ベルトさんと春
春になった。
運河沿いの柳が芽吹き、市場の屋台に新しい野菜が並び始めた。光誕祭まで、あと半月ほどだった。神殿はまた少しずつ、忙しくなり始めていた。
アルテは午後の自由時間、中庭に向かった。
ベルトはそこにいた。
冬の間、ベルトは神殿の保護を受けていた。クレイン修道士の手当てで体調も戻り、最近は中庭の薬草園の手入れを手伝うようになっていた。年配だが手先は器用で、土を扱うことには慣れていた。
「アルテ」とベルトは言った。最初に会った時と違って、今は名前で呼んでいた。
「こんにちは」とアルテは言った。「薬草園、調子どうですか」
「悪くない」とベルトは言った。手にしていた小さなシャベルを置いて、伸びをした。「この国の土は、わたしのところの土とは違う。でも悪くない」
アルテは隣にしゃがんだ。土はまだ少し冷たかったが、春の匂いがした。
◆ ◆ ◆
「もう少し暖かくなったら」とベルトは言った。「街を見て歩きたいと思っている」
「いいと思います」とアルテは言った。「外、楽しいですよ」
「あなたは外をよく知っているのか」
「この街のことだけです」とアルテは言った。「他の国は知りません」
ベルトは少し笑った。
「それでいい」と言った。「わたしも、自分の村のことしか知らなかった。それで七十年、十分だった」
アルテは少し驚いた。
「十分だったんですか」
「十分だった」ベルトは土を見ながら言った。「失われるまでは」
沈黙が少し続いた。アルテは何も言わなかった。何を言えばいいかわからなかった。
ベルトが続けた。
「だから、あなたがこの街のことしか知らないことを、悪いとは思わない。むしろ——」ベルトは少し考えた。「その街を、大切にしてほしい。失われる前に知っておくべきものを、もう知っているのだから」
アルテは黒い土を見た。
「失われないように、できますか」
ベルトは少し間を置いた。
「わからない」と正直に言った。「わたしの村は失われた。でもこの街は——」ベルトは顔を上げて、神殿の塔を見た。「ここには、光がある」
「光があれば、失われないんですか」
「わからない」ベルトはもう一度言った。「でも、何もないより、何かがある方がいいと思う。光があるなら、それを信じたいと思う」
アルテは神殿の塔を見た。白い石が春の光を受けていた。
◆ ◆ ◆
夕方、アルテは市場に向かった。
ベルトのために、何か持っていけるものはないかと思った。神殿の食事は十分だが、市場には外から来た品もある。ミルヴァの食べ物に似たものがあれば、少しでも懐かしく感じるかもしれない。
市場を歩いていると、見覚えのある屋台があった。
第十話で見た、外国の蜂蜜菓子を売っていた屋台だった。今日も同じ商人がいた。アルテは近づいて、菓子を見た。香辛料の香りがした。ミルヴァのものかどうかはわからなかったが、聞いてみる価値はあると思った。
「これは、どこの国のお菓子ですか」とアルテは聞いた。
商人は少し驚いたように顔を上げた。それから、訛りのある言葉で答えた。
「ノルダンのものだよ」
ノルダン。ミルヴァではなかった。でも、北の国の品だ。
「ミルヴァの品はありますか」とアルテは聞いた。
商人は少し考えた。それから「ちょっと待って」と言って、荷台の奥を探した。出てきたのは、小さな干し果物の包みだった。
「これはミルヴァのものだ。最近、ミルヴァから来た商人が少し持ってきていた。残りはこれだけだよ」
アルテはそれを買った。
◆ ◆ ◆
神殿に戻ると、ベルトはまだ薬草園にいた。
アルテは干し果物の包みを渡した。
「これ、ミルヴァのものだそうです」
ベルトは包みを受け取った。手のひらの上で、しばらく見ていた。
包みを開けて、一つ取って、口に入れた。
ベルトは何も言わなかった。しばらく、黙って味わっていた。それから、目を閉じた。
アルテは何も聞かなかった。聞かなくていいことだと思った。
長い時間が経って、ベルトは目を開けた。
「ありがとう」と言った。声が少し掠れていた。
「美味しいですか」とアルテは聞いた。
「美味しい」とベルトは言った。「うちの村でも、よく作っていた。妻が」
それ以上は言わなかった。アルテも、それ以上は聞かなかった。
光精霊たちが、二人の周りで静かに揺れていた。
◆ ◆ ◆
少しして、ベルトは包みをアルテに差し出した。
「一つ食べなさい」
「いいんですか」
「持ってきてくれたのはあなただ。一つくらい食べる権利がある」
アルテは一つ取って、口に入れた。甘くて、少し酸味があって、香辛料の風味がした。今までに食べたことのない味だった。
「美味しいです」とアルテは言った。
「だろう」とベルトは少し笑った。「うちの村の自慢の品だった」
「またミルヴァに帰れたら、作れますか」
ベルトは少し止まった。
「帰れるかどうかは、わからない」と言った。「でも——もし誰かに教える機会があれば、教えるよ。この街の誰かでもいい」
「教えてください」とアルテは言った。「いつか」
「いつか」とベルトは繰り返した。
夕陽が薬草園を橙色に染めていた。柳の若葉が風に揺れていた。光精霊たちが、その光の中で揺れていた。
◆ ◆ ◆
夜、アルテは部屋で歴代聖女の記録を読んだ。
二代目の聖女の章の終盤に、こんな一節があった。
遠くから来た人々と話すようになって、わたしは初めて、自分の知っている世界が世界のすべてではないことを知った。そしてまた、自分の知っている世界が、彼らにとっての光であることも知った。光とは遠くから来た人を照らすものでもあるが、同時に、彼らがその光を見て初めて、わたしはその光の意味を知るのだとも思う。
アルテは本を閉じて、しばらく考えた。
ベルトが「ここには光がある」と言った。「光があるなら、それを信じたい」と。
アルテにとって光は、ずっと自分の中にあるものだった。精霊から借りるもの、礎であり重荷でもあるもの。でもベルトにとっての光は、遠くから歩いてここまで来て、ようやく見つけたものだった。
同じ光が、こんなに違う意味を持つ。
アルテは光精霊たちを見た。今夜も静かに、優しい光で揺れていた。
「ありがとう」とアルテは言った。
精霊たちは答えなかった。ただ、少し近づいてきた。
◆ ◆ ◆
暖炉の前に座った。
炎が揺れていた。今夜は少し、いつもより明るい気がした。
「今日、いいことがあったよ」とアルテは炎に言った。「ベルトさんに、故郷の味を届けられた」
炎がふわりと揺れた。
「ベルトさんの村は、もうないって言ってた。でも味は残ってる。覚えていれば、いつかまた作れる」
アルテは炎を見ながら、思った。
この街も、いつか同じようになるかもしれない。永遠ではないかもしれない。でも、もし何かが残るなら——光だけは、残ってほしい。誰かが遠くから来て、それを見つけられるように。
「おやすみ」とアルテは言った。
炎がふわりと揺れた。精霊たちが静かになった。
水都の夜が深くなった。柳の若葉が、夜風に小さく揺れていた。春が、少しずつ深くなっていく。




