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第3話「新しい春、新しい肩書き」



――交際0日婚ですが、声の人に恋して



春。


桜が舞うキャンパス。

改札を出て、人波に飲まれながらも、どこか浮ついた足取りで坂を上っていく青年の姿があった。


神谷悠人――18歳。

今日から“大学生”という新たな肩書きを得た彼は、スーツに身を包み、少し大きめの鞄を肩に下げていた。


けれど、彼の胸にあるのは、それだけじゃない。


(……僕は、もう結婚してる)


誰にも言えない、けれど確かな“もう一つの肩書き”。

それは――極秘の“既婚者”。


妻は、30歳の人気声優・結城ほのか。


交際0日で始まった、誰にも知られてはならない、ふたりだけの秘密の夫婦生活。



「やっぱ、大学って全然雰囲気ちげぇなー!」


「なぁ、入学式のあとって飲み行く? てか、女の子紹介してもらえんのかな~」


周囲から聞こえてくるのは、自由と期待に満ちた大学生らしい声。

恋愛、サークル、バイト、そして出会い――。

でも、悠人は少しだけ、そこに馴染めずにいた。


(……僕には、もう“帰る人”がいるから)



その日の夕方、家の鍵を開けると、ほのかの声が聞こえた。


「おかえり、悠人。お疲れさま」


彼女はエプロン姿でキッチンに立っていた。

髪を後ろでまとめ、袖をまくり、鍋の中をかき混ぜている。


「夕飯、もう少しでできるよ。今日は肉じゃが」


「……ただいま」


心が、ふわりとあたたかくなる。

外では“学生”であっても、この空間に戻ってきた瞬間、自分は“夫”になる。


「大学、どうだった?」


「うん……すごく広かった。人も多かったし、みんな“出会い”を探してる感じで」


「ふふ、大学生って、そういうものでしょ」


「……でも、僕は誰にも言えないんだよね。“僕には妻がいます”って」


「……」


ほのかの手が一瞬止まる。

鍋の中から漂う出汁の香りが、ふたりの間の沈黙をやさしく包んだ。


「…寂しい?」


「ううん、寂しくはない。ただ……言えたらどんなに楽だろうって思った」


「……ごめんね。私が“声優”なんてしてるから。普通の結婚、できなくて」


「違うよ」


悠人はすっと近づき、彼女の背中に両手をまわした。


「“声の人”だからこそ、好きになったんだ。

 ほのかが声優じゃなかったら、僕は今でもどこかの誰かのファンで終わってたかもしれない。

 僕の“憧れ”でいてくれて、ありがとう」


背中越しに伝わる鼓動。

ほのかは、静かに瞼を閉じた。


「ほんとに、君って……反則」


「それ、前にも言ってたよ?」


「じゃあ、また言ってあげる。悠人は――反則。ズルいくらい、まっすぐ」



夜。


食後、リビングの片隅で一緒に並んで座りながら、悠人は大学の話をしていた。


「“将来どんな仕事したい?”って聞かれて、ちょっと困った」


「なんで?」


「だって……“主夫”って、言えなかったから」


「ぷっ……」

思わず噴き出すほのか。


「主夫希望、なの?」


「正直、毎日ほのかと一緒にいられるなら、それでもいいかなって思う」


「ほんとにバカね……でも、そういうところ、嫌いじゃないよ」



眠る前。

布団に入る彼のほうを、そっと覗き込んだほのかが言った。


「ねぇ、悠人」


「うん?」


「さっき、“帰る人がいる”って言ってくれたよね」


「……うん。ほのかが、僕の帰る場所」


「私も、そう思っていい?」


「もちろん」


彼は微笑み、そして小さく手を伸ばす。


手と手が触れ合い、指先を絡める。


「秘密でもいい。僕は、あなたの夫でいられることが――誇りだから」



ふたりの春が、ゆっくりと始まった。

ひとつの部屋で交わされる小さな言葉のなかに、確かな愛が宿っていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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