エランの剣
エランが毎朝素振りをするようになったのは、根域から帰った翌週のことだった。
最初は中庭の隅で、人に見られないような時間を選んでいた。アルテが気づいたのは偶然で、早朝の課業の前に水を汲みに出たら、回廊の向こうに人影があった。声はかけなかった。邪魔をするべき場面ではないと、すぐ分かったから。
それから一月ほどが経ち、エランの素振りは中庭の真ん中に移っていた。時間も、人目を避けない時間帯になっていた。カトが時々横で見ていることもある。二人がそこで何かを話しているのは見えるが、内容までは聞こえない。
今朝、アルテが中庭に出ると、エランが珍しく素振りを止めて立っていた。剣を鞘に収め、ただそこにいた。
「おはよう」アルテが声をかけると、エランは振り返った。
「ああ」
「今日は早く終わったの?」
「少し、聞いてほしいことがある」エランは言った。前置きなく。
◆ ◆ ◆
二人は中庭のベンチに並んで座った。冬の朝は空気が澄んでいて、遠くの運河の音がよく聞こえた。エランは剣を膝の横に立てかけ、しばらく正面を向いたまま何も言わなかった。
「カトに話を聞いてもらった」やがてエランは言った。「セイのことを」
「うん」
「カトは——詳しくは聞かなかった。ただ、頷いていた。それで十分だった」エランは少し間を置いた。「お前に名前を話してから、少し楽になった。カトに話してから、もう少し楽になった。——なぜそうなるのか、理屈は分からないが」
「言葉にすると、形が変わるのかもしれない」アルテは静かに言った。「頭の中にあるままだと、大きくなり続けるものが、口に出すと、ちゃんとした大きさになる、みたいな」
エランはそれを聞いて、少し考えてから頷いた。「そうかもしれない」
「それで——聞いてほしいことって」
エランはまた少し黙った。それから、ゆっくりと言った。
「剣を、ちゃんと再開しようと思う。冒険者として、ではなく——もう一度、師に習いに行くつもりだ」
アルテは少し驚いた。「師匠のところへ? 今の師匠が、北の方にいるんでしたっけ」
「ああ。ただ、今すぐではない。春になってから、一度訪ねる予定だ。——ゲルアラントを、しばらく離れることになる」
その言葉に、アルテは一瞬、胸のどこかが引っかかるのを感じた。それを顔に出さないようにしながら、静かに尋ねた。
「どのくらい?」
「一月か、二月か。師の都合による」エランはアルテの方を向いた。「報告しておこうと思った。——お前には」
「報告、か」アルテは少し笑った。「報告じゃなくて、話してくれたんでしょ」
エランは少し間を置いてから、「そうだな」と短く言った。
◆ ◆ ◆
昼前、カトを見つけたのは市場の近くだった。いつものように街の様子を見回りながら、屋台の干し魚を眺めていた。
「エランから聞きました」アルテは隣に立ちながら言った。「師匠のところへ行くって」
「ああ」カトは干し魚から目を離さずに答えた。
「カトさんも、一緒に行くんですか」
「俺は行かない。あいつが一人で行くべき旅だ」
「そうですね」アルテは少し考えてから言った。「カトさん、エランに何か言いましたか。話を聞いた時に」
「何も言わなかった」カトは短く答えた。「言う必要がなかった」
「何も言わないことが、必要な時があるんですね」
カトはそこで初めて、アルテを横目で見た。「お前さんは、もう分かってるだろう」
アルテは頷いた。ロアンに「何も言わなくていい」と言われた日のことを、思い出した。言葉は常に必要ではない。そばにいることが言葉になる時がある。
「カトさんは」アルテはふと尋ねた。「帰りたい場所は、ありますか」
カトは少し黙った。干し魚の屋台の向こう、水路に視線を移した。
「あった場所は、もうない」静かに言った。「だから——今いる場所を、少しずつ、帰る場所にしていくしかない」
「この街が、そうなっていますか」
「……なりつつある」カトは短く言った。それだけだったが、その「なりつつある」は、これ以上ない答えのように聞こえた。
◆ ◆ ◆
夕方、アルテは一人で中庭に戻った。エランが置いていった剣の稽古の跡が、石畳にうっすらと残っていた。足の運びの跡。素振りの軌跡。毎朝ここで、あの人は何かと向き合っていたのだと思うと、その石畳が違うものに見えた。
精霊たちが夕暮れの中庭に集まってきていた。光芒妖精が尖塔の方から降りてきて、回廊の柱の周りをゆっくりと回っていた。葉陰妖精は枯れた薬草園の近くに固まって、土の気配を読んでいるようだった。
アルテは石畳の上に立ち、目を閉じた。精霊たちの気配が波のように寄せてくる。今日は言葉ではなく、ただ温かさだけが伝わってくる感じだった。根域で感じた「懐かしさ」とは違う。もっと日常的な、当たり前の温かさ。
——ここにいる。
精霊たちが伝えてくるのは、いつもそれだけだった。そしてそれだけで、十分だった。
エランが春に旅立つこと、カトがここを帰る場所にしようとしていること、ナヤが少しずつ精霊たちの名前を覚えていくこと、ミラが薬師工房で何かを学んでいること、ロアンが北の過去と向き合い始めていること、セレーヌが白い精霊の目覚めを静かに待っていること——。
全部が同時に動いていた。アルテはその中心にいるわけではなかったが、それぞれの動きを知っていた。知っていて、そばにいた。それが今の自分にできることで、今の自分がすべきことだと、目を閉じたまま思った。
夜、手記を開いてから、アルテはしばらくペンを持ったまま動かなかった。書くべきことは分かっていたが、どんな言葉にするか迷っていた。やがてゆっくりと書き始めた。
「エランが春に旅立つ。師匠のところへ、剣を習い直しに。セイのことを誰かに話してから、少し楽になったと言っていた。言葉にすると形が変わる、と言ったら、そうかもしれないと頷いてくれた。
カトは、今いる場所を帰る場所にしていくしかない、と言った。その言葉をずっと考えている。帰る場所は、最初からあるものではなく、少しずつ作っていくものなのかもしれない。だとすれば——わたしも、誰かにとってのその場所を、少しずつ作る手伝いができるだろうか」
炉端妖精がいつものように現れた。今夜は暖炉の火が少し強く、妖精の揺らぎもいつもより大きかった。アルテはその温かさを受け取りながら、囁いた。
「おやすみ。——エランが春に行くまで、まだ時間はある。その間に、ちゃんと話せることを話しておこう」
妖精はひとめぐりして、静かに消えた。暖炉の火だけが、冬の夜をゆっくりと照らし続けていた。




