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羅針亭

冒険者ギルド「羅針亭」は、市場区の水路沿いにあった。


大きな木造の建物で、入口の上に、羅針盤を象った彫刻が掲げられている。アルテは何度も外からその建物を見たことがあったが、中に入るのは初めてだった。


ロアン神官と一緒に、アルテは扉を開けた。


中は、思っていたより明るかった。広い土間に、長い木のテーブルが並び、壁には地図や依頼の紙が貼られている。冒険者たちが、テーブルを囲んで話していた。年齢も服装も様々で、武器を持った者もいれば、地味な道具袋だけの者もいた。


アルテたちが入ると、何人かが顔を上げた。神官服を見て、少し興味を持ったような視線が集まった。


◆◆◆

奥の机に、一人の女性が座っていた。


四十代くらいだろうか。短く切った髪に、革の上着。机の上には、依頼書の束と、何か書き込みをしている帳面があった。アルテたちに気づくと、立ち上がった。


「ロアン神官」と女性は言った。「珍しいですね、見習いを連れて」


「ギルドマスター、ターラ」とロアン神官は言った。「今日は、紹介に来ました」


女性——ターラは、アルテを見た。少し、何かを確かめるような目だった。


「光の聖女、というのは聞いていたが」とターラは言った。「こんなに小さいとは思わなかった」


「十四歳です」とアルテは言った。


「十四歳で、もう聖女か」ターラは、少し笑った。「大変だな」


アルテは、その言い方が、嫌じゃなかった。気遣いすぎない、率直な物言いだった。


◆◆◆

「実は」とロアン神官が言った。「この子は、冒険者の間でも、少し噂になっているかもしれません」


「噂?」とアルテは聞いた。


ターラが、少し笑った。


「ああ、噂だな」とターラは言った。「『神殿の見習いが、傷を治してくれた』っていう話、二年前くらいから、ちらほら聞いてる」


アルテは、第七話のことを思い出した。あの時の冒険者が、ギルドに話してくれたのだろう。


「あの時の方、ですか」


「ハロルドか」ターラは言った。「ああ、あいつだ。あれ以来、何かと『光の子』の話をする」


「光の子?」


「あんたのことだよ」ターラは、少し肩をすくめた。「冒険者の間じゃ、そう呼ばれてる。本名は知らない奴も多いけどな」


アルテは、少し驚いた。自分が、神殿の外で、そんな呼び名を持っているとは知らなかった。


◆◆◆

「今日は」とターラは言った。「何のために来た」


「これから、神殿の代表として、街のいろいろな場所に挨拶をすることになりました」とアルテは言った。「ギルドの方とも、知り合いになりたくて」


「知り合いになりたい、ね」ターラは、少し興味深そうに言った。「神殿の代表が、そういう言い方をするのは珍しい」


「珍しいですか」


「普通は『神殿として、ギルドとの協力関係を確認したい』とか、そういう言い方になる」


アルテは、少し考えた。


「そういう言い方も、できると思います。でも——本当にそう思っているのは、『知り合いになりたい』の方です」


ターラは、しばらくアルテを見た。それから、笑った。


「いいな」とターラは言った。「気に入った」


◆◆◆

ターラは、ギルドの中を案内してくれた。


依頼の掲示板、装備を扱う部屋、報告書を集める部屋。それぞれの場所で、ターラは簡単に説明をした。アルテは、興味深く見て回った。


「あんた」とターラが、ふと言った。「エヴァの森に、何度も行ってるって聞いたが」


アルテは、少し止まった。


「……知ってるんですか」


「冒険者の何人かが、外縁で見たことがあるって言ってた。光精霊と一緒にいる子どもがいる、って」


アルテは、顔が熱くなった。


「すみません、許可を取らずに——」


「咎めてるわけじゃない」ターラは言った。「むしろ——あんたが森にいる時、森の様子が、いつもより穏やかになるって、冒険者が言ってた」


「穏やか?」


「妖精の悪戯が少なくなる、とか。道に迷いにくくなる、とか」ターラは言った。「精霊使いがいるから、ってことなんだろうな」


◆◆◆

アルテは、少し考えた。


「もし——その、わたしが森に行くことで、冒険者の方々の助けになるなら」とアルテは言った。「もっと、ちゃんと行ってもいいですか。許可を得て」


ロアン神官が、少し驚いた顔をした。


ターラも、少し考える顔をした。


「それは——いい提案かもしれない」とターラは言った。「ただ、安全には気をつけてもらわないとな。エヴァの森の外縁は安全だが、中層に近づくと、何が出るかわからない」


「外縁だけでも、大丈夫です」とアルテは言った。


「ロアン神官、どう思う」とターラは聞いた。


ロアン神官は、少し考えてから言った。


「セレーヌ様に相談する必要があります。ただ——個人的には、いい案だと思います」


◆◆◆

「ところで」とターラは、話題を変えた。「最近、黒の根域の様子がおかしいって話、聞いてるか」


アルテは、少し息を止めた。


「……聞いています」


ターラは、少し表情を硬くした。


「報告が増えてる」とターラは言った。「攻略ルートが変わってる、見たことのない魔物が出る、奥から何か『気配』がする——いろんな冒険者から、似たような話が来る」


「ギルドとしては、どう対応するんですか」


「今は、Aランク以下の冒険者には、黒の根域への立ち入りを控えるように言ってる」ターラは言った。「Sランクの『霊樹』の二人には、調査を頼んでる」


「霊樹の人たちは、何かわかったんですか」


ターラは、少し首を振った。


「まだ、何も。ただ——『何かが、奥で動いている』っていう感覚だけは、二人とも報告してる」


◆◆◆

アルテは、その言葉を、静かに受け止めた。


第十八話で、ソルテと一緒に感じた精霊の異変。あれは、まだ続いている。ギルドの最上位の冒険者たちも、同じことを感じている。


「もし」とアルテは言った。「わたしに、何かできることがあれば——教えてください」


ターラは、アルテを見た。


「十四歳に、そんなこと言われるとは思わなかったな」とターラは言った。少し、苦笑いしながら。「だが——覚えておく。何かあったら、神殿に伝える」


「お願いします」


◆◆◆

神殿に戻る道で、アルテは少し、考え込んでいた。


ロアン神官が、それに気づいて言った。


「今日のことは、いい一歩でした」


「はい」とアルテは言った。「でも——黒の根域のことは、また少し、気になりました」


「セレーヌ様にも、ターラから直接、報告が入ることになるでしょう」とロアン神官は言った。「あなたが、それを今すぐ、一人で何かしなければならない、ということではありません」


「わかってます」とアルテは言った。「でも——いつか、何か、するかもしれない。その時に、ちゃんと動けるように——準備はしておきたいと思います」


ロアン神官は、少し、アルテを見た。


「準備、というのは」


「エヴァの森に行くことも、その一つかもしれません」とアルテは言った。「精霊たちと、もっと一緒に過ごす時間。それが、何かの時に——役に立つかもしれない」


◆◆◆

夜、アルテは紙に書いた。


冒険者ギルドに行った。ターラさんという人が、ギルドマスターだった。気持ちいい人だった。冒険者の間で「光の子」と呼ばれていることを知った。エヴァの森に行くことが、冒険者の助けになっているらしい。もっと正式に行けるかもしれない。黒の根域のことは、まだ続いている。Sランクの冒険者でも、何かが起きていることしかわからないらしい。怖いけれど、今日、ターラさんに「何かあったら教えてください」と言えた。それは、自分から言った言葉だった。前のわたしには、言えなかったかもしれない。


暖炉の炎が揺れていた。


「今日は、新しい人に会った」とアルテは言った。「ターラさんっていう人。気に入った、って言われた」


炎が、嬉しそうに揺れた気がした。


「おやすみ」


水都の夜が深くなった。羅針亭の灯りも、今頃は消えているだろう。明日も、冒険者たちは、迷宮へ向かう。



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