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第4話「声優としての顔、夫としての距離」



――交際0日婚ですが、声の人に恋して



朝。

目覚ましが鳴るよりも早く、悠人はふと目を覚ました。


となりに眠っているはずの彼女――結城ほのか――の姿がない。


(あれ……)


寝室からリビングへと足を運ぶと、まだ陽も昇りきらないキッチンに、小さな明かりが灯っていた。


「おはよう。ごめんね、起こしちゃった?」


エプロン姿で卵を焼くほのかの声。

その声を聞いただけで、悠人の心がすっと落ち着く。


「ううん。…今日は朝早い収録だって言ってたよね」


「そう。6時には出なきゃだから。だから、あなたの分の朝ごはんも一緒に作っちゃおうと思って」


「ありがとう。……ほのかって、ほんとにプロだよね」


「声優として? それとも、妻として?」


「……両方」


照れくさそうに言う悠人に、ほのかは微笑みながら返す。


「なら、妻としての努力も、もう少しだけ重ねていくね」



だが――


それは、“すれ違い”の始まりでもあった。



大学の授業が終わる頃には、彼女はアフレコスタジオにいて、

悠人が帰宅する時間には、彼女は打ち合わせやナレーション収録に追われていた。


顔を合わせる時間が減っていく。


ごはんはラップで包まれてテーブルに置かれ、

一言添えられたメモが、ふたりの“会話”の代わりになった。


「おかえりなさい。今日もお疲れさま。

また明日、ちゃんと“おかえり”って言えるように頑張ってくるね。――ほのか」



ある夜、日付が変わるころ。


寝室のドアが開く音で目が覚めた悠人は、玄関にそっと顔を出した。


「……おかえり」


「ただいま。起こしちゃった?」


「……ううん」


彼女は疲れた笑顔を見せながら、そっと靴を脱いだ。


「今、少しだけ“声優”じゃなくてもいい?」


「……もちろん」


そう言って、彼はほのかを抱きしめた。

しばらく黙ったまま、彼女はその腕の中に身を預けていた。


「最近、全然一緒にいられてないね」


「……うん。でも、毎日会えなくても、僕はあなたのこと忘れたりしないよ」


「……私ね、仕事で“好き”ってセリフ、何百回も言うけど」

「でもほんとに好きって言いたいのは、たったひとりしかいないの」


「……俺?」


「そう。“神谷悠人”にしか言いたくないの。

 マイクの前で言う“好き”と、あなたに言う“好き”は、意味が違うんだから」



翌日。


大学の講義で、ふとアニメの声を聞いた。


画面の中から響くヒロインの台詞。


「……私、あなたが好き。ずっと、あなたのそばにいたい」


それは、彼が初めてほのかに恋をした、あの作品の再放送だった。


その声は、完璧に作られた“プロの声”で。

大勢の観客に届けるための、整った感情で。


でも――

悠人は、彼女の“素の声”を、知ってしまっていた。


夜、疲れてソファに崩れたときのかすれ声。

笑ったときにだけ少し上ずる声。

朝、まだ眠そうにしてる時の、くぐもった甘い囁き声。


(……俺だけの“声”がある)


誰にも聞かせていない声。

誰にも見せていない表情。


彼だけが知っている彼女が、そこにいる。



夜。


珍しく、彼女が早く帰宅した。


「ねぇ、悠人。今日は“声優”じゃない“私”を、ちゃんと見てくれる?」


「もちろん。ずっと、見てる。…これまでも、これからも」


彼女は、笑った。


テレビやネットで見せるような、完璧な笑顔じゃない。

無防備で、あたたかくて、少し照れくさい、ただの“結城ほのか”としての笑顔だった。



“声の人”と“夫”としての距離。


それは、遠いようで近く。

でも確かに、ふたりだけにしかわからない絆がそこにあった。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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