十四歳の春
十四歳になった春、アルテは初めて、自分の部屋を持つことになった。
これまでは見習い棟の共同部屋——ミラと同じ部屋で、子どもの頃からずっとそうだった。でも、聖女としての務めが増えるにつれ、夜中に資料を読んだり、精霊との対話に集中したりする時間が必要になってきた、というのが神殿側の説明だった。
新しい部屋は、神殿区の中でも、本堂に近い棟にあった。聖女の居室、と呼ばれる場所だった。窓からは、聖環水路と、その向こうの市場区まで見渡せた。
「広いね」とミラは、引っ越しの荷物を運びながら言った。声が、少し寂しそうだった。
「広すぎるくらい」とアルテは言った。「一人だと、なんか落ち着かない」
「でも、夜中に資料読むなら、必要だもんね」
「うん」
二人は、しばらく黙って荷物を片付けた。アルテの荷物は、それほど多くなかった。本と、着替えと、あの紙の束。一年分以上の、小さな記録。
◆◆◆
荷物が片付いた後、ミラが扉の前で言った。
「アルテ」
「うん?」
「寂しい」
アルテは、少し驚いた。ミラがそう言うのを、初めて聞いた気がした。
「同じ部屋じゃなくなるのが?」
「うん」とミラは言った。「夜、隣のベッドで話す時間が、なくなるから」
アルテは、少し考えた。それから言った。
「でも、隣の棟だよ。すぐ会える」
「わかってる」とミラは言った。「でも、なんか——アルテが、少しずつ、遠くに行く気がする」
アルテは、その言葉に、少し胸が痛んだ。
「行かないよ」とアルテは言った。「部屋が変わるだけ」
ミラは、少し笑った。寂しそうな笑顔だった。
「うん。わかってる」
◆◆◆
その夜、アルテは新しい部屋で、初めて一人で過ごした。
暖炉は、新しい部屋にもあった。炉端妖精が、ここにもいるかどうか、アルテは少し気になった。火を入れてみると、炎が少し、戸惑うような揺れ方をした。
「初めまして」とアルテは言った。「ここでも、よろしくね」
炎は、最初は静かだった。それから、少しずつ、いつもの揺れ方に近づいてきた。新しい場所に、新しい妖精がいるのか、それとも前の部屋から付いてきてくれたのか——アルテにはわからなかった。どちらでもいいと思った。
光精霊たちは、いつもと同じように、部屋の中で揺れていた。それは、変わらなかった。
アルテは、窓から外を見た。
聖環水路が見えた。前の部屋からの景色とは、少し角度が違う。市場区が、よく見えた。夜の光が、まだいくつか灯っていた。
ミラの部屋がある見習い棟も、見えた。どの窓がミラの部屋か、正確にはわからなかったが、その方向を見た。
◆◆◆
翌日の午前、講義の後、アルテはセレーヌ大神官の部屋に呼ばれた。
「部屋は、どうですか」とセレーヌ大神官は聞いた。
「広くて、少し落ち着かないです」とアルテは正直に言った。
「そうでしょうね」セレーヌ大神官は、少し笑った。「最初は、誰でもそうです」
「ミラが、寂しいって言ってました」
セレーヌ大神官は、少し表情を変えた。
「それは——あなたにとって、大切な言葉ですね」
「はい」とアルテは言った。「どうしたらいいか、わかりません」
「どうもしなくていいです」セレーヌ大神官は言った。「ただ、覚えておくこと。部屋が分かれても、関係は分かれません。それは、あなたが決めることです」
アルテは、頷いた。
◆◆◆
「今日、呼んだのは」とセレーヌ大神官は言った。「別のことです」
アルテは、少し身構えた。
「今年から、あなたには、もう少し外に出る機会が増えます」とセレーヌ大神官は言った。
「外に?」
「神殿の代表として、街の重要な場所を訪れること。市場区の組合、冒険者ギルド、港湾区の漁師組合——そういった場所に、神殿の代表として顔を出すことが、これからは増えていきます」
アルテは、少し戸惑った。
「それは——聖女としての、公式な仕事ですか」
「そうです」セレーヌ大神官は言った。「これまでは、式典の中だけで、街と関わっていました。これからは、もう少し、日常の中で」
「なぜ、今からですか」
セレーヌ大神官は、少し考えた。
「あなたが、十四歳になったからです」と言った。「十四歳は、大人になる準備の年です。十五歳で成人を迎える前に、街の人々と、もう少し深く関わってほしい」
◆◆◆
「最初は、冒険者ギルドに行ってみますか」とセレーヌ大神官は言った。
アルテは、少し目を輝かせた。
「行けるんですか」
「行けます。むしろ——」セレーヌ大神官は、少し笑った。「あなたが、エヴァの森に何度も『散歩』に行っていることは、知っています」
アルテは、少し顔が熱くなった。
「……知ってたんですか」
「知っていました」セレーヌ大神官は言った。「咎めません。ただ——正式に行くなら、もっと胸を張って行けます」
アルテは、少し笑った。
「いつ行けばいいですか」
「来週、ギルドの方から神殿に来る予定があります。その時、紹介します」セレーヌ大神官は言った。「冒険者ギルドのギルドマスターと、ロアン神官は、長い付き合いがあります。あなたも、いずれ顔を覚えてもらうことになるでしょう」
◆◆◆
部屋を出て、アルテは少し、頭がいっぱいになっていた。
新しい部屋、新しい役割。十四歳という年が、今までとは違う何かを運んでくる予感がした。怖いというより——新しい扉が開く感覚だった。
廊下で、エランに会った。
「セレーヌ様に呼ばれていましたね」とエランは言った。「何かありましたか」
アルテは、今日聞いたことを話した。冒険者ギルドのこと、街の組合との関わりのこと。
エランは、興味深そうに聞いていた。
「それは」とエランは言った。「いい話だと思います」
「そう?」
「あなたが、神殿の外の人々と、もっと直接関わるようになる。それは——わたしが『考える』対象が、増えるということでもあります」
アルテは、少し笑った。
「またそれ?」
「冗談ではありません」とエランは、少し真剣な顔で言った。「あなたが冒険者ギルドに行くなら、わたしも、ギルドのことを少し調べておきます。何か知っておいた方がいいことがあれば」
「ありがとう」とアルテは言った。
◆◆◆
夜、アルテは新しい部屋で、あの紙を出した。
部屋が変わった。ミラが寂しいと言った。その気持ちは、覚えておこうと思う。今日、セレーヌ様から、街との関わりが増えることを聞いた。冒険者ギルドに、正式に行けるかもしれない。エヴァの森に「散歩」していたことを、セレーヌ様は知っていた。咎められなかったことが、少し嬉しかった。十四歳は、新しいことが始まる年なのかもしれない。怖さより、楽しみの方が、今は大きい。
暖炉の炎を見た。炎は、もう完全に、いつものように揺れていた。
「ここでも、よろしくね」とアルテは言った。
炎が、ふわりと揺れた。
「おやすみ」
水都の夜が深くなった。新しい部屋からの景色は、少し違っていたが、運河は、いつもと同じように流れていた。




