その8
聞こえるはずの無いものが聞こえ、周囲は現実離れした恐怖の空間へとその姿を変えた。
(なんだ?!)
いつもは家のヘッドマウントディスプレイに付いたヘッドホンで聞く警報と合成音声。
しかし今この警報は全く違う意味を持つ。
そこには現実の死の影。
ロードが感じたことの無い現実の恐怖があった。
(バカな!本物なのか?!)
しかもロードはその場にいながら、この現実にいかなる干渉も許されていない。
レーダーの捜索範囲外に敵機がいれば、どこからの攻撃かも、攻撃した敵機の現在位置さえ判らない。
が、ミサイルがすぐそこまで迫って来ているのは、後方警戒レーダーにしっかりと表示されている。
ロードは理屈や可能性などの否定要因の全てを超えて、身に迫る危機を理解していた。
(これは、現実だ!)
『回避する!これは本物だ!』
ロードの洞察を肯定しているが、しかし、非情なスタインの言葉。
それによってロードに最後に残っていた「しかし、まさか」という精神安定剤さえ奪われてしまった。
景色の流れが突如速くなり、Gでシートに押し付けられる頭の重さに負け、ロードは首さえ回すことができない。
空を切り取るような鋭角的な急旋回をする機体翼面では、渦を巻いた機体表面の気流が剥離し、濃いベイバーを生じさせている。
機体全面から雲を沸き立たせミサイルから逃れようとするV-53s。
後部腹面からフレアが連続的に放出される。
「かっ、はぁっ・・・」
全てを、命さえも自分の運に任せなければならない瞬間。
脳から、半ば血液が下がった今の状態では走馬灯さえ見えはしない。
肩越しに背後を覗き見る視界には、機体が生み出す乱流に荒れ狂う白いベイバー越しに、眩しく光る小さな光点。
ロードの停止しかけた思考の中では、聞こえているはずの無機質でけたたましい警戒音も、落ち着きすぎた女性の警告音声さえも認識されてはいない。
心臓の鼓動だけが体全体を膨らませる圧力として、聴覚的に聞こえ認識されるだけ。
恐怖とグレーアウトしかけた視界から逃れるために閉じてしまいたく瞳。
しかし今、緊張をとぎらせてしまったら、目を閉じてしまったら、次に目を開けることは無いかもしれないのだ。
今、将にロードの視界全てが黒く染まろうとしている。
キィシュゥウオォォォォォオン!!
鋭い音と同時に旋回中の機体が、ミサイルが引き連れた衝撃波に撫でられビリビリと細かく素早く震える。
しかしその音がロードに聞こえたのかどうかは分からない。
ロードの消えかけていた意識が急速にその機能の回復を始める。
ミサイルの回避を確認し、スタインがV-53sを旋回から回復させたようだ。
しかし、未だロードの目には色が映らず、耳も役目を果たしていない。
ドーン!!
視界の左端、地上施設付近で爆発が起こったのと、コックピットにノイズが走り、このメッセージが表示されたのは同時だった。
《Caution Link System Down 遠隔操縦システム停止。
自動帰還プログラム、又はマニュアル飛行に移行します。》
ロードの見た爆発はコントロールルームでは把握されない。
着弾地点が遠すぎるのだ。
が、その爆発は違う形でスタイン達に認識される。
コントロールルームのV-53sからの情報を元に表示されていた全モニタがエラーを示し、一斉にダウンしたのだ。
遠隔操縦に関係する施設に被害が出たことは間違いない。
「な、何・・・今のは?!」
そう言うサミーは椅子に手をかけ、腰が引けて声も上ずっている。
目は泳ぎ、完全にうろたえている。
『・・・マズイ・・・まずすぎる・・・!!』
スタインの声と共に、ガチャガチャという慌ただしい音が聞こえてくる。
コックピット・シミュレータのハッチが跳ね上がり、途端にスタインが飛び出し、全力で駆けてゆく。
サミーの背後を突風のように掠めて、今いる場所から手すりを乗り越え、中二階ぶんの下にある出口に一足飛びで着地する。
「え?
ちょっと、大佐どうしたんですかっ?!」
未だに状況が把握できていないサミーが、手摺りから身を乗り出して叫んでいる。
何が起こっているのか分からないまま、それでも危機感だけが切迫して肥大化しているのだ。
「リンクが切れた!
俺はガキを助けに行く!!」
大声で叫びながらも、スタインはコントロールルームの入り口の角を曲がり、あっという間に見えなくなってしまう。
「ち、ちょっと!大佐?!」
そこで、やっと鳴り響く緊急警報。
《エルドシン航空機接近中!
総員は第一級戦闘配備!!
戦闘機は全機スクランブル発進!》
コントロールルームにも赤色灯が明滅し始める。
サミーの思考は、ようやく状況に追いつき始めていた。
「そんな、ハープ基地の防衛線はどうしたの?!」
エルドシン戦闘機が、ここケーセス基地に進攻しようとすれば、ハープ基地の防衛空域を通過しなければならない。
それが、地理的に必然の“はず”なのだ。
ハープ基地が陥落するような事態になれば、当然、事前にハープ基地から報告が入る“はず”だった。
そうでなければ、ハープ基地の存在意味が無い。
カーヴィナスの長い歴史の中でケーセス空軍基地は、“初めて”奇襲攻撃を受けたのだ。
パーシ南西部、パーシ中央短期大学
マーサ・ハーノクスはロードから実技試験の事を知らされてから、常に不安を感じていた。
それは何か嫌な予感がする程度のものだったので、誰でも感じる不安なのだと自分を納得させていたのだが、こうして実際ロードと離れていると、その不安と悪いイメージは更に現実感さえともなってマーサの思考を覆うのだった。
じっとりと、冷たい汗が手の平をぬらしていた。
ロードが進路を選ぶ時、その都度 不安はあったのだが、これは異常だった。
その感覚はマーサが過去に体験したことのあるものだった。
(これはまるで、あの日の、あの人が死んでしまった日の・・・。)
その記憶と現在の感覚が結びついてしまった時、マーサの体に鋭い悪寒が走る。
(寒い!)
心的要因で、身体機能が不具合を起こしているのだ。
冷たい汗が止まらない。
「今日は、ここまでにしましょう。」
大学の講義室、その教壇上にいたマーサはなんとかそれだけを言うと、ノートパソコンの接続端子類を引き抜き、ふらつきながら廊下に出る。
前触れもなく早く終わった講義のために、マーサが講義室を後にしてから学生達が騒ぎ始めていた。
実際の講義終了時刻よりも25分も早かったため、広い廊下には学生は殆んどいない。
(寒い。)
悪寒は先程より更にひどくなっていた。
起きているのに、マーサの頭は悪夢のようなイメージに、グルグルと、そして時折フラッシュのように占領されていた。
(確か、ホールにソファと、日向があったはず。)
この大学の中心付近にあるホール兼休憩所は南に面した壁がガラス張りになっており、温かい日の光が差し込んでいた。
先客は、派手な今どきの格好をした男女の学生が十数人。
彼らは中央付近の大型テレビジョンの前に陣取っているが、ベンチというか長椅子の数自体が相当数あるので、マーサはホールの隅ではあっても、日向の部分で休むことができた。
マーサは恥かし気もなく、そのまま長椅子にあお向けに寝てしまう。
この体勢なら、全身に日の光を浴びることができるのだが、悪寒は一向に治まる様子がない。
「ダメだ。」
横になっていては、日に当たらない背中の部分から更に悪寒が広がって来てしまうのだ。
マーサは起き上がり、普通に座った姿勢で背中を日に当てる。
ふと顔を上げると、ホールのテレビ画面が目に入る。
数人の学生が、だらしなく寝そべった格好で、タバコを吹かしながらテレビを見ている。
マーサの知る限り、確かこの大学施設内は禁煙のはずだが。
ホールに置かれた観葉植物の緑と、差し込む陽光の中に、不釣合いなタバコの煙が、今のマーサにとっては激しく神経を逆撫でする。
「ん?」
マーサの注意を引いたのはテレビ画面である。
ケーセス基地からの中継放送のようで、実用機を使った適性試験のニュースである。
(ロード)
内蔵がギュと押し縮められたような痛みがマーサの体に走る。
カメラは、試験のため飛び交う戦闘機の軌跡を捉えている。
ロードがいるだろう場所の映像が見られたことは、マーサにとって微かではあるが、自分とロードを繋いでくれているような感覚だった。
しかし、その中継が繋いでしまったのはそれだけではなかった。
ゴォォー――――ン!!
画面角に赤い色が見えたと思った次の瞬間、テレビ用の集音マイクが爆発音を伝え、バリバリッという放送電波が断続的に途絶する雑音がその後に混ざる。
大学ホールでの全ての動きが止まり、全ての者が無言で視線をテレビにむけた。
皆、状況が理解できていないのだ。
画面はグラグラと揺れながらズームしていき、その中心に火球を捉えフォーカスを合わせてゆく。
更に続けざまに、空に火球が膨れ上がる。
『キャァーーー!』
テレビの中の轟音とキャスターの悲鳴とは対照的に、マーサの周りでは物音一つしない静寂の場が形成されていた。
テレビは空から異常にゆっくりと降ってくる、オレンジ色の炎に包まれた布切れのような物体を映し出している。
それは、金属の塊であるはずの戦闘機である。
もはや自由に空を駆けることの叶わない、意志の通わないただの物体として落下する塊から、キャノピーが吹き飛び続いて黒い影が二つ発射される。
建物の影に落ちてゆく布切れのようになった戦闘機と、立ち昇る火炎と黒煙。
手振れを起こしている映像が撮影者の混乱を伝えるが、その向こう側にあるのは冷たく、ただ淡々と進行していく現実だった。
ここにある全ての目が、安定しない映像を飛び越え、向こう側にある現実だけを凝視していた。
若者が手にしたたばこから、灰がこぼれる。
いつの間にか、立ち上がっていたマーサの膝が、不意に力を無くしガクリと折れる。
真冬の寒さがマーサの体を震わしていた。
声にならないうめきが、マーサの頭の中を反響していた。
(ロード!)
格納庫へと通じる通路をスタインは全力で駆けていた。
コックピット・シミュレータとはいっても、パイロットスーツから着替えていなかったことが幸いしていた。
(クソッ!
あれの無線通信は遠隔操縦と複合している。
今は近距離の航空機、部隊内無線しか連絡を取る方法がない!)
スタインはこのような事態を全く想定していなかった自分を、殴りたいほどに怒っていた。
(無線が使えれば、イジェクションシートで脱出しろと伝えられるのに!)
それはつまり、機体を捨てパラシュートで脱出し、戦闘を放棄しろということである。
パイロットとしては敵前逃亡であり許されない行為ではあるが、今はそれが一般人であるロード・ハーノクスの生き残る確率が最も高い選択肢であることは間違いない。
敵機も脱出したパイロットまでは狙うはずがない。
この際、そのためにV-53sを失う事になっても仕方ないとスタインは覚悟していた。
なのに、それをロードに伝える手段がないのだ。
スタインの他にもパイロットが大勢格納庫へ向け疾走していた。
数人が、走りながら怒鳴りあっている。
「エルドシンがここまで来るなんて!!
ハープはどうしたんだっ!!」
「おいっ!
まさか、ハープが“落ちた”のかっ!」
「バカ野郎!
通信不通なんだよ!!
そんなの分かる訳ねーだろ!!」
彼らを追い越しながらもその会話は耳に入った。
(通信不通だと?
ということは、情報系の中心をやられたのか?
いや、まさか。)
ハープ基地が敵機に対応した場合、必ずその情報はケーセス基地に伝えられることになっている。
しかも、防衛線空域をハープ基地からの反撃を受けずにすり抜けるなどということは、不可能である。
そこからスタインに考えうる状況は二つ。
ケーセス基地自体の情報通信網が、敵機の攻撃によって甚大な被害を受けたか、ハープ基地は既に壊滅しているか、である。
「敵は何機来ている!!」
(通信だけを破壊されたのなら、ハープのレーダー網を掻い潜った少数機という可能性が高い。
しかし、そうでなければ、ケーセスの情報網を叩いたのと同じ方法で、こことハープとの通信を遮断した後、ハープを壊滅させる程の大部隊が、そのまま攻めて来たことになる。
そうならば、エルドシンの総攻撃ということも考えられる。)
「それより、早く行かないと!
上にいる試験の奴等が落とされるぞ!!!」
どこもかしこも、混乱し指揮系統も機能していない。
とにかく、戦闘機に乗らなければパイロットに出来ることは何一つ無いないのだ。
博物館の白黒無声映画のようなロードの世界の中、思考と状況判断能力だけが、早送りのように、しかし異常に鮮明に、正確に、冷静に働いていた。
生きようとする意思が呼び覚ました、生命を支える根幹、危機に際した人間の最後の拠り所、本能である。
それは、全てをふまえた上での意思を伴わない、経験の反射。
判断された状況は救い無き悪夢そのものだった。
ロードは素早くレーダーに目をやると前ぶれも無く、ぐるりと視界を廻す。
まるでコンピュータ制御された機械の約束された動き。
その瞳に、思考のフィルターは感じられず、ただ外界の光を識別しているだけ。
ロードがレ-ダーに目をやった時、目前に敵機の反応が見えたはずである。
反応は1機の機影のみ。
敵機のベクトルはこちらを向いている。
ロードは更に目視での確認もする。
ヘッドマウントディスプレイから透けて見る機体計器、ヘッドアップディスプレイは高度2,000ftを示している。
敵機はサイトの上方に小さく映しだされていた。
飛ぶための意志である操縦者、この場合は遠隔操作をしていたスタインを失ったV-53sに、もはや戦う力はない。
しかし、この狭苦しいコックピットの中にはまだ、可能性が残されていた。
(高度差大きい。
距離、中途半端。ミサイルロックは出来ない。)
9倍超の重力から開放された両手が自動的に動き出し、スロットルとスティックに伸びる。
表示されている速度は時速780。
9Gオーバーの急旋回をするため、スタインが加速を混ぜていたから速度は思ったよりも低下していない。
しかしこの速度では、敵機を囲むマーカーの脇に表示されている敵機との距離を示す数値の減少、つまりは相対速度が遅すぎた。
このままでは、またミサイルを撃たれる危険性がある。
何の迷いも無いかのようにロードの左手がスロットルを全開まで押し出す。
『マニュアル操作に移行します。』
ゴオォォォォォォォッ!!
鈍く揺さぶられるような振動とエンジンの高鳴りが急速に速くなっていく。
前から空気に押されているような圧力がロードをシートに押し付け始める。
目まぐるしくデジタル計機表示の数値が回っていく。
敵機との位置関係と相対速度を考えれば、これで前方からのミサイル直撃の危険は無くなったはずである。
翼は意志を取り戻した。
微かな希望ではあるけれど、スタイン・トラバスからロード・ハーノクスへとコントロールは受け渡され、厚く凍える雪の下で耐えゆっくりと力を蓄えた種が、その可能性を試されようとしていた。
「・・・。」
ミリタリー推力による加速を合図とするかのようにロードの体が自身の意識の指揮下へと復帰し始める。
経験の反射によって動いていたほんの数秒間の行動と、目にした情報の記憶が、漸近線のように緩やかに今の意識に結合されていく。
しかし思考は依然として加速されたまま。
(大佐が気づいた様子もなく、いきなり撃たれたということは助けは望めない。
だいたい、何でこんなことに!
・・・つまりここまでレーダーに察知されずに来たということ。
とにかく、この一機だけということはあり得ない。)
その考えは素人の思いつきにしては、意外にも的を射ていた。
『ヘルプ! 後ろに付いて離れない!
誰か助けてくれ!!』
ロードの乗るV-53s以外の機体は、全て試験官と受験生のペアのはずである。
ならば、今の通信は複座式のV-53に乗った試験官の悲鳴である。
ロードは、レーダーに目を走らせ救援に答えてくれる味方機の光点を探すのだが。
(いない?!)
近距離しか今は映し出していないレーダー画面を、手元のレンジ切り換えスイッチによってレーダー最大範囲に切り換える。
ロードにとっては当然いるはずの味方機を探す動作なのだが、そこには自分達以外は他に光点が見つからない。
(そんな、他にいないのか!
本物のパイロットがどうすることも出来ないのに、僕にどうしろっていうんだ!)
『頼む、早く、早く早く早く早くっ! 』
通信の合間にも、味方機は敵機を引き剥がすために、上昇しながらの急旋回、ブレイクを仕掛けている。
『……、……くっはっ! 何なんだよ、コイツ?!』
が、その軌道を、敵機は易々とトレースし味方機の背後から離れない。
今のブレイク機動にミスは無い。
それが対応されたのは、完全に敵機パイロットの技量によるものである。
(僕に助けをもとめているのか?
まさか!
ただの、受験生でしかないのに、何ができるっていうんだ?)
ロードは自分が、彼が求める者ではないということを自覚していた。
(助ける?
いや、資格もないただの受験生なんだ、逃げるのが当然の選択だろ?
分かっているのか?
ロード・ハーノクス!)
しかし、痛いほどの、恐怖という現実感がロードの耳に残り離れない。
ロードの頭の中で、時間がそのまま切り取られたように、助けを求める声が聞こえ続けている。
シミュレータではない、現実は甘くない、そこで何か一つでも見落とし判断を間違えば・・・。
ロードは、シミュレータで優れた成績を持っているからこそ、シミュレーションとのギャップ、現実が怖かった。
出来ればこのまま加速を続けこの空域を離脱したい。
しかし、声が頭の中で反響しロードの思考を覆う。
ロードはどうしようもなく、同じ軌道線上を飛ぶ2機を凝視し続ける。
左からロードの前を通り過ぎる軌道で2機は飛んで来る。
(現実で・・・、本物で・・・、出来るのか? 僕に・・・!!)
スティックをほんの少しずつ左右に振り機体の反応をみる。
補助翼とエレベータが稼働し、機体に横転動作が加わる。
思ったよりも反応が早く、挙動も大きい。
体も左右に振られロードは顔をしかめる。
今まで味わったことの無い、機体の機動に伴う負荷。
仮想と現実の違いが今、とてつもない恐怖となってロードを縛っていた。
ロードはシミュレータでの技術など現実には役に立たないということを過剰なほど自覚していた。
シミュレータでは絶対に再現できないその差は、ブラックアウトと現実の死となってロードを襲う。
それはロードを躊躇させる。
(しかし、それならば、僕は何のためにここにいる。)
“ダッセー、そんなに必死になって、バカじゃねーの。”
(しょうがないじゃないか。
僕はあんたらと同じところに喜びは見出せないし、一生懸命に頑張っている人をバカにするような生き方は好かない。)
(何故なら、自分たちが立っているこの場が精錬な志を持つ者達の不断の努力によって、辛うじて維持されているものだと僕は知っているからだ。)
“真面目だねー。もっと楽しめば。“
(そんな、楽な決断を繰り返して生きる考え方があることはわかるし、他人がどう生きようと否定するつもりはない。
時に、それに流されてしまう自分だって存在する。けれど、僕がその道を歩むことは、僕の心が許さない。)
(僕は何のためにここにいる。)
(もう一度会いたい人がいる。
行きたい場所がある。
確かめたい、優しく温かかった思いがある。
そのために、どんなことをしても、その一瞬だけは上回らなければならない“モノ”がいる。)
(こんな不器用で世渡りの下手な性格しか僕にはないけれど、けっこう気に入ってるんだ。)
頑張って何が悪い?
(そんな人を尊敬して何が悪い。
この場にいる同じ志を持った者を守ろうとすることに何の戸惑いを持つ必要があるだろう。)
「この空は僕の行きたい場所に繋がってるんだ。」
(そのために今まであがいてきた。
だから、僕は“空”では負けたくない!)
(チューンアップされている!
操作感が違う・・・。
何より・・・、どんな負荷がかかるか想像がつかないっ!!)
ロードを踏みとどまらせようとする要因がまた増える中、目前を追い追われる2機が轟音をたてながら通過していく。
そのすぐ後に、上空の敵機と正面から擦れ違う。
タイミングは今しかない。
ロードは、動かない訳にはいかなかった。
それは、思考が拒絶していても、日々の精神のありようにならい、否応無くロードの体が反応してしまう結果である。
「くそっ!!!」
ロードはそうせずにはいられなかった自分への叱責とともに、スティックを右に倒しながら手元に煽ると、同時に機体がそれに反応する。
90度機体はロールし上昇する動きで2機目の敵機を追うような旋回機動となる。
自然と機首が右に流れ出す。
水平飛行時には主翼に発生していた鉛直方向への揚力が、真横になっているため無くなり、機体が重力方向へ流れているのだ。
ロードは左足を踏み込み、左ヨーイングを効かせることで機首の落ち込みを防ぐ。
なるべく緩やかに操縦桿を引いたため、先程のスタインの旋回よりは軽いがそれなりの重力が体にかかる。
ロードが、初めて自分の意志で行った旋回である。
(感情を凍らせ、感覚を研ぎ澄ますんだ。)
「ぐっ・・・っぅぅぅぅぅうっ!!」
ブラックアウトに抗いながら旋回を維持していると、追い追われる2機がヘッドアップディスプレイのサイト中央に上方から入ってくる。
苦しいほど身体機能が過剰に反応している。
ロードの視界は、ブラックアウトの黒ではなく、頭部への血液上昇によって視界が赤く染まるレッドアウトの様相を呈していたのだ。
レッドアウトは本来ノーズダウンによるマイナスGにより引き起こされる。
が、足元に落ち込む血を絞り上げるロードの力は、Gを振り切り目の前を赤く染めてしまう。
それは危険なのだ。
レッドアウトはブラックアウトよりも遥かに容易に操縦者の意識を奪う。
「んっ!!」
機体にかかる慣性を予測して少し速めに機体を水平に回復させるべく、左へスティックを倒しこむ。
ロードは自分がグレーアウトしているのか、レッドアウトしているのかさえ正常に判断できていない。
「つっ!」
途端にロードの体は左に振られ、その動きに制動をかけるべく、シートベルトが体に喰い込む。
慣性によって機首は少し右へスライドする。
家では何の躊躇もなくしてきた、”たかが”右旋回で、ロードの骨は軋み悲鳴を上げているようだった。
スタインが試験のために行った旋回よりも負荷が大きいのは、スタインが”本物”の旋回をしていたからだ。
所詮、ロードの技術はシミュレータのためのものでしかない。
現実と仮想との大きな壁がそこにあった。
2機の速度は遅く、このままの速度ではロードが敵機の前に飛び出してしまう。
(速いっ!!)
ロードはスロットルを3分の1まで素早く閉じる。
「んん・・・っ!」
体だけが前に引っ張られている感覚。
ベルトがロードの肉付きの悪い肩に喰い込む。
単純な機動のたびにロードは負荷に苦しむ。
減速していても、機体は惰勢で前の2機へと近づいていく。
味方機を追う敵機との距離が2,000ftを切り、コントロールスティックのIRシーカー機動ボタンを押し込むと、短距離ミサイルロックのシーカーが敵機を追い始めたのだろうか電子音が鳴り出す。
ピッピッピッピッ!
(動くなよ。動くなよっ!!)
最終的に射撃のため、照準レーダーと味方機への誤射を避けるために敵味方識別信号が発信された途端、敵機は味方機撃墜を早々に諦め回避運動に移行してしまう。
V-53sの鼻先から敵機が跳ねるように逃げ出す。
レーダロックが敵機に自機の存在を知らせてしまうことは分かっていることなのだが・・・。
(こんなに、思い切りがいいか・・・?!)
敵機の考えがロードには読める。
明らかに力任せのミサイルロック回避。
アフターバーナーで加速しつつ、左上方へベイバーを引き急速に旋回していく。
『すまない、助かった。
こちらはこのまま離脱する!!』
(よかった、やれた!)
ロードはその声を聞きつつも、やらなければならないことを行う。
操縦経験も無い受験生でありながら、味方機の危機を救えただけでも奇跡である。
このまま加速すれば、この空域を離脱することも出来るかもしれない。
しかし、それには先程の敵機の回避行動への躊躇の無さが、ロードの勘に警鐘を鳴らす。
あの見切りの良さは明らかに熟練者のそれだった。そうならば、
(上昇しつつ左旋回、左ヨーイング!)
頭で考えながら、同時に行動を起こす。
今度は、初動を緩やかにし体への負担も考慮する。
どんな機動にしろ初めて戦闘機を操縦するロードには辛いものばかり、出来ることならこのまま動きたくは無い。
しかし、あの機に後ろに回りこまれては、今度はロード自身が狙われることになるのだ。
これが現実であり敵機が腕利きである以上、少しのリスクも負うわけにはいかない。
ロードの前方から敵機が戦闘空域を離脱して行く分には問題は無い。
願わくば、
(このままエルドシンへ帰って・・・行けってのっ!!)
左足を突っ張り、左手前へスティックを引き理想の軌道を描く。
この機動では上昇動作によって機体速度が低下するため、旋回半径・Gによるパイロットへの負荷は小さい。
ロードは背面飛行になった状態で、地面を背景に敵機を眼で追う。
既に旋回からは回復していた敵機が、背面飛行の中、ロードの右手方向に確認できた。
地面を頭上に見ていても、旋回によるGによってロードの体はシートに押し付けられている。
白と青の機体は慣性を上回る揚力をその翼に発生させ、力強く空を切ってゆく。
ヘッドマウントディスプレイからの視界、光が射す方向は地上では考えられないロードの足元である。
機体が作る影にヘッドマウントディスプレイと計器の光がコックピットから漏れていた。
この機動を続ければ敵の死角、真後ろを取れる。
敵機の旋回の様子を見る限り、加速しながらの旋回。
その時になれば、大半径旋回で後を追うロードとの距離はおそらく大きくひらいているだろう。
ロードはゆっくりと螺旋を描きながら正確に敵機の後ろへ機体を導く。
いつもとは違う滑らかな軌道を意識し、スティックを繊細に操作すれば、V-53sは約束されていたかのように敵機の背後目指して滑り込んでくる。
頭上を見上げていた視界が螺旋軌道を描くベイバーとともに、ゆっくりと正面に戻ってくる。
ロードが後ろを・・・取るっ!
「さあ、どうでる!」
そこでロードは気づく、
(・・・おかしい!!近づいているっ?!)
距離が1,500ftになっている、さらに距離が縮まっている。
離れていることを前提に、敵機に追いつくべく高度をスピードへ転化させていたロードは虚を突かれることになった。
敵機は減速していたのだ。
「くっ!やられた!!罠だっ!!」
気づいた瞬間ロードはスロットルを限界まで閉じると同時に、独特なスロットルバーを根元からガクリと斜めに引き起こし、エアブレーキまで展開して機体を減速させる。
が、対応が遅れた分、それだけでは敵機の目の前に飛び出してしまうのは明らかだった。
サイトに捉え切れない敵機の輪郭だけがロードの恐怖と共に静かに、しかし急速に肥大していく。
相手の誘いに、まんまと乗ってしまったのだ。
(くっそぉーー!!やはり敵は熟練者、迂闊だった!)
ロードは諦めず、それに対処する。
曲面を下るように重力加速の俯角軌道を無理やりに引き上げると、螺旋を描き進行方向への前進速度を低下させる。
バレルロール。
シミュレータで行うものと同じオーバーシュートに対応する緊急回避機動として利用する。
慣れ親しんだ反射的機動だ。
一度速度を低下させてしまったため、機動力の低下しているこの状態のままオーバーシュートして敵機の鼻先に出てしまうことは、そのまま死を意味する。
「ふぅん・・・!!」
胃が遠心力方向へ引っ張られる。
バレルロール機動の間中、ロードの体は強烈なGを受け続けることになる。
回避機動のはずのその螺旋は同時に、急激に、しかし的確にロードの意識を削り取ってゆく錆びたナイフである。
敵機の描く直線軌道を芯とするようにその周りを正確にロードの機が螺旋を描く。
ロードはスピードを高度と左右の移動へ転化させ、敵機よりもスピードが速く長い距離を飛んでいるにも関わらず、敵機の背後を取り続けている。
バレルロールの時間稼ぎの間に速度は敵機と同程度にまで減衰されている。
ロードは機をバレルロールから回復させ、そのまま敵機のロックオンへと移行する。
(・・・よし・・・!!)
距離が狭まっていて、今なら敵機の形状がハッキリと確認できた。
単発、小型の三翼面機。
「EN-65 ユーネス。」
その機体はドッグファイトに主眼を置いた、小型・高機動戦闘機。
両軍を通じて、可変ノズルが搭載された初めての機体である。
(ドッグファイトでは不利か?
いや・・・!
低速度域での機体安定は双発・大型機であるこちらに分があるか?
高度が高ければ、チューンアップされているこのV-53sで対抗出来るかもしれない。
そうでなければ・・・。)
ユーネスをサイトの中央へ入れるためにスティックを操作しつつ、右小指位置のボタンを押し込む、ミサイルロックためのシーカーが自動的にユーネスを追いかけ始める。
「!」
敵機が急速に軌道を切り返しロードのサイトを通り過ぎる。
ロードは焦って、反射的にいつものようにその軌道をトレースしてしまう。
左ラダーを蹴り、ノーズを固定しテールを振り回すようにベイバーが螺旋を切る。
全ての動翼が風を掴みパイロットの意志を体現するために蠢く。
「ふぅっぐっ・・・!」
繊細さを忘れた操作のために機体挙動が荒れる。
コックピットに伝わる衝撃によってロードの肺は潰されその内の空気が逃げてしまう。
瞬間、脳と体の間に一瞬、壁が生じる。
その一瞬の黒い世界の結末は、ブラックアウトを通り死へと続いている。
これが高速飛行時だったならば、ロードは今の操作で気絶していただろう。
「ハッ、ハァーー」
ブラックアウトの恐怖にロードは餓鬼のごとく、焦点を失いかけた瞳で空気を貪るように取り込む。
短い旋回によってサイトに戻したはずの敵機はしかし、もと来た方向へ軌道を切り返していく。
(シザースか?)
一見それは、左右へ機体を振り敵機をオーバーシュートさせようとする、典型的なシザース機動の戦術応用に思えた。
思えたからこそ、ロードは敵機をただ単純にその軌道をトレースせず、上昇・旋回を雑ぜ、視界が常に敵機の機動を掴み易いよう、ローリングシザースによって敵機の後を追う。
しかし、上下逆さまになった視界の中、ユーネスの軌道に向かって機首を煽りながら、ロードは不自然さを感じるのだった。
(おかしい・・・。
こんなあからさまな機動なんて、さっきの機動との落差がありすぎる。)
考えながらユーネスの軌跡を辿っていく。
そもそもこの機動は旋回同士の間が開き過ぎていてシザースとしての意味を為していない。
こんな単純な機動の繰り返しに於いて、あのような意味も無く雑な飛行をするだろうか?
(前に確か・・・、こんな機動をされたことが・・・。)
敵機はサイトに一時的には捕らえられても、ロックオンは出来ていなかった。
まるで分かっているかのようにロードとの距離を離すでもなく、回り込みロードの背後を取るでもなく、機動を続ける。
「!!」
ロードは気づいた。
そう、敵機は“わざと”やっているのだ。
(これは、時間稼ぎだ!!)
ロードはすぐさまレーダーに目をやると、首を廻らし周囲から背後までを視線を振りまく。
「くそっ!!やはり!!」
いつの間にか、別の敵機がロードの背後を取るべく左から旋回してきていた。
旋回を繰り返す敵機を追っていた手前、速度は時速540と、かなりの低速度になっている。
こんな速度では回避も離脱も出来ない。
一気にスロットルを開け俯角をとると、さっきまで追っていたユーネスを確認する。
ユーネスはここぞとばかりに右方向へ加速しながら大きく旋回・離脱していく。
(どう逃げる?!
高速戦に持ち込んで、逃げながらケーセスに近づく・・・には、かなりのGに耐えられるという前提がいる。
素人には無理だ!とにかく、速度だ!)
0G加速によって、無重力状態のコックピット。
ロードの頬に滲む汗は流れ落ちない。
今度はロードが追われる番だった。
今背後に着こうとしている敵機はおそらく、始めにロードを狙った機。
機種は同じEN-65 ユーネス。
加速に勢いがつき背後の敵機の輪郭が小さくなってゆく。
が、それと同じように敵機の機首が作る軸線は確実にロードへ向こうとしている。
「もう・・・、少し・・・。」
後ろを向いたロードの目は、ヘッドマウントディスプレイに映し出される敵機との距離を表す数値に注がれている。
数値は1500から徐々に上昇している。
ロードの認識している一般的短距離ミサイルロック射程は1,600から1,800ft。
(既に、中距離ミサイルの射程内には収められているはず、この距離まで攻撃してこなかったということは、敵機に中距離ミサイルは残っていないはず。)
ロードは、残る敵機短距離ミサイルの攻撃可能範囲から一刻も早く離脱しなければならない。
しかし、思ったよりも数値の上昇が鈍く、ついにレーダーロックを示す警報が聞こえてしまう。
『Warning!! IRロック!』
完全な受動式ではないため、エルドシンのIRミサイルの照準レーダーによって、こちらの置かれている状況は知ることが出来るのだが・・・。
「早く、早くっ!!」
1,700、1,720、40、60・・・体の中心から広がる圧力が、瞬時に速く・強くなるのが感じられる。
鼓動によって体が膨張・収縮を繰り返している感覚。
ロードは全てを投げ出してしまいたい衝動に駆られていた。
それは、例えれば、マイクロフォンのキィーンという機械音がだんだんと、大きくなっていく様子と良く似ている。
一定の割合で大きくなってゆく音に、その先・結末にあるものへの恐怖心が掻き立てられ、止めずにはいられないという感覚。
しかし今、ロードに迫っている恐怖の結末は、それよりも明確であり、恐ろしく単純。回避策を探す自分の思考が、閉じた円となっていることが感じられてしまい、ロードはひどく焦っていることを自分でも認識したのだった。
冷静にこの状況を把握している自分と、環を回り続ける加速した思考が頭の中に、ことなるクロックで同居していた。




