祝福祭の準備
秋が深まり、収穫祭が終わると、神殿の空気は一年で最も静かになる。
収穫祭の賑やかさが過ぎ去り、冬に向かう街は色を落としていく。柳の葉が黄色くなり、運河の水がいっそう澄んで見えるようになる。光の角度が低くなり、神殿のステンドグラスが午後早くから赤く染まる季節だった。
そして、冬の祝福祭の準備が始まる。
祝福祭は四つの祭りの中で、最も静かで、最も厳粛な祭りだった。光誕祭の輝き、大祭の熱気、収穫祭の温かさとは違う。祝福祭は、長い夜に光の加護を祈る祭りだった。
そして、その中心には「水廻り」という儀式がある。
聖女が、聖泉の水を運河の各所に注いで回る。アルテにとって、それは一年で最も体力を使う儀式だった。去年は、終わった後に三日間寝込んだ。
◆ ◆◆
その日の午後、アルテはセレーヌ大神官の部屋に呼ばれた。
「水廻りの準備について、話したいことがあります」とセレーヌ大神官は言った。
アルテは少し身構えた。去年の祝福祭が、まだ体に記憶として残っていた。聖泉から運河の各所まで、決められた順路を歩き、それぞれの場所で祈りを捧げて水を注ぐ。長い夜の儀式だった。
「今年は」とセレーヌ大神官は言った。「順路を少し、変えようと思います」
「変える、というのは」
「短くする、ということです」
アルテは驚いた。
「でも——順路は、古くから決まっているものですよね」
「決まっているものですが」セレーヌ大神官は静かに言った。「儀式の本質は、順路の長さではなく、祈りの誠実さにあります。あなたが去年、三日間寝込んだことを、わたしは知っています。今年は、あなたの体に合わせて調整します」
◆ ◆◆
アルテは、少し戸惑った。
「でも、それで——大丈夫なんですか。儀式として、ちゃんと成立するんですか」
「成立します」とセレーヌ大神官は、はっきりと言った。「わたしが、長年この神殿を見てきました。儀式は、人を守るためにあるものです。儀式のために人が壊れるのなら、それは儀式の意味を間違えています」
アルテは、その言葉を、ゆっくりと受け取った。
「先輩たちは、どうしてたんですか」とアルテは聞いた。「歴代の聖女は、全部の順路を歩いていたんですか」
セレーヌ大神官は、少し考えた。
「記録によれば、初代と二代目は全行程を歩いています。三代目以降は——少しずつ、短くなっています。聖女の体力や、その時代の状況に応じて」
「変えてもいいものなんですね」
「変えていいものです」セレーヌ大神官は言った。「変わらないのは、祈りの中身です。形は、時代とともに、その時の聖女に合わせて変わっていい」
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アルテは、少し安心した。でも、別のことも気になった。
「短くすると——その分、街の運河に届く祝福が、減るんじゃないですか」
セレーヌ大神官は、アルテを見た。
「いい質問です」と言った。「実は、今年は、別の案も考えています」
「別の案?」
「順路を短くする代わりに——ロアン神官や、他の神官たちにも、一部の場所での祈祷を分担してもらう、という案です」
アルテは、少し目を丸くした。
「聖女以外の人が、水廻りに参加するんですか」
「水廻り全体は、聖女の儀式です。その本質は変わりません。でも——聖泉の水を運ぶこと、各所で簡単な祈祷を行うことは、神官にもできます。あなたは、最も重要な数か所だけを巡る。残りは、神官たちが補う」
「それで、街の人たちは——納得してくれますか」
「説明すれば、わかってもらえると思います」セレーヌ大神官は言った。「街の人々が望んでいるのは、祝福であり、聖女が倒れることではありません」
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アルテは、しばらく考えてから言った。
「ロアン先生に、聞いてみてもいいですか。先生がどう思うか」
「もちろんです」
その日の夕方、アルテはロアン神官のもとを訪ねた。
「先生」とアルテは言った。「祝福祭の水廻りのこと、聞きました。先生も、分担に入るって」
ロアン神官は、少し驚いたような顔をした。それから、頷いた。
「セレーヌ様から、話がありました」
「先生は、どう思いますか」
ロアン神官は、少し考えた。
「正直に言えば」と言った。「最初は、伝統を変えることに抵抗がありました。水廻りは、聖女だけが行うものだと、長年教えられてきましたから」
「でも?」
「でも——去年、あなたが三日間寝込んでいたのを見て、わたしも考えました」ロアン神官は、静かに言った。「伝統を守ることと、あなたを守ることが、対立するなら——わたしは、あなたを守る方を選びます」
アルテは、少し胸が詰まった。
「ありがとうございます」
「礼を言われることではありません」とロアン神官は言った。いつもの言い方だったが、声に少し違うものが混じっていた。
◆ ◆◆
その夜、見習い棟で、アルテはミラとエランに今日のことを話した。
「先生たちが、儀式に参加するの?」とミラは目を丸くした。
「うん。順路を分担して」
「アルテは、今年は楽になるんだ」
「楽、っていうか——去年より、ちゃんと終われるかもしれない」とアルテは言った。「去年は最後の方、よく覚えてない」
「覚えてない?」
「途中から、ふらふらで。終わったことだけ覚えてて、最後の方の場所は、どこを通ったか曖昧」
ミラは、少し心配そうな顔をした。
「それは——危なかったんじゃない」
「うん」とアルテは認めた。「今思えば、危なかったかもしれない」
エランが、静かに言った。
「今年の変更は、いいことだと思います」
「エランも、そう思う?」
「儀式の意味を、形式より大切にする判断です」エランは言った。「セレーヌ様の判断は、いつも——正しいことが多いです」
アルテは、頷いた。
◆ ◆◆
翌週から、神官たちは祝福祭の準備を始めた。
順路の見直し、分担する神官の割り当て、各所での祈祷の練習。アルテも、自分が巡る場所を確認するために、ロアン神官と一緒に運河沿いを歩いた。
聖泉から、最初に向かうのは——神殿丘を囲む聖環水路。それから、市場区の中心にある古い井戸。そして、港湾区の灯台のそばにある小さな祠。
「この三か所が」とロアン神官は言った。「最も古くからある、重要な場所です。ここだけは、聖女が必ず巡ります」
「他の場所は?」
「神殿区の外周にある、いくつかの祠。それから——」ロアン神官は、少し言葉を止めた。「エヴァの森の入口にある祠も、本来は順路に入っています」
「エヴァの森?」
「迷宮の入口にある祠です。冒険者ギルドが管理している場所でもあります」
アルテは、少し興味を持った。
「そこは、今年は誰が行くんですか」
「わたしが行く予定です」とロアン神官は言った。
◆ ◆◆
準備の合間、アルテはベルトのところにも顔を出した。
「祝福祭の準備で、忙しいんだろう」とベルトは言った。
「うん。でも今年は、去年より楽みたい」
「楽になったのか」
「分担してもらえることになって」とアルテは言った。「セレーヌ様が、決めてくれた」
ベルトは、少し笑った。
「いい大神官だな」
「うん」とアルテは言った。「すごく、いい人」
「祝福祭は、ミルヴァにも似たような祭りがあった」とベルトは言った。「冬至の頃、長い夜に灯りを絶やさない祭りだ。村中の家が、夜通し灯りをつけていた」
「似てるね」とアルテは言った。
「似ている」ベルトは頷いた。「どこの土地でも、長い夜には、光が欲しくなるものなんだろう」
◆ ◆◆
夜、アルテは紙に書いた。
今年の祝福祭は、去年より楽になるかもしれない。セレーヌ様が、儀式の形を変えてくれた。伝統を守ることより、人を守ることを選んでくれた。ロアン先生も、その判断を支持してくれた。ベルトさんは、ミルヴァにも似た祭りがあったと言っていた。長い夜には、どこでも光が欲しくなる。それは、人間に共通することなのかもしれない。
暖炉の前に座った。炎が揺れていた。精霊たちの気配は、最近、少しずつ「丸い」感じに戻ってきていた。完全にではないけれど。
「今年の祝福祭は、一緒に頑張ろうね」とアルテは言った。
炎が、ゆっくりと揺れた。
「おやすみ」
水都の夜が深くなった。冬が、少しずつ近づいていた。




