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ミラの師匠

ミラが薬師工房に通い始めて、ひと月が経った。


朝、神殿を出るミラの背中が、最初の頃と変わってきた。最初の週は、緊張で肩が上がっていた。二週目には、少し慣れてきたような歩き方になった。今のミラは——少し急いでいる。楽しみにしている人の歩き方だった。


「師匠ってどんな人?」アルテは今朝、一緒に朝食を食べながら尋ねた。「最初に会った時は、目が優しかったって言ってたけど」


「怖い人だよ」ミラはためらいなく言った。「口数が少なくて、間違えると黙って見てくる。あの沈黙が一番こたえる。怒鳴られる方がまだ楽」


「でも、楽しそう」


ミラは少し考えてから、「楽しいとは違うかな」と言った。「やりがい、に近い。毎日、昨日の自分より少しだけ分かることが増える感じ。それが、なんか、やめられない」


「それは楽しいってことだよ」


「そう?」ミラは笑った。「だったらそうかも」


◆ ◆ ◆

その日の午後、アルテは初めてミラの工房を訪ねた。


薬師工房は水路沿いの石造りの建物で、扉を開けると乾燥した薬草の香りが漂ってきた。棚には無数の瓶が並び、天井から束になった草が吊るされている。奥の作業台でミラが何かをすり潰していた。


「アルテ」ミラが顔を上げた。「来てくれたの? でも今日は……」


「邪魔するつもりはない。少しだけ見ていてもいい?」


「師匠に聞いて」


奥から人が出てきた。五十がらみの、小柄な女性だった。白髪が半分混じった髪を後ろで束ね、エプロンに薬草の汁が染みている。アルテを見た目は鋭かったが——確かに、目の奥が優しかった。


「神殿の聖女様か」女性は言った。声は低く、抑揚が少なかった。


「アルテミアと申します。ミラの友人です。見学させていただいてもよいでしょうか」


女性は少し間を置いてから、「邪魔しないなら」と短く言った。それだけで踵を返し、奥の棚の整理に戻った。


ミラが小声でアルテに耳打ちした。「あれ、許可。師匠の返事は全部短いから」


◆ ◆ ◆

アルテは作業台の端に静かに座り、ミラの手元を見ていた。


ミラは今日、乾燥させた根の皮をすり潰して粉にする作業をしていた。力の入れ方、すり鉢の角度、粒の細かさを確かめるための指の動き——全部に、一月前にはなかった慣れた所作があった。


「それ、何の根?」


「白柳根。解熱と痛み止めに使う。難民区の子供たちに多い冬の熱に効くって、師匠が教えてくれた」


「ミラが作ったものが、難民区の人たちに届くんだね」


「まだ師匠のチェックが入らないと出せないけど。——でも、そのためにやってる」ミラはすり鉢を動かしながら、静かに言った。「ナヤみたいな子が、もし熱を出した時に、役に立てたらって思う」


アルテは黙って頷いた。


奥の棚から、師匠の声がした。


「ミラ。粒が粗い。もう一度」


ミラは「はい」と答えて、すり鉢をまた動かし始めた。怯んだ様子はなく、ただ真剣な顔で手元を見た。その横顔は、神殿にいる時のミラとは少し違った。自分の場所にいる人の顔だった。


アルテは、それを見ていてよかったと思った。


◆ ◆ ◆

帰り道、二人で水路沿いを歩いた。冬の日は短く、午後の半ばでもう陽が傾いていた。


「師匠、名前は?」アルテは尋ねた。


「イレネさん。——師匠って呼んでるけど、名前で呼んでいいって最初に言われた。でも、なんとなく師匠の方がしっくりくる」


「厳しいけど、嫌いじゃない?」


「全然」ミラは迷わずに言った。「師匠は、間違えた時にちゃんと間違えたって教えてくれる。誤魔化さない。それが、最初は怖かったけど、今は一番ありがたい」


「誤魔化さない、か」


「薬は誤魔化せないから、って師匠が言ってた。量を間違えたら毒になるし、粒が粗ければ効かない。正確に作ることが、相手を大事にすることだって」ミラは少し前を見ながら言った。「それを聞いた時、なんか、すごく納得した。わたしが今まで漠然と思ってたことを、ちゃんと言葉にしてもらったみたいで」


「正確に作ることが、相手を大事にすること」アルテは繰り返した。「それは——精霊使いの仕事にも通じる気がする」


「そう?」


「感応の練習も、雑にやれば精霊に伝わる。丁寧にやれば、それも伝わる。——ロアン先生がよく言う」


ミラは笑った。「ロアン先生とイレネ師匠、なんか似てるかもしれない。口数が少なくて、でも言葉が正確で」


「言われてみると、確かに」


二人は橋の上で立ち止まり、水路を見下ろした。冬の水は夏よりも澄んでいて、底の石が見えた。流れは緩く、けれど確かに動いていた。


「アルテ」ミラがふと言った。「春に根域へ行くって、聞いた」


「エランから?」


「ソルテから。——怖い?」


「怖い」


「そっか」ミラは水面を見たまま言った。「帰ってきたら、難民区に一緒に行こう。わたしが作った薬を、一緒に届けたい」


「絶対行く」


「約束ね」ミラはアルテを見て、微笑んだ。刺繍を縫っている時とも、神殿で笑っている時とも、少し違う笑い方だった。自分の場所を見つけた人の、穏やかな笑み。


夜、アルテは工房の香りをまだ少し感じながら、手記を開いた。


「今日、ミラの師匠に会った。口数が少なくて、厳しくて、でも目が優しい人だった。『正確に作ることが、相手を大事にすること』というイレネ師匠の言葉を、ミラが自分のものとして持っていた。


ミラはずっと、自分の場所を探していた。それがやっと見つかったのだと思う。誰かと一緒にいることだけが、そばにいることではない——ソルテがそうであるように、ミラもまた、自分の場所から繋がってくれている。それが今日、工房でよく分かった」


炉端妖精がいつものように現れた。今夜は暖炉の火が落ち着いていて、妖精の揺らぎもゆっくりだった。アルテはその温かさに手を近づけながら、囁いた。


「おやすみ。——みんな、それぞれの場所にいる。それが、なんだかとても嬉しい」


妖精はひとめぐりして、静かに消えた。水路の音が窓の外で低く響き、冬の夜はゆっくりと更けていった。



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