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祝福祭

冬の夜は、長い。


祝福祭は、一年で最も日が短い夜に行われる。日が落ちるのが早く、夜が来るのも早い。そして、その長い夜を、街の人々は灯りを絶やさずに過ごす。


水廻りは、日没とともに始まる。


アルテは、聖女の礼装に着替えた。光誕祭の白い礫装とは違う、深い藍色の装束だった。冬の夜に映える色だと、初めて着た時にセレーヌ大神官が言っていた。


聖泉の前に立った。


水は、冬でも冷たくならない。聖泉の水は、一年中同じ温度を保っている。アルテは、水盆に泉の水を汲んだ。両手で抱えるほどの大きさの、銀の水盆だった。


セレーヌ大神官が、アルテの肩に手を置いた。


「今年は、無理をしないこと」


「はい」


「精霊たちも、一緒にいます。あなたは、一人ではありません」


アルテは、頷いた。


◆ ◆◆

最初の場所は、聖環水路だった。


神殿丘を囲む幹線運河。アルテは、丘を下りて、運河の縁に立った。水盆の水を、両手で掬って、運河に注いだ。


祈りの言葉を唱える。短い言葉だった。光が、この水とともに、街を巡りますように。


水面に、水盆の水が広がっていく。光精霊たちが、その水の上で、淡く光った。


アルテは、目を閉じた。精霊たちの力が、少しだけ、水に溶け込んでいくのを感じた。去年よりも、ずっと、軽い感覚だった。


「次は、市場区の井戸ですね」とロアン神官が言った。


アルテは、頷いた。一緒に歩き出した。


◆ ◆◆

市場区は、すでに静かだった。


祝福祭の夜は、店を閉めて、家族で過ごすのが習わしだった。窓に、ろうそくの灯りが見えた。どの家も、灯りを絶やさないようにしている。それが、長い夜への祈りだった。


市場区の中心にある古い井戸。アルテは、その縁に水盆を置いて、同じ祈りを捧げた。


井戸の水面に、光が映った。


少し離れた場所で、何人かの市民が、静かにこちらを見ていた。声をかけることはなかった。ただ、見ていた。アルテは、その視線に気づいて、小さく頭を下げた。市民たちも、同じように頭を下げた。


言葉はなかった。でも、何かが伝わっていた。


◆ ◆◆

港湾区への道は、少し長かった。


運河沿いを歩きながら、アルテは、冬の夜の空気を感じた。冷たいが、刺すような冷たさではなかった。この街の冬は、優しい冬だった。


「アルテ」とロアン神官が言った。歩きながら。「去年のこと、覚えていますか」


「あまり、覚えていません」とアルテは正直に言った。


「去年のあなたは、ここまで来た時には、もう声が出ていませんでした」


アルテは、少し驚いた。


「そうだったんですか」


「祈りの言葉も、最後はわたしが代わりに唱えました。あなたは、ただ、水を注ぐことだけを、必死に続けていました」


アルテは、何も言えなかった。覚えていない自分の姿を、ロアン神官の言葉で初めて知った。


「今年は」とロアン神官は言った。「声、出ていますね」


「はい」とアルテは言った。今、その言葉の意味を理解した。


◆◆◆

港湾区の灯台のそばに、小さな祠があった。


祠は、海に向かって建っていた。冬の夜の海は、星明かりだけで、黒く広がっていた。波の音が、静かに聞こえた。


アルテは、祠の前に立った。最後の場所だった。


水盆には、まだ水が残っていた。アルテは、その水を、祠の前に注いだ。


祈りの言葉を、最後まで、自分の声で唱えた。


光が、この水とともに、海を巡りますように。遠くから来る者たちにも、光が届きますように。


最後の一節は、いつもの祈りの言葉ではなかった。アルテが、自分で付け加えた言葉だった。


ロアン神官が、少し驚いたように、アルテを見た。


「今の言葉は」


「……今年、付け加えました」とアルテは言った。「だめでしたか」


ロアン神官は、少し間を置いた。


「だめではありません」と言った。「むしろ——いいと思います」


◆◆◆

祈りが終わった。


アルテは、水盆を置いて、海を見た。星が、水面に映っていた。光精霊たちが、その星明かりの中で、ゆっくりと揺れていた。


体は、確かに疲れていた。去年のような、限界の疲れではなかった。普通の、長い一日を歩いた後の疲れだった。


「終わりましたね」とロアン神官が言った。


「終わりました」とアルテは言った。少し、笑った。


「立っていられますか」


「立っていられます」とアルテは言った。「去年とは、全然違います」


ロアン神官は、少し頷いた。それから、海を見た。


「他の場所も、今頃、終わっている頃でしょう」とロアン神官は言った。「セレーヌ様や、他の神官たちが」


「みんなで、やってくれたんですね」


「みんなで」とロアン神官は繰り返した。「そうです」


◆◆◆

神殿に戻る道、アルテは、街の灯りを見た。


どの家も、ろうそくを灯していた。長い夜に、光を絶やさないように。


神殿丘を上る途中、聖環水路のところで、アルテは足を止めた。


水面に、無数の小さな光が映っていた。最初に注いだ水が、街全体の運河を巡って、ここまで戻ってきているのかもしれなかった。光精霊たちが、その光の中で、ゆっくりと泳いでいた。


「きれいです」とアルテは言った。


「きれいですね」とロアン神官も言った。


二人で、しばらく、その光景を見ていた。


◆◆◆

神殿に着くと、セレーヌ大神官が待っていた。


「お疲れ様」とセレーヌ大神官は言った。アルテの顔を見て、少しほっとしたような表情をした。


「立っていますね」


「立っています」とアルテは言った。「今年は、全然違いました」


「よかった」セレーヌ大神官は言った。「今夜は、ゆっくり休みなさい。明日は、講義を休んでいいと、ロアン神官にも伝えています」


「それは——」とロアン神官が言いかけた。


「明日は休みです」とセレーヌ大神官は、繰り返した。少し強い声で。


ロアン神官は、何も言わなかった。アルテは、思わず笑った。


◆◆◆

部屋に戻ったアルテは、藍色の装束を脱いで、普段の服に着替えた。


体は疲れていたが、去年とは違う種類の疲れだった。深く眠れる疲れ、というものだと、アルテは初めて知った。


暖炉の前に座った。炎が、いつものように揺れていた。今夜は、精霊たちの気配が、すっかり「丸い」感じに戻っていた。


「今年は、ありがとう」とアルテは言った。「精霊たちも、お疲れ様」


炎が、ふわりと揺れた。


アルテは、あの紙を出した。今日のことを書こうと思ったが、いつもより、文字を書く手が重かった。一行だけ書いた。


今年は、最後まで自分の声で祈れた。来年も、きっと大丈夫。


それだけ書いて、紙を閉じた。


「おやすみ」と言った。


炎がふわりと揺れた。精霊たちが、静かに光った。


水都の長い夜が、静かに過ぎていった。街中のろうそくが、夜通し灯っていた。

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