その6
答えの出し方が分かっているのに、頭が働かず、ただただ解けないことへの焦りだけが積み重なってゆくむず痒い思考の袋小路。
それは、記憶の整理整頓をしている最中で、その能力を活かしきれていない状態での思考。
そもそも、その思考に答えは必要がない場合さえある。
なぜなら、本当はなにも考えてはいないかもしれないからだ。
そんな、悪夢にも似た夢の縁にロードは立っていた。
“知っているお姉さん”が声も出さずに泣いていた。
ベンチに腰掛け、顔を上げて遠くの空を見ている。
「どうしたの?何で、泣いてるの?」
「・・・悲しいの。」
僕はまるで子どもをなだめるかのような口調だ。
「何が悲しいの?」
「人が殺せてしまう事・・・。」
怪談にありそうな話の展開にも関わらず、僕は、そう答えるお姉さんを恐いとは感じなかった。
「お父さんがね、人を平気で殺せる人や、自分で自分を殺せる人は自分の事を大事に思っていない人だって言ってた。
自分をどうでもいいと思っているから、他の人もそうだと思うんだよ。」
「その通りね。」
「でも、違う人もいるんだって。」
「どんな人?」
「自分の事を大事に思っていて、自分や他の人を守るために人を殺す人とか、・・・」
「それは私とは違うね。
そう思えたら、楽なんだけれどね。」
「一番悲しいのは、自分の大切さに気がつかないまま、自分が殺した人の大切さは分かっている人なんだって。」
おかしい。
こんな話は、父さんから聞いたことはない。
これはきっと、妄想だ。
「…。」
そこで、初めてお姉さんは僕に顔を向ける。
お姉さんは、高校生くらいに見える?
やはり…おかしい、僕より年下のはずなのに、何故、“お姉さん”なんだ?
「私は、誰かにとって大切なのかな?」
「お姉さんは、僕になんて言って欲しいの?」
お姉さんは驚いたように、涙を流す目を真ん丸くして僕を見ている。
何故か座ったお姉さんの顔は立っている僕の目線と同じ高さにある。
「そうかぁ、それが私の答えだよね。
ロード君。」
僕は頷く。
「私はね、貴方に・・・・・・。」
お姉さんは、僕に答えた。
僕はその答えに、とても驚いたことを…、“憶えている?”。
そうだった、今度は僕が応える番だ…。
けれど、僕の答えは、見つかっていただろうか?
何とはなしに声が聞こえる。
(さて、自分は今何所にいるのだ?)
だんだんとロードの理解力が戻ってくる・・・。
「・・・から650番の受験生は第二控え室に移動してください。」
その声でロードの意識が一挙にたたき起こされる。
ロードの周りはすでに身支度を終え、席を立ち移動を開始している。
ロードも焦りながら立ち上がりナップサックを引っつかみ、小走りで遅れを取り戻す。
「すみません。」
一人分の間を空けておいてくれた制服姿の626番男子高校生に、顔も見ずにお礼ともお詫びともとれる挨拶をして列に入る。
第二控え室だと説明されて通された所はパイロットのロッカールームそのものだった。
ずいぶんと広い。
ここはおそらく実際パイロット達が使っているのだろう。
鍵付きのロッカーはどれも使い古され傷がついたり塗装が剥がれたりしているのに、埃はついていない。なにより人が使っている気配がする。
「皆さんにはこのスーツを着ていただきます。そこの籠に荷物と服を入れてください。」
自分のサイズのスーツを受け取ると、言われるがままにそれぞれが着替えだす。
女性仕官が手渡しているグレーのスーツにはチューブを取り付けるアタッチメントがいくつか見うけられる。
「Gスーツだ。」
航空機の旋回にともなう慣性や遠心力によって頭から血が引き、酸素不足に陥り失神することを、ブラックアウトという。
Gスーツはこの致命的なブラックアウトを、体を締め上げて血液を強制的に頭に上げることで、その発生を遅らせる戦闘機パイロット用のスーツである。
ロードも流石にこれを着るのは初めてだった。
意外と軽く柔らかい。
紺色のスーツは、すんなりと着られる全身が一体型となったもので、血圧計のように空気圧で膨張する部分は、見た目には分からない。
布の内側になっているようだ。
裾を見れば、一番の内側のインナースーツ部、外側の機器関係、その中間には耐熱防寒部という三層構造になっているのが分かる。
それぞれが機能的に、分割出来るようだ。
そんな細かいところで急に、戦闘機に乗るという実感感が沸いてくる。
本格的になってきたことで、さすがにロードも緊張が増してくる。
服を籠にたたみ、スーツに脚を突っ込むと背負うように上半身の部分を着る。
「少し大きすぎるか。」
前のジッパーをしっかりと首元まで上げて体を動かしてみるが、スーツの中で体が動きすぎる。
我慢できなくもないが、このスーツの役目を考えればここで妥協は出来ない。
最善を尽くしておかなければならない。
意を決して、ロードは声を張り上げる。
「っすいません。少し大きいようなので、一回り小さいサイズのスーツに変えてもらえませんか!!」
集団の中心付近にいたロードは大声を出さなければいけなかった。
声のボリュームと同様に、顔が熱くなるのが自分で解かる。
「はい。いいですよ。こちらに来て下さい。」
前にいる女性士官が手を上げて答える。
ロードは人を掻き分けて士官のいる前に出る。
恥ずかしさで、膝がギクシャクとした動きをしている。
「はい・・・では、これでどうでしょうか?」
やはり恥ずかしい。
仕官からスーツを受け取り、列の端で同じように試す。
今度は多少きつく感じたが服の中で動きすぎることはない。良さそうだ。
「はい、大丈夫です。
すいません、お手数かけさせてしまって・・・。」
「いえいえ。
え~と、他にサイズが合わないという人はいませんか?」
スーツにある風船部分を密着させるために各所にあるベルトを締め付けながら、周りの様子を見てみると、ガホガホでまったくスーツが合っていない様に見うけられる人が数人いたが、誰も申し出る者はいない。
(言わない方がよかっただろうか。)
ロードは気まずさに、顔が上げられなかった。
「では、準備が出来ましたら五人一組で呼びますので、それまではこの部屋でお待ちください。」
仕官がそう言い終わると同時にロッカールームの外へ通じる扉が勢いよく開かれる。
緊張で静まり返った中での突然の物音に、何事かと首を伸ばして見てみる。
おそらくは受験生と思われるパイロットスーツを着た男が、口元を抑えてトイレへ駆け込んでいった。
(やっぱり辛そうだな。朝食、食べてこなくて正解だったな。)
空腹に鳴る腹を不幸に思いながらもロードはそう思う。
なかには間違って食べてきた人もいるのだろうとロードは考えていた。
しかし、その考えは誤りだと気づくのに数分はかからなかった。
続いて3人が入ってくる。
いずれも手には白っぽいポリ袋をもっていた。
顔色が明らかに悪すぎる。
それまで何とはなしに握っていたロードの両手の平が、ジィッと冷たい汗に湿っていく。
もう一人は、整備員とおぼしき白いつなぎ姿のおじさんに肩をかり、やっとのことで入ってくる。
膝に力が入らないのか一歩ごとに腰が沈み、その度に一生懸命におじさんが支えている。
その目は焦点を得ていない。
(嘘だろ。)
ロードの血の気が引いてゆく。
続いてぞろぞろと受験者が戻って来るが、皆が青ざめ、程度の差こそあれ一様に始めの5人と似たような状態だった。
控え室には、静かに受験生のざわめきが広がってゆく。
「ふぅぅぅ。」
大げさに息を吸い込む音が隣から聞こえてきた。
ロードが音の方、隣の高校生の様子を本人に気づかれないようにそっと覗き込むと、顔を真っ青にして唇をわななかせている。
ロードも震える足を抑えきれず、腹は冷えたように痛い。
控え室は凍りつき、緊張に砕け散る寸前だった。
そこへ、タイミングを見計らったかのように女性仕官が受験者に告げる。
「それでは、受験番号625番までの方は搭乗しての試験に入りますので、私について来てください。
残りの人は試験開始になりましたら案内しますのでこの部屋で待機していてください。」
625番であるロードは突然膨らませられた緊張に慣れさせられる間もなく、一組目のしんがりになってしまった。
ふと、隣の高校生を見てみる。
小刻みに震え、焦点を合わせないまま前をジッと見ている。
(この人は、次に呼ばれるまでこのまま不安と緊張を膨らませていくのか・・・。
最後の一人でも、最初の組でよかった。
というか、そう思わないと、やってられないな。)
626番はそれに加え、前の人の様子見さえ出来ず真っ先に試験に臨むことになる。
ロードは自分の方が、彼の巡り合わせよりはいくぶんマシだと思うことにした。
ロッカールームの扉はそのまま外へ通じている。
前の受験生に続いて外へ出ると、晴れた秋空から吹き降ろす冷たい風がロードの髪をかきあげた。
地平線が見える程、長い滑走路と緑さえ見えない赤土の平原がロードの目に映る。
足元の古びたアスファルトの平面は、滑走路へとつながっていく灰色の道となっていた。
突然開けた青空の下の空間は、閉じたロッカールームの控え室とはまた違った緊張感をロード達に感じさせていた。
足の爪先が氷を踏んでいるように冷たく感じる。
水先案内人に先導され一向はロッカールームの扉から外へ、飛行滑走路のすぐ脇まで連れて来られる。
仕官はそこで待っていた整備員と何事か話し始めていた。
集団の最後尾だったロードからは、二人の会話は全く聞こえない。
仕官と整備員が打ち合わせをしているしばらくの間、ロードは足元のアスファルトの継ぎ目から生える草を見つめながら歩いていた。
遠景では無機質な一面に見えたアスファルトの地面だったが、近づいてみると生物と共に成り立っているという柔らかい感触がロードにとっては意外だった。
それは、戦闘機という無機質に思っていた機械の塊と、それをとりまく整備員・パイロットの関係にも思え、掠れた秋の色が混じった草だが、ロードはその緑に快さを感じるのだった。
移動につれて、建物の陰に隠れていた視界が開けていく。
「あ!」
すぐそこ、70mほど先に本物の戦闘機があった。
この試験のためだろう戦闘機が4機並び、翼を休ませていた。
空中戦時の低視認カラーであるスカイグレーに塗装された機体が一列に整列している。
影になる部分は明るく、光の当たる部分を暗く塗るカウンターシェード塗装が施されている。
(ほ、本物! く・・・、よく見えないな。)
ギリギリと目を凝らしてその細部を見ようとするが、どうにもはっきりと見えない。
機体の周囲に張り付くようにして整備員が作業をしている。
今なら、普段は資料などでも見られないような整備用の各部ハッチが開いている。
しかし、士官と整備員はそこで立ち止まってしまい、それ以上近づくことが出来ない。
そして、話はすぐには終わらない。
(早くっ!早くっ!)
2分ほどの間だったのだが、ロードにはひどく長く感じられ、すっかりお預けをくらってしまった。
「すいませんでした。では移動します。」
どんどん戦闘機の細部が見えるようになってくる。
横に止まっている角張った車からチューブが伸び機体に繋がっている。
航空燃料を給油しているのだろう。
落書きのように、たくさんの注意書きが機体の各部に記されている。
メンテナンス・ハッチは開かれていて、内部の仕組みが垣間見られる。
複雑な配線とフレームがチラリと見える。
準備が終わったのだろう、整備員達は各部のハッチを三重の確認のもとに閉じ始めていた。
一団はその戦闘機のすぐ横に並ばせられた。
(おぉ!!)
ロードは一人静かに感動する。
ロードの戦闘機のイメージは、流れるような流線型・切れるような翼のエッジ・虹色のアフターバーナーを吐き出すテールノズル・・・は沈黙している。
それはそうなのだが、本物を目の前にした今思うことは意外に単純だった。
(デカイな!!)
コックピットはロードが見上げる高さにある。
その機体が比較的大型だったこともあるが、翼の上でキャッチボールぐらいならできそうに思える。
試験でなければ、一日見ていても飽きないだろう興味の対象が目の前にあった。
「皆さん、ここで少し待機していてください!」
仕官はそう言うと整備員に続いて、体育館よりも大きなガレージの方へ走って行ってしまう。
仕官の話し方はなにか今までとは違い、落ち着きがなかった。
(まあ戦闘機ともなれば多少のトラブルでも飛んでしまえ、とは行かないだろうからな。
手違いや時間の遅れとかはどうしても出てくるだろうし。
直接影響はないだろうけど。)
まさか自分にその手違いの被害が及ぶことになるとは夢にも思わず、そのときのロードは楽観的に事態を傍観していた。
(じっくりと見ていていいですよってことなんでしょう。たぶん。)
そう、都合よく解釈することにする。
ロードにとっては、願ったり叶ったりである。
ロードの目の前に待機する機体は、「V-53 制空戦闘機 フラット」 現在のカーヴィナス空軍の主力戦闘機である。
特長は、大仰角時の揚力中心・重心移動による機首の上向きを補正するため、尾翼エレボンにも浮力を生みさらに、それが前進翼になるまでの稼動翼になっていることである。
大仰角飛行時の翼端失速による、ロール性能の低下は尾翼で補いもする。
「しかしその反面、尾翼を前進翼にしたときはエレボンでのピッチ操作によって挙動が乱れやすく、その特徴をつかむには若干の習熟が必要。」
ロードは口の中でつぶやく。
この機体はいつもシミュレータでロードが使っていた機体だった。
見慣れた機体はロードに安心感を与えるが、シミュレータ映像と実機が持つ情報量の差はロードを興奮させる。
「が、熟練すればその不安定さの逆利用によって、双発機としては異常な程の軽快さを持つ。」
ロードの目は無論、この機体の“売り”である尾翼にいくのだが、今は後退翼になっていてその特徴を見ることはできない。
心底残念でロードは溜息を吐いてしまうのだった。
「はぁ。」
あまりの緊張で、足元や明後日の方向を向いている者の多い中、全体の最後尾で食い入るように機体を見るロードは、どうやらコックピットで作業をする整備員には目立ったようだ。
整備員にはこの受験生が何に溜息を吐いたのかが理解できた。
お遊びといたずら心、そして若干のサービス精神で、指を鳴らして合図を送る。
『パチッ!!』
戦闘機を見ていたものでなければ、気が付いてもそちらは向かないような音。
ロードは音のしたコックピットの方を見てみる。
と、そこにいた整備員が“あるジェスチャー”をする。
手を末広がりのハの字にしてから、それを上下逆さまの形にする。
「!!!」
ロードはビックリしたが嬉々として大きく頷く。
整備員は親指と人差し指で丸を作りOKのサインをすると前に向き直る。
ロードは半信半疑ながらも、V-53の可変尾翼に注目する。
顔はどうしても笑顔になってしまう。
解かる者にしか解からないサイン。
見ず知らずの整備員が自分の落胆の原因を話さなくとも気が付いてくれたという、奇跡的とも思えるコミュニケーションを成り立たせ、さらにロードの望みのものを見せてくれるような、気の利いた人がいるということがなによりも嬉しかった。
整備員はコックピットの正面に向き直り、何事か機体計器を操作し始める。
「おぉぉぉお!!!」
吸い込んだ空気を吐く時には、自然と声がでてしまっていた。
「あーーー!!」
「マジかよーー!!」
「うおっ!すげーー!」
「わぁーー!」
ロードが思わず大声をあげてしまったのと同時に、集団の中に埋もれている数人も歓声を上げる。
その他大勢は状況が掴めていないのだろう、ポカンと口を開けたまま周りを見回している。
尾翼の変形は思ったよりも早く、1秒ほどで前進翼に変わってしまった。
こうなるとフラットたる名の由来も納得できる。
斜め下から見たV-53は主翼と尾翼が全体で大きな一面を形成しているように見えた。
「ワハハハハ!」
周りで作業していた整備員達もそのいたずらに気づき、笑い出している。
受験生の大半は何が起きたのか分からずにいた。
各地から集まり、今日偶然に隣り合っただけの人に話しかけづらいのだろう。
かわいそうだが、恐らく見逃した人達は不可解な気持ちのまま帰ることになる。
興奮さめやらぬ内に、女性仕官が戻ってくる。
笑っている整備員に話しかけている。
おそらくは今のサービスの話を聞いたのだろう、士官も笑っている。
目の前で一部始終を見ることが出来たロードは、これだけで幸せだった。
(いいもの見たな~。)
先程の緊張もいつの間にか忘れていた。
「え~、それでは受験番号順に5人ずつ右から、そこにいる試験官について行ってください。
それでは600番から・・・」
パイロットスーツを身に付けた、いずれも体格のいい男達がいつの間にかそこにいた。
背筋を伸ばし、見事な一列を作っている。
引き締まった表情は、自信に満ちているように感じられる。
元は、彼らもここに並ぶ受験生と同じだっただろうに、どのような訓練をすればあのようになれるのだろうか。
その雰囲気はロード達とは明らかに一線を画す。
そんなことを考えている間にも、呼ばれる番号は進んでいく。
「はい、それでは620番から・・・。あれ?」
あぁ、この組だな、と思って周りの顔ぶれを見回してみるが、いない。
ロードだけなのである。
おかしいと思い、視界の端に捉えていた人影の方向に顔を向けて確認したのだが、それは受験生ではなく整備員。
「あぁ!
620番から624番は試験辞退でしたね。」
「・・・は?」
空軍に入れば命に関わる任務に従事することになるため、直前で試験を辞退する者は、確かに毎年かなりの数がいた。
しかし他の組は、ほぼ五人全てが揃っていた。
よりにもよって、なぜ…。
「では625番さんは一人だけ、ということですね。」
「え?」
受験生のほとんどが試験官と一緒に各自の戦闘機に向かってしまっているので、仕官の対応も普段の話し方という印象がする。
いやそれよりもロードが気になるのは、試験官らしき人物が見当たらないということである。
移動が始まり、寂しくなったそこにはロードと士官しかいない。
「じゃあ、ついて来てください。」
釈然としないながらもロードは仕官に続いて歩き出す。
歩く・・・、・・・歩く・・・。
「・・・。」
皆とは”逆”方向にどんどんと・・・。
「・・・。」
あまりにも不安になって遂にロードは口を開く。
「あの・・・皆は、あちらに行ってるんですが?」
「ああ、いいのよ君はこっちで。
確かに人数が少ない方が都合はいいんだけどね。
ホントごめんね~。」
なにやら意味深な発言をするが、士官が向こうからやって来たパイロットと挨拶を交わし始めてしまい、なんとなくロードは追及の機会を失ってしまった。
(何が?!
何がごめんね、なの?!)
「陛下、間もなく作戦開始時刻です。」
アンティーク家具に囲まれた豪奢な執務室。
木目の美しい机で書類に目を通している若い男に向かって、脇に控える男がそう告げた。
どちらも仕立てのいいスーツ姿である。
「あぁ、もうそんな時間か。」
コーヒーを一口含むと、机から生えたようなディスプレイモニタに目を移す。
「紅茶の方が好きなのだけれどな。」
静かに受け皿にカップを置くと、しかめ面でそんな愚痴を言う。
「陛下は砂糖を入れ過ぎますので。」
「さて、ともかく今回の成果次第でカーヴィナスへの道が開く。
そろそろ、この腐りきった環を断ち切らなければなるまい。
無論、エルドシンが勝ってだがな。」
秘書官は無言で頷く。
昼下がり、窓から見える高い空をエルドシン機が雲を引きながら飛んでゆく。
「『海神の結界にも一本の道あり。これこそツーズワシの回廊なり。』
経典もよく言ったものだ。」
カーヴィナス、ハープ基地航空管制室。
「何か、おかしい。」
「どうかしたか、パトリック。」
「今日は妙にエルドシン機の動きが多くないか?」
パトリックは、現在エルドシン機の対応のため中央平原に出撃している機体数をコンソールで操作して調べだす。
「基地の機体、待機の半数が上がっている?」
「多いな。
観測された敵機数に合わせて、上げているが・・・確かに気になる。
奴ら何かやる気か?
「念のため、ケーセスに警告だして支援準備させておくか。」
ハープ基地の指揮系統に報告するため、管制官は手近な受話器を手に取る。
「いや。
今のところ、会敵はないからな。
数は多いが、順次入れ替わっている。
先月と同じだ。」
「注視にとどめるか。」
ディスプレイには中央大平原。
赤い矢印のエルドシン機と、青い矢印のカーヴィナス機が、混じることなく左右に別れて牽制しあっている様子が見て取れた。
「待機、増やそう。
二次待機を招集、スクランブル準備。」
「了解。」
取り繕ったような状況の静けさに、管制官は一抹の不安を感じるのだった。
ガレージから100mほど離れたガレージの陰になっていた所に、一機だけV-53が準備されていた。
「!」
驚くべきはそのカラーリングである。
光沢のあるホワイトを下地に、翼端や可動翼にはブルーの塗装がされている。
ド派手な機体はとても実用機とは思えない。
空での迷彩性・低視認性もなにもない。
むしろ、目立とうとしているようにさえ思える。
「やはり。」
案の定、垂直尾翼には“V-53s TEST”の文字。
(確か、V-53には技術試験機があったんだっけか?)
そうとしか見えない。
その脇には、短めに刈られた頭・サングラスをかけ、手に持ったボードのファイルに目を通しているパイロットと思わしき人物。
三十代後半くらいに見える。
この人がロードの試験を担当するスタイン大佐だろうか?
「大佐この子だけですけれど、お願いしますね。」
「おう、任された。」
女性仕官はそのまま行ってしまう。
ペンでファイルに何か記入しながら、スタイン大佐は顔も上げずにロードに対応する。
「受験番号625番、ロード・ハーノクスです。
宜しくお願いします!」
「君か、運の無い受験生は・・・。」
(運が無い?)
ロードに再び不安が過ぎる。
「いや、説明は受けていると思うが、本当に済まない。
まぁ遠隔操作だから、君は乗っているだけでいい。」
(遠隔操作?・・・何のことだ?)
訳が分からない状態のロードなのだが、スタイン大佐は、当然のことのような口調で言うものだから、ロードはそれが自分の情報収集不足のためだったのではないかと考える。
試験官への心象を考慮するとなかなか素直に疑問を尋ねることができなかった。
「そうだな始める前に、トイレに行って来なさい。」
「はい。どちらにありますか?」
スタインはボードを見たまま、左手で方向を示す。
ロードはまたもや、質問の機会を失う。
言われた通りトイレで用をたしながらも、ロードはいまひとつ釈然としないスタインの言葉を思い出していた。
「う~ん、直接聞いてみるのが一番か。」
トイレの外にある洗面所、蛇口からでる温水で手を洗っていると、足元から冷気と共に緊張感がゾクゾクと這い上がってくる。
戻れば、すぐさま試験開始だろう。
(自信は、あるさ。)
最初生温かった温水は、だんだんと温かくなり肌にほどよくなってきていた。
温められた血液が、心地よく体を内側から温めているのが感じられる。
(去年も。自信はあった。)
正面の鏡、その中の自分自身を睨みつける。
(準備は、出来ているのか?)
温水の中で、手を擦り合わせる。
両手とも、すっかり温められていた。
温水の温度は既に、お湯となっていて秋の肌寒さに、白い湯気を上げはじめていた。
これにはさすがに、手を入れ続けることはできない。
ロードは、素早く袖などを捲し上げて用意すると、湯気を上げるお湯で顔を洗いはじめる。
強い刺激で、明らかに自分の感覚が一つ上位のレベルに移行したことを感じる。
流し台に両手をつき、多少濡れた前髪の間から鏡に映る自分自身に告げる。
「準備はできている。」
戻ってきたロードを、やっと顔を上げたスタインが見つける。
「よーし、戻ってきたな。・・・!!」
スタインはえらく驚いたらしく、一瞬、ロードを見たままの格好で止まってしまう。
「君、“メガネ”をかけているのか?」
少々聞かれるべきタイミングを外してはいたが、来るべきものが、遂に来た。
ロードの眉間に皺がよる。
スタインはボードのファイルを急いで見直している。
おそらくは提出した資料に付いている写真を探しているのだろう。
ロードは無言でスタインの対応を待つ。
これこそがロードが背負っている大きなハンデである。
目の悪さは航空機パイロットの身体敵性にとっては致命的なのだ。
目視外戦闘のような遠距離の間合いにおいては、視力は用を成さない。
そこでは、時機レーダーや、編隊機・AWACSとのデータリンクで敵機の位置・高度を把握することもできる。
しかし、近距離戦闘、ドッグファイトで最も重要となるものは、実際にはパイロットが目視によって得る敵機情報なのだ。
パイロットはキャノピー越しに、空に紛れるカウンターシェード塗装された敵機から、その機動方向・速度・位置関係を見て取る。
そこから敵機パイロットの意図を読み解き、その思考の“先”へと自機を導く。
視力はパイロットの身体適正審査の基準項目として求められる、最も代表的ものである。
それゆえ、目が悪い者はパイロットになることができないということは、よく耳にする一般常識である。
分かっていた事であるが、こうも驚かれてはロードにも不安が過ぎる。
しかし、覚悟も出来ている。
「まぁ、構わんが、はっきり言って難しいぞ。」
「・・・。」
ロードは無言で頷く。
ロードの目つきは明らかに今までとは変わっていた。
その目は、瞳の中に火が見えそうなほどに真剣だった。
(なるほど。)
射抜くような眼差しにロードの覚悟を感じたのか、スタインはもうそのことには触れなかった。
スタインは一つ頷く。
しかし、このやりとりで、ロードは聞くはずだったことをさっぱりと忘れてしまっていた。
「では、始めるか。さぁ、乗って!」
「はい。」
深く詮索しないでくれたスタインの心遣いが暖かく感じられる。
ロードはV-53のコックピットへのタラップを登るが、そこでおかしな事に気づく。
「すいません。」
「どうした?」
「大佐はどこに乗るのですか?」
コックピットの縁に手をかけて中を覗き込むのだが、そこには一人分のシートしかない。
受験生と試験官がペアで搭乗するのだったら、シートは二つ、複座でなくてはならない。
「何を言っているんだ?
単座機に二人は乗れないだろ?」
(何ィィィーーーーーーーーー!!!!)
当然とばかりに返ってきた、スタインの答えにロードは頭の中が真っ白になった。
「なんだ? 聞いていなかったのか?
さっきの試験で、試験用の複座一機が、受験生のゲロでブッ壊れた。
急遽、単座を使うことになった。」
(誰だよ吐いたヤツはーーーー!!!!)
「ん、それともやめるのか?」
引きつった顔で何も言わないロードに、スタインが意地の悪いことを聞く。
「いえ。」
ロードは、初めての実機搭乗で、単独飛行をさせられる羽目になっていたのだ。
女性士官が言っていたことはこのことだったのだと、やっと理解したところで何も嬉しくはなかった。
(酷すぎる・・・。というか、僕だけでどうやって飛ぶの、これ?)
それはノイズと雑音に紛れた無線通信。
『ファントムよりジュラーヴリクヘ、一発目は任せた。』
「了解!」
”ジュラーヴリク”と呼ばれた者は、素早くスロットルを開き加速に入る。
11機の飛行編隊の中、一機だけがテールノズルの光を長くひきながら加速していく。
どの機も高度300フィートもない低空飛行である。




