ミラと薬と難民区
約束は、帰還から三日後に果たされた。
ミラが工房から持ってきたのは、白柳根の粉を固めた小さな錠剤が入った瓶と、乾燥させた解熱草の葉を束ねたものだった。瓶には師匠イレネの確認印が押してあった。
「師匠に、難民区へ持っていくって話したら」ミラは瓶を布袋に入れながら言った。「黙って確認印を押してくれた。何も言わなかったけど」
「それが、師匠の言い方なんだね」
「そう。——嬉しかった」
二人は難民区への道を並んで歩いた。春の水路沿いは花が咲き始めていて、行きかう人の顔も明るかった。難民区に近づくにつれ、道が細くなり、石畳が途切れる。それでも今日の空気は、冬に来た時より柔らかかった。
◆ ◆ ◆
エダ老婆は今日も小屋の前にいた。アルテたちを見て、皺だらけの顔をほころばせた。
「おや、二人で来たかい。今日は物資の日じゃないはずだが」
「薬を持ってきました」ミラが布袋を差し出した。「白柳根の錠剤と、解熱草です。熱の出た子供に使えます」
エダは袋を受け取り、瓶を覗き込んだ。「これは……神殿のものかね」
「わたしが作りました。師匠の確認が入っています」
エダは少しの間、ミラを見た。それからゆっくりと頷いた。「ありがたい。ちょうど先週から、幾人か熱を出してる子がいてね。——お前さんが作ったのか」
「はい」
「大したもんだ」エダは短く言った。その言葉の重みを、ミラは静かに受け取っていた。
ナヤが小屋の陰から出てきた。アルテを見て、それからミラを見た。
「薬、持ってきたの?」
「うん」ミラは答えた。「ナヤが熱を出したら、使えるように」
「熱、出ない」
「出ないのが一番いいんだけど」ミラは笑った。「念のため、ね」
ナヤはその答えを聞いて、少し考えてから「そっか」と言った。短い言葉だったが、受け取った、という感じがあった。
◆ ◆ ◆
しばらく区の中を歩いた。ミラは薬の使い方を、エダを通じて居住区の世話役たちに説明した。アルテはその横に立ちながら、ミラの話し方が変わったことを感じていた。神殿での話し方ではなく、もっと地に足のついた、相手の目を見て話す言い方になっていた。
ナヤはずっと、少し離れたところからついてきていた。アルテが振り返るたびに視線が合ったが、ナヤは別に用があるわけではない、という顔をした。アルテはそれを見て、また小さく嬉しくなった。
区の外れの石垣のところまで来た時、ナヤが口を開いた。
「シロっていう精霊、どんな感じだった?」
アルテは少し考えた。「白くて、輪郭がぼんやりしていて——でも、ちゃんとそこにいる感じ。声ではないのに、言葉が届く」
「根守りみたい」ナヤは言った。「見えないけど、ちゃんといる」
「そうかもしれない。シロも、長い間誰にも会えないでいたから——根守りが土の中で静かにいるのと、似てるね」
ナヤはそれを聞いて、石垣の根元に手を当てた。少しの間、そのままでいた。
「……温かい」ナヤは静かに言った。「いつもより」
「春だから、かな」
「ちがう」ナヤは首を振った。「春は関係ない。根守りが、今日は近い気がする」
ソルテが聞いたら何と言うだろう、とアルテは思った。きっと「そう。よく分かった」と短く言うだろう。
「ナヤは、上手になってきてる」アルテは言った。
「別に」
「別に、じゃない。ちゃんとすごい」
ナヤは答えなかった。石垣から手を離して、少し俯いた。その頬が、また動いた。
◆ ◆ ◆
帰り道、ミラは少し疲れた顔をしていたが、目が明るかった。
「緊張した」ミラは言った。「説明している間、ずっと手が震えてた」
「見えなかったよ」
「隠してた。師匠に、手は道具だから落ち着かせろって言われてるから」
「イレネ師匠、厳しいね」
「でも正しい」ミラは水路の方を見ながら言った。「——届いたかな。ちゃんと」
「届いた。エダさんの顔、見てたでしょ」
「見てた。——なんか、泣きそうになった」ミラは少し笑った。「こらえたけど」
「泣いてもよかったのに」
「薬師が泣いてたら、頼りなく見えるでしょ」ミラは言った。「帰ってから泣く」
アルテは笑った。それがミラらしかった。感情を持ちながら、でも場所を選ぶ。自分のやるべきことを分かっている人の、きちんとした強さ。
「ミラ」アルテは言った。「自分の場所、見つかったね」
ミラは少し黙ってから、「うん」と言った。「——アルテが、ちゃんと聞いてくれたから」
「聞いただけだよ」
「聞いてもらえたから、言えた。言えたから、動けた」ミラは水路の方を見たまま言った。「それって、小さいことじゃないと思う」
アルテはその言葉を、静かに受け取った。聞くことは何もしないことじゃない——四十五話の夜に手記に書いた言葉が、今日また別の形で返ってきた。
夜、アルテは手記を開いた。今日は書きたいことがはっきりしていた。
「ミラが作った薬が、難民区に届いた。ミラは帰ってから泣くと言っていた。わたしは聞いただけだとミラに言ったが、ミラは『聞いてもらえたから言えた、言えたから動けた』と言った。
今日はその言葉をずっと考えている。誰かの言葉を受け取ることが、その人の動きを作ることがある。精霊の感応と似ているかもしれない。こちらが受け取る準備をしていると、向こうも届けやすくなる——ロアン先生が以前、そう言っていた気がする。
わたしにできることは、まだそれほど多くない。でも、受け取ることは、できる」
炉端妖精がいつものように現れた。春の夜は窓を少し開けていて、外の風が入ってきた。妖精の炎がわずかに揺れた。
「おやすみ」アルテは囁いた。「——ナヤのところの子にも、今夜もよろしく」
妖精はひとめぐりして、消えた。遠くで水路の音がして、春の夜がゆっくりと更けていった。




