番外編1
鳳凰として即位した祥蘭がまず覚えなくてはならなかったのが白雲城の地理と紅国の政治を回す主立った官吏の顔と名前だった。
なにせ城と名が付くだけあって非常に広いのだ。
自身の宮(黎明宮)のみで行動していた一月の間と違い、即位した以上引きこもる訳には行かないと紅国の勉強がてら白雲城のあちこちに足を向けるようになった。
これに渋い顔をしたのは老官たちで、良いことですと笑顔で多くを教える紫白に対し、祥蘭が黎明宮以外を出歩くことを酷く嫌がった。
「私、嫌われるようなことをしたのかなぁ」
「そんなことは絶対ありませんわ、姫様!」
「愛くるしい姫様を嫌う不届き者なんて絶対いません!ええ!」
「・・・そうですとも。
ここは貴方の国、貴方の城です。貴方が歩いてはいけない場所はありませんし、貴方を嫌う民などおりませんよ」
老官達の反応を思い出してしょんぼりとする祥蘭に、定期的な検診をしていた凱志と雪奈、陽緋が即否定する。
なにぶんにも、即位したばかりの祥蘭は素直で一生懸命なのだが、未だに自信がなくちょっとしたことでも落ち込むことが多かった。
生来の明るかった性格は徐々に見えるようにはなっているが、孤独な10年は長い。
根気強くやっていこう、というのが凱志と紫白の思いだった。
「先代の白鐸様はあまり出歩かなかったの?」
「そうですねぇ・・・確かに先代様は一人きりを好んでおいででした」
まだまだ細い祥蘭の腕を取り、脈を測る凱志に、そう・・・と祥蘭は一度しか会うことができなかった先代を思い浮かべる。
祥蘭自身を案じてくれた優しかった先代は、実際のところ人に対しては全然興味がなかったようで怜悧冷徹で有能な聖獣だったらしい。
男の聖獣は基本同族以外にかけらも興味がないものなんだ、と隣国の黒国の闇獅子が訪ね、何でもないことのように祥蘭に教えたのは即位して一月も経たぬうちだった。
「痩せた鶏ガラのような女だな」
「うひゃぁ」
ツカツカと遠慮なく近寄ってきた漆黒の髪に、浅黒い肌、三白眼のガタイのいい男はそう言って祥蘭を軽々と抱き上げた。
「あなた、だ、だれ・・・?」
「黒国の闇獅子の紅晏。先触れを出さなかったのは悪かったな」
「紅晏、さま?」
「あぁ。久方ぶりの女型の聖獣に会ってみたかった。
お前は本来教わるべきものを何一つ教わっていないからな。簡単なことは俺が教えるようにとある方から言われている」
「とある方・・・?」
「お前も聖獣であるから、そのうち会うことになるだろう・・・さて、なぜここで1人でいる?おかげで接触はしやすかったが、代替わり間もないのにフラフラとするものではない」
ここ、というのは以前黎音の話を聞いた東屋で、祥蘭は勉強の合間に1人ぼぅっと東屋に面する泉を見ていたところだった。
「ずーっと何人も周りにいたら疲れてしまうから、ほんの一時、人避けしてもらっているんです」
「なるほど?」
器用に方眉を上げた紅晏は、周囲をチラリと見てから祥蘭を下ろす。
「俺は闇獅子の聖獣だ。何を司るかは習ったか?」
「闇ですよね?」
少しだけ得意げに胸を張る祥蘭に、紅晏はにやりと笑う。
「闇あるところなら俺は基本何処にでも行ける。通常は国を越えることはないし、できないもんだが、雛たるお前が成長するまでの期間は俺が手隙の時のみ教えに来よう。
俺の存在は内緒にしておけ。面倒だからな」
「ないしょ・・・わかりました」
「イイ子だ。じゃあな。また来る」
ガシガシと力強く祥蘭の頭を撫でた紅晏はそのあと西に傾きだした太陽によって長くなった祥蘭の影に溶けるように消えた。
「なるほど・・・さっきもこうやって来たのか」
聖獣って、便利ねぇ・・・のほほんと笑った祥蘭は、何事もなかったかのように泉に再び目を向けたのだった。
「姫様、執務のお時間ですよ」
「あれ?紫白が来るなんて珍しいねぇ」
「たまには、私も姫様をお誘いしたいのです。いつも近衛や耀明に役目を奪われますからね」
ふふ、と微笑んだ紫白に祥蘭もにこにこと笑って座っていた長椅子から立ち上がり、若干小走りで紫白に近寄る。
「今日は、どこの部署のかなぁ?」
「本日は工部のですよ。礼州の学舎の近くの川が先日の雨で流されたとかで、新たな橋の建設の要望書等が来てます」
即位したからには、勉強だけではなく、紫白に任せっきりの執務も少しずつ覚えていくのだと、最近になって一部書類を紫白達の説明を受けながら裁くようになった。
国の中枢であるこの白雲城には文官の所属する部署が6つあり、それぞれ<礼部><戸部><工部><吏部><兵部><刑部>と称する。
ちなみに武官は近衛・国武官・州武官の3つで、近衛は扱いが特殊であり独立している。
この文官をまとめているのが紫白で、国武官と州武官をまとめているのが耀明で、近衛は陽がまとめている。
祥蘭は日替わりで各部署から上がってくる書類を裁きながら6つの部署の役割を学んでいるのである。
「橋が落ちたら学舎にいけないのよね?」
「一応別の道があるようで、当面はそれを利用しているとのことですね」
「遠回り?」
「礼州から上がってくる資料を見る限りだと距離にしておよそ倍のようです」
「んー、いいよ、って言いたいところだけど、紫白から見てこの件の優先事項はどれくらい?遠回りだけど道がある以上、ほかに優先すべき案件があるなら後回しにしようかと思うけれど」
「・・・では、燕州の街道の整備を先にするのはどうでしょうか」
「燕州暁山周辺の街道だっけ?一部山が崩落して道が半分になってるやつ」
「左様でございます」
燕州暁山は白国との貿易港がある場所で、崋山と同じく賑わいのある場所だ。
そんな暁山の主要な街道の1つが山の崩落により一部道が狭くなっていて不便だと、やはり工部から燕州の要望書と共に書類が上がってきたのが3日前の事だった。
「ん。燕州優先しようか。このままじゃ流通に、ひいては貿易に差し障るし・・・・。そうなったら諸々支障が出る、よね?」
「そうですね。暁山は釜楊と並ぶこの国の大事な貿易港です。優先順位はこちらが上で問題ないかと思いますよ」
「よかった」
正解です、と言わんばかりの紫白の微笑みに安堵の息を吐く
「今日は工部からはこの一件のみですね。明日は戸部です。おそらく書類も多いので、心積もりをしていて下さいね」
「ん。わかりました」
祥蘭が神妙な顔で頷いたタイミングで扉が叩かれ、鳴殻が入ってくる。
「今日の菓子をお持ちいたしました」
「おやつ!!」
「ふふ、ちょうどよかったですね。執務も一段落したところです」
「それはよう御座いました!本日の菓子は、餡饅頭です」
「!それ好き!ありがとう鳴殻!!」
きらきらと目を輝かせる祥蘭に、強面な鳴殻も頬を緩める。
「姫様、嫌いな物なんてありましたか?
鳴殻の出す菓子も食事もすべて好んで食べているような気がしますが」
「!姫様、それは私も気になっておりました。知らぬ間に嫌いな物、苦手な物を出していませんでしたか?」
首をかしげる紫白と怖々とした様子の鳴殻に、祥蘭は少し考えて首を横に振る。
「嫌いな物、出たことないよ!ぜーんぶ、美味しくて好き」
にっこり笑う祥蘭に、鳴殻はわかりやすく安堵し、次いで嫌いな物を教えて下さい、と祥蘭を窺い見る。
「嫌いな物・・・、苦手な物は虫を使ったやつかな」
「なるほど、山暮らしでは貴重な食料なのでしょうが、ご安心下さい姫様。ソレは絶対に!!!卓上に出すことはありませんので」
昆虫を使った保存食などはタンパク源の少ない山中での生活では食糧事情上必要だったのだろうが、今の祥蘭には不必要だ。
祥蘭が欲するなら仕方ないが、嫌悪するのであれば全く縁のないものになる、と鳴殻は太鼓判を押す。
「ならよかった。それ以外は嫌いな物ないよ」
「承知いたしました。しかしながら、もし苦手だと思う物があれば仰って下さいね。
姫様が美味しいと思う物をお作りすることが我々の仕事であり、望みなのですから」
「ありがとう、鳴殻」
「こちらこそ、いつも美味しそうに食べて下さり料理人として非常にうれしく思います」
にこりと笑った鳴殻に、祥蘭も笑顔を返した。
「あ、そうだ」
「?どうしました」
一礼して部屋を出て行く鳴殻を見送って、祥蘭は思い出したと声を上げ少し高い位置にある紫白の顔を見上げる。
「明日、行って良い?」
「・・・明日、でしたか」
困ったような顔でため息を吐く紫白に、普段だったら引く祥蘭が申し訳なさそうにしながらも譲らずジィっと見上げてくる。
「・・・・・・・お止めしても行ってしまわれるのでしょう?でしたら、頷くほか、ありませんねぇ」
「ふふ、ありがとう」
「・・・また、空から?」
「ん。速いから」
こくりと頷く祥蘭に、紫白は困ったような顔をしてわかりました、と頷いた。
「紫白、怒ってる?」
「いえいえ、とんでもありませんよ姫様。私は、そうですね・・・ちょっと複雑なだけです」
「フクザツ・・・?」
「大切な姫様が、かつて辛い思いをされた場所に送り出すことも、誤解が多少あったとはいえ我々が長らく待ち望んでいた姫様を閉じ込めていた方に会いに行くことも・・・臣下としても、私個人としても複雑なのですよ」
即位した祥蘭が一番最初に望んだのが、祥蘭の両親の墓守を黎音にすることだった。
これには多くの反対の声が上がったが、捕らわれていた祥蘭自身の強い願いだったため仕方がなかった。
次いで、祥蘭が望んだのが墓参りである。
当初、毎日でも行きたいと乞われたときは何が何でも駄目です、なりません、と繰り返したが祥蘭の潤む瞳に紅国最高官は1月に一度なら、と言わざるをえなかった。
「姫様は意外と頑固だな!」
はっはっは!と笑う耀明に、笑い事ではありませんよ、と紫白は重たい溜息を吐く。
「なにせ、露台から飛び立たち、あっという間に空の彼方です。護衛をつけるにつけれませんし、撒かれますし、本当に何かあったらどうしたら良いのか・・・」
「ああ、姫様は既に2回は逃げてるんだっけか?」
「即位して7日目と、14日目に。一度目は黎音の厳罰という名の処刑をしつこく進言してきた爺に耐えられなくなって、二度目は愚かにも姫様に直接貴方は何もせず、この宮にいればいいと言った婆に開き直って、だな」
ー死なせない、って言ってるのに!死なせたくないって、私、ちゃんと刑を申し渡したのに!!ー
ーここに飾りのようにいるだけでイイなら、どこにいたって一緒でしょう?ー
いずれも感情が爆発した様子で飛び立った後、黎音の元と釜楊の船乗りの元にいた。
祥蘭は一生懸命己のなすべき事を考えている。
足らない知識を補うように本を読み、教えを請う。まっすぐに、紅国のために生きようとしている・・・邪魔をするものは、誰であっても許せないとは陽を筆頭とする近衛の声だ。
「まったく・・・その経験を若者に惜しげもなく授ける老官もいれば、自分の好きなようにならぬ者は排除しようとする老害もいる。
祥蘭様に余計な事を言った老害達には降任や免職、刑を言い渡していますが、中々、無くなりませんね」
「一月で、そうそう足場は固まらぬさ。
おまけに先代と違って姫様はお優しい。愚かなやつは理解しない。
どんなに柔らかい雰囲気でも、年若くても、あの方は先代と同じ鳳凰の聖獣であることも。
その感情の揺れが、この国にどう関係するのかも」
「頭の痛い問題です」
礼州の橋が流れるほどの雨も、燕州の山の崩落も、時期的に祥蘭の感情の揺れから起きたのだろう、とは高官達の推測だ。
偶然の自然現象というには、局地的で、被害は大きい。
「歴代の鳳凰様の中、特に女性型の鳳凰様はいずれも感情の揺れが大地に影響しない術を知っていらしたようです。ただ、その方法の記録はないのです」
溜息を吐く紫白は頭痛がしますよ、と続けた。
「なるほどなぁ。本来は先代様から方法を聞く事ができていたかもしれない、ってことか」
顎を撫でながら渋い顔をする耀明に、その通りですよ、と紫白は頷いた。
「方法をどうにかして見つけるまで、姫様に余計なこと言うやつがいなければ良いんだがな」
「・・・祈るほかありませんね」
既に、一度ならず複数回にわたって官僚の処分をしているので、百官達が懲りてくれれば良いのだが、と祈らずにはいれない紫白であった。
「王様になるのは大変なの」
「・・・それは大変だろう。お前は、どうでも良い奴らの言葉をすべて聞き届けてやるつもりか?」
「どうでもよくないもの・・・」
「どうでも良いだろう。お前はもう少し立場を自覚して傲慢になってはどうだ」
やれやれ、と愚痴をこぼす祥蘭に黎音は溜息交じりにそう告げた。
「聖獣だろう、お前は」
「聖獣みたいですけど、なんでも有りじゃないと思うんですよ」
「・・・なんでも有りだ。お前がいらないと言えば大地は更地に帰る。
お前が楽しいと思えば、作物の実りは増え、悲しいと思えば雨が降り続けるだろうさ」
それが聖獣の力で、お前の力だ、と黎音はそう言って些か乱雑に祥蘭の前に茶を置いた。
「ありがとうございます」
「ソレ飲んだら早く帰れ。どうせ近衛の1人も連れてきてないんだろう」
「・・・だって、イヤでしょう・・・?
私のために、近衛達はきっと貴方にいろいろしたんでしょうし・・・」
「・・・私を気遣っている場合か?・・・全く、近衛は大変だな」
やれやれ、と溜息を吐く黎音に祥蘭はぷくりと頬を膨らませ不満を露わにする。
「(わずか2月ほどで、ずいぶん表情豊かになったな)」
幼さは抜けていないが、10年分止まっていた時が動き出したことを考えれば幼さが残るのは仕方ないことか、と黎音は祥蘭を見ながら観察する。
「城の者の何が不満なんだ」
「・・・私は、自分が王としてふさわしくないことを知ってます。
だって難しい勉強とか全然したことなかったし・・・・文字も最近漸く手助けちょっとだけで書いたり読んだり出来るようになったくらいだし。
頼りないし、農民の娘だし、聖獣の力もよくわからないし」
下を向きぶつぶつと呟く祥蘭に、黎音はそれがどうした?小首をかしげるが、うつむく祥蘭は幸か不幸か気付かない。
「ヒトとしても20年かそこらしか生きてない小娘だし!!女だし!!」
バッと顔を上げた祥蘭の目には少しだけ涙が浮かんでいて、黎音はたじろぐ。
「でも、そんなこと私が一番わかってるもの!知ってるわよそんなこと!誰よりも!私が!」
悔しい悲しいという気持ちを吐き出す祥蘭に、黎音は静かに祥蘭がため込んだものを吐き出すのを待つ。
「私は、私が一番無能なことを知っているわよ!だから、それは別にどうでもいいの!!
でも一番苦しいのは、陽達近衛のみんなや、紫白達が文句を言われることなの。
彼らは、私の助けをしてくれているのに!」
「そうか。どうしたいんだ」
「もっと勉強する。みんながイジワル言われない様に!」
「・・・・やれるだけやってみればいい」
「ん!!」
祥蘭は黎音に話す事で自分自身の考えを纏めたいのであって、相談をしているわけではない。答えが欲しいわけではないのだ。
それが分かっているから、黎音はいつも聞き役に徹する。
・・・本当は、こんな罪人ではなく城の者に言えばいいと思う気持ちに重石をして。