第7話「ステージの裏で、そっと手を握った」
――交際0日婚ですが、声の人に恋して
⸻
その日、東京ビッグサイトの大ホールは、朝から熱気に包まれていた。
【TVアニメ『エデンの月』Blu-ray発売記念トークショー&スペシャルイベント】
出演:結城ほのか/藤村涼/梶木大翔 ほか
司会:アニメ雑誌編集長・神野幸一郎
満席の会場。
女性ファンの歓声、カメラのシャッター音。
そして――その最後方の席に、ひとりの青年が座っていた。
神谷悠人、18歳。
彼女の“夫”でありながら、今日だけは“観客”のひとりとして。
(やっぱり……すごい人だ)
壇上に立つほのかは、堂々としていた。
収録現場とはまるで違う、プロの“光”をまとった姿。
声を交えて笑い合うトーク。
会場のファンが湧き上がるたび、悠人の胸は、誇らしく、でも少しだけ寂しくなった。
(こんなにも大勢の人が、彼女を“好き”って思ってるんだ)
けれど――
同時に、確信もあった。
(でも、この中で――“彼女の本当の姿”を知ってるのは、僕だけだ)
⸻
イベント終了後、楽屋に向かう通路。
悠人はスタッフ証を胸に下げ、裏口から通された。
「……ほんとに来てくれたんだ」
楽屋の前にいたほのかが、彼に気づいて微笑む。
ドレスを脱ぎ、Tシャツとジャージに着替えた彼女は、いつもの“ほのか”に戻っていた。
「一番後ろの席で、ちゃんと見てたよ。…綺麗だった」
「ありがとう。あなたの“夫”として、恥ずかしくないように頑張ったつもり」
ふたりの目が、そっと交差する。
けれど、廊下にはスタッフや共演者の気配がある。
声も、言葉も、交わせない。
だから――
ほのかは、そっと手を伸ばした。
悠人の手に、自分の手を重ねる。
“ぎゅっ”
言葉じゃなく、温度で伝える想い。
誰にも見られないように。
誰にも知られないように。
「……ねえ、悠人」
「なに?」
「私がステージに立ってるとき、あなたが私を見てくれてるって、ちゃんと感じてた」
「ほんと?」
「うん。すごく遠くて、すごく人が多いのに。…だけど、あなたの視線だけは、ちゃんと分かるの」
彼は少し照れくさそうに笑って、でもしっかりと彼女の手を握り返す。
「僕も、思ってた。あの中で、俺だけがあなたの“素顔”を知ってるって」
「ふふ……ちょっとだけ、優越感?」
「うん。でも、それより……安心した。
今日のステージも、すっごく綺麗だったけど――
やっぱり、こうして普通の服で笑ってるほのかが、いちばん好きだなって」
ほのかの頬が、ほんの少し赤く染まった。
「……そんなこと言われたら、またキスしたくなっちゃうじゃない」
「じゃあ……家に帰ったら、ちゃんと、夫婦のキスしよう?」
「うん。今日は、“観客”としてじゃなくて、“夫”として、褒めてくれる?」
「もちろん」
⸻
ふたりの手が、離れる。
再び、“声優”と“ファン”の距離に戻るその瞬間まで。
けれど――その短い“手のぬくもり”こそが、ふたりにとっての真実だった。
誰にも見えない、舞台裏での約束。
それが、ふたりの愛をますます深く、静かに育んでいく。
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