ナヤの最初の名前
ナヤが神殿に来たのは、午後の鐘が鳴ってすぐだった。
正門の前で立ち止まり、中に入っていいものかどうか迷っているのが、窓から見えた。アルテは急いで階段を下り、外に出た。
「待たせてごめん。入れなかった?」
「入れる、けど」ナヤは正門の柱を横目で見ながら言った。「でかい」
「慣れると気にならなくなるよ」
「慣れる気がしない」
それでもナヤは、アルテの後について中に入った。正門をくぐった途端、ナヤの目が忙しく動いた。回廊の柱、中庭の石畳、尖塔の方向——そして、空中のあちこちに漂う光の粒。
「多い」ナヤが小さく言った。
「神殿は精霊が集まりやすい場所だから。ナヤにはどんなふうに見える?」
「街よりずっと多い。重なってる。——あと、種類が違う」
「種類の違いが分かるの?」アルテは少し驚いた。「大きさ以外にも?」
「色、が少し違う。ぜんぶ光ってるけど、白っぽいのと、黄色っぽいのと、あと——あっちに、青みがかってるのがいる」
ナヤが指さした先に、アルテには見慣れた光芒妖精が漂っていた。確かに、光芒妖精はわずかに青みを帯びている。それを初めて来た子供が、自然に見分けているということに、アルテは静かな驚きを覚えた。
◆ ◆ ◆
薬草園では、ソルテがすでに待っていた。
ナヤはソルテを見て、少し警戒した目になった。ソルテはナヤを見て、何も言わずにじっと見つめた。お互いに無言のまま、しばらくそうしていた。
「気配、静か」ソルテがやがて言った。「尖ってない」
ナヤはソルテの言葉の意味が分からない様子だったが、悪いことを言われたわけではないと分かったらしく、少し肩の力が抜けた。
「ソルテ」アルテが紹介した。「薬草園の世話をしてる。精霊の気配を感じることができる」
「見えるの?」ナヤがソルテに直接尋ねた。
「見えない。感じる」ソルテは答えた。「ナヤは見える?」
「見える」
「どんなふうに」
「光の粒。色が少し違う」
ソルテはそれを聞いて、小さく頷いた。「いい。——教えることがある」
ソルテの言い方に、押しつけがましさはなかった。ただ事実として「教えることがある」と言っただけだったが、ナヤには伝わったらしく、今度は素直に頷いた。
三人は枯れかけた薬草園の隅に並んで座った。冬の陽射しが低く差し込み、土は乾いて白っぽかった。
「最初に教えることは」ソルテが言った。「名前」
「名前?」ナヤが繰り返した。
「精霊の名前。名前を知ると、少し近くなる。呼ぶと、もう少し近くなる」
「呼んだら、来るの?」
「来ない、こともある。でも、聞こえてる」ソルテは薬草の枯れ株の傍らに手を置いた。「名前は、その子のことを知ろうとしてる、という意味。精霊はそれを分かる」
ナヤはしばらく考えてから、「じゃあ、毎晩来るやつの名前は」と言った。
「炉端妖精」アルテが答えた。「暖かいところが好きで、居心地のいい人のそばに来る」
「炉端妖精」ナヤは口の中で繰り返した。一度、二度。それから、少し低い声で、はっきりと言った。「炉端妖精」
その瞬間、薬草園の空気がわずかに揺れた。
アルテには感じられた。ナヤの周りに集まっていた光の粒のひとつが、ほんの少しだけ近づいた。炉端妖精ではなく、葉陰妖精だったかもしれない。でも、何かが動いたのは確かだった。
ナヤは気づいていた。目が、少し大きくなっていた。
「……動いた」
「うん」アルテは静かに言った。「聞こえてたんだよ」
ナヤはしばらく、その光の粒を目で追いかけた。光は答えるように、ゆっくりとナヤの周りを一巡りして、それからふわりと離れた。逃げたのではなく、ただ自分のペースで動いただけという感じだった。
「逃げた?」ナヤが言った。
「逃げてない」ソルテが答えた。「精霊は、急がない。ナヤが急がなければ、また来る」
◆ ◆ ◆
それから三人は、薬草園に来る精霊たちの名前を順番に教えた。葉陰妖精、光芒妖精、根守り(土の中にいる、動かない種類の精霊で、ソルテがいつも話しかけているもの)。
ナヤは黙って聞いていたが、時折、自分が見えているものと名前を照合するように視線を動かした。葉陰妖精と聞いた時は、枯れた薬草の葉の近くを漂う光を指さした。根守りと聞いた時は、少し迷ってから土の方を見た。
「根守りは見えない」ナヤは言った。「でも、なんかいる気がする。土の下」
「そう」ソルテが短く言った。「根守りは光が弱い。でも気配は大きい」
「感じ方が違うんだ」
「ナヤは見えることが得意。わたしは感じることが得意。——どっちが正しいはない」
ナヤはその言葉を聞いて、少し黙った。それから、ぽつりと言った。「ずっと、自分だけ変なのかと思ってた」
ソルテが、ナヤを真っ直ぐに見た。「変じゃない。ただ、見える」
アルテは何も言わなかった。言う必要がなかった。
◆ ◆ ◆
帰り際、ナヤは正門の前でもう一度、尖塔の方を見上げた。
「あそこに、青いのがいる」
「光芒妖精。尖塔が好きな子がいるんだ」アルテは言った。「高いところから、街全体を見てるみたい」
「見張ってるの?」
「どうかな。見てるのが好きなのかも」
ナヤはしばらくその光を見ていた。それから、小さく、ほとんど聞こえないくらいの声で言った。
「光芒妖精」
尖塔の光が、わずかに揺れた。遠すぎて、それが本当に返事なのか分からなかった。でもナヤの口元が、今日初めて、ほんの少しだけ緩んだ。
「また来ていい?」ナヤが言った。
「もちろん。毎日でもいいって言ったでしょ」
「……毎日は、来ない」ナヤは少し考えてから付け加えた。「でも、また来る」
「待ってる」
ナヤは頷いて、振り返らずに歩いていった。難民区の方へ続く石畳の道を、まっすぐに。その背中は小さかったが、来た時より少しだけ、肩が上がっていた。
「いい子だ」ソルテがアルテの隣でぽつりと言った。
「うん」
「早く上手になる気がする」
「そうかな」
「気配が、素直。受け取り方が、まっすぐ」ソルテはナヤの消えた方をまだ見ながら言った。「精霊は、そういう人が好き」
夜、アルテは手記を書きながら、今日のナヤの顔を思い返した。名前を呼んだ瞬間の、少し大きくなった目。光が動いた時の、静かな驚き。帰り際に尖塔の光に呼びかけた、ほとんど聞こえない声。
「ナヤが最初の名前を覚えた日だった。炉端妖精、葉陰妖精、光芒妖精、根守り——四つ。わたしが最初に覚えた名前が何だったか、もう覚えていないけれど、ナヤが覚えた順番はきっとずっと覚えているだろうと思う。
ソルテが言った通り、名前を呼ぶことは、知ろうとしているという意味だ。ナヤはそれを今日、初めてした。精霊たちはきっと、分かっている」
炉端妖精がいつものように現れた。今夜はいつもより早く、アルテが手記を書き終える前に来た。アルテはその揺らぎを見ながら、囁いた。
「おやすみ。——今日ナヤに呼んでもらったでしょ。聞こえてた?」
妖精はひとめぐりして、それからもう一度だけ揺れた。返事のような、そうでないような。アルテは微笑んで、手記を閉じた。




