十五歳の冬
十五歳になったのは、その年の冬の終わりだった。
誕生日の朝、アルテは目が覚めた時、何かが変わった気がした。でも、何が変わったのかは、すぐにはわからなかった。部屋の空気は同じで、運河の音も同じで、精霊たちも同じように揺れていた。
ただ——少し、静かな気がした。
自分の中が、いつもより静かだった。
「おはよう」と精霊たちに言った。精霊たちが、少し、いつもより近くに来た。まるで、今日という日を、一緒に迎えようとしているような動き方だった。
アルテは、窓を開けた。春の気配が混じり始めた冬の朝の空気が入ってきた。運河が光を揺らしていた。
「十五歳か」とアルテは、声に出して言った。誰に言うでもなく。
◆ ◆ ◆
朝の礼拝の後、ミラが待っていた。
「おめでとう」とミラは言った。去年も、一昨年も、同じ言葉で言ってくれた。でも今年は、少し、声の重さが違った。
「ありがとう」とアルテは言った。
「今日から、成人だよ」とミラは言った。「わたしたちの世界では」
「うん」
「どんな気分?」
アルテは、少し考えた。
「静かな気分」とアルテは言った。「何かが変わった気がするけど、何が変わったかはわからない。ただ——静かな感じがする」
ミラは、少し頷いた。「静かか」と繰り返した。「アルテらしいね」
エランが来て、「おめでとうございます」と言った。ソルテが来て、「精霊たちが、今日は少し金色が強いです」と言った。
四人で、朝食を食べた。
◆ ◆ ◆
その日の午後、セレーヌ大神官に呼ばれた。
「十五歳になりました」とセレーヌ大神官は言った。「成人の年です」
「はい」
「気持ちは?」
アルテは、ミラに言ったのと同じことを言った。「静かな気分です」と。
セレーヌ大神官は、少し微笑んだ。
「いい答えです」と言った。「騒がしい気持ちよりも、静かな気持ちで迎えた方が——成人という節目には、相応しい気がします」
「セレーヌ様は、成人の時、どうでしたか」とアルテは聞いた。
セレーヌ大神官は、少し考えた。
「怖かった」と言った。「責任が増えることが。でも——あの頃のわたしには、あなたのように、傍にいてくれる人たちがいなかった。あなたは、恵まれています」
アルテは、その言葉を、静かに受け取った。
◆ ◆ ◆
「今年から」とセレーヌ大神官は続けた。「いくつか、変わることがあります」
「変わること?」
「成人した聖女として、神殿の中での立場が変わります。これまでは見習いでしたが、今後は——正式な聖女として、神殿の運営にも関わってもらいます」
「ロアン先生の講義は?」
「続きます」セレーヌ大神官は言った。「学ぶことは、いくつになっても終わらないので。ただ——立場は変わります」
「ミラとエランとソルテとの時間は?」
「あなたが作ればいい」セレーヌ大神官は言った。「立場が変わっても、関係は、あなたが守れば続きます」
アルテは、少し安心した。
「もうひとつ」とセレーヌ大神官は言った。「今年の春の光誕祭に、フレンツ陛下が正式に参列します。来年と言っていましたが、今年の春の光誕祭の日程が、あなたの成人の年の光誕祭と重なることを——陛下が大切にしたいと、王宮から連絡が来ました」
アルテは、少し驚いた。
「今年の、光誕祭に」
「はい。あなたが成人として初めて臨む光誕祭を——王として、見届けたいそうです」
◆ ◆ ◆
光誕祭まで、あと二月ほどだった。
アルテは、その夜、鐘楼に上った。一人で。
窓から、街を見た。冬の終わりの夜で、空気が澄んでいて、遠くまで見えた。聖環水路が光を揺らしていた。市場区の灯りが、点々と見えた。港湾区の方向には、船の灯りが並んでいた。
この街が、好きだと思った。
三年前、初めてこの鐘楼に上った時と、同じことを思った。でも今は——好きということの中身が、少し増えていた。運河の形を知っている。橋の上の花売りの声を知っている。エヴァの森の境目の空気を知っている。ベルトが言っていたミルヴァの干し果物の味を知っている。ガレンが持ってきた外の世界の緊張を知っている。
三年前に好きだったこの街と、今好きなこの街は、同じ街で、違う街だった。
◆ ◆ ◆
精霊たちが、傍にいた。
アルテは、精霊たちに話しかけた。言葉ではなく、感覚で。
——三年、ありがとう。
精霊たちは、答えなかった。ただ、少し近づいてきた。
アルテは、目を閉じた。
精霊の気配の中に、いろんなものが混ざっている気がした。光誕祭で溢れた光の感覚。冒険者の傷口に届けた細い光の感覚。ベルトの傍で揺れていた精霊の気配。ソルテが「金色が強い」と言った朝の感覚。エヴァの森の境目で感じた、古くて大きな気配。
すべてが、精霊たちと一緒にあった。
アルテは、目を開けた。
「十五歳も、よろしくね」と言った。
精霊たちが、静かに光った。
◆ ◆ ◆
鐘楼を下りる前に、アルテは神殿丘の下を見た。
聖環水路の石畳を、ひとりの人物が歩いていた。質素な上着。飾りのない歩き方。
アルテは、少し目を凝らした。
その人物が、神殿の方を見上げた。鐘楼の窓に、目が止まった気がした。
アルテは、手を上げた。
その人物も、少し、手を上げた。
それだけだった。声は届かない。顔もはっきりとは見えない。でも——わかった。
フレンツだった。
来てくれたのだ。誕生日に。光誕祭より前に。王として来たのではなく、ただのフレンツとして。
アルテは、しばらく、その場から動けなかった。胸のあたりが、温かかった。
◆ ◆ ◆
下りてから、石段を駆けようかと思ったが、やめた。
行っても、きっともう、石畳にはいない。ただの通りすがりだったのかもしれない。でも——アルテには、わかっていた。
それでよかった。
見えただけで十分だった。
アルテは、部屋に戻った。暖炉の前に座った。炎が、今夜はいつもより明るく揺れていた。
あの紙の束を手に取った。三年分の記録。最初の一枚を思い出した。ベルトに会った夜のこと。今はもう、そこから遠くに来た気がする。でも、繋がっている。
新しい紙を出した。
十五歳になった。静かな気分だった。鐘楼から、フレンツさんを見かけた。手を振り合っただけ。でも嬉しかった。今年の光誕祭に、正式に来るらしい。成人として初めて臨む光誕祭。怖いけど、楽しみでもある。精霊たちに「よろしくね」と言った。三年、ありがとうと言いたかった。この街が、今日も好きだ。それだけで、十分な誕生日だった。
書き終えた。
「おやすみ」と言った。
炎がふわりと揺れた。精霊たちが、金色に近い光で、静かに揺れた。ソルテが言っていた通りだった。今日は、金色が強かった。
水都の夜が深くなった。十五歳の最初の夜が、静かに流れていった。




