たちも、静かに光った。
アルテは目を閉じた。今日一日の疲れが、ゆっくりと体から抜けていく感じがした。傷ついた冒険者の顔色が戻った瞬間が、まぶたの裏に残っていた。
光を使うたびに体が疲れると、先代の聖女は書いていた。
確かに疲れる。でも今夜は、それが嫌じゃなかった。
「おやすみ」と言った。
水都の夜が静かに深まっていった。




