2.秘密の恋人
バイトが終わって帰宅したのは夜8時を回っていた。
「ただいま」
「お帰り。すぐ食べるかい?」
「あぁ、食べる。腹減ったよ」
出迎えてくれたのは祖母だった。
俺が今住んでいるのは築40年以上の戸建て住宅であり、同居しているのは祖父母だ。
手洗いをした後、白飯は自分で茶碗によそる。おかずと味噌汁は祖母が用意して、居間の座卓に並べてくれた。今日のメインはアジフライだ。祖母が作る揚げ物は冷めても美味しい。今頃になってグーっと腹が鳴った。
居間では祖父が茶を飲みながらNHKの歴史ドキュメンタリーを見ていた。
「お疲れ。今日もよう働いたようだな」
「明日から一週間休むからってこき使われた。腕がぱんぱん。あ、いただきます」
苦笑いして俺はアジフライにソースをかける。タルタルソースもいいけど、やっぱりソースだな。
一口食べると、サクっとした歯ざわり、ソースが染みた衣と共にアジの旨味が伝わってくる。すぐにご飯をかきこむ。
「そういえば今日も」
祖母が言いかけたのを目で制する。
「来ているんでしょ。靴があった」
「ははっ、相変わらず仲がいいのう」
「まぁ、学校では話せないからね」
「堂々とすればいいのにねぇ」
「今どきの高校生にはいろいろあるんだよ」
俺が帰ってくる前に祖父母と食卓を囲んでいたであろう人物を思い浮かべる。今頃は部屋で試験勉強しているだろうし、すぐに行かなくてもいいやと結論づけた。
夕飯を終えて風呂に入る。パジャマに着替えて、祖父母におやすみを言って、ようやく2階の部屋に行った。
ドアを開けると、予想通りの光景が広がっていた。
机の上に広がったノートと教科書。文房具は俺のじゃなくて女の子っぽい色合い。壁のハンガーにはダークグレーのブレザーとチェック柄のスカートがきちんとかかっている。
そして、ベッドには枕に顔を埋めた女の子がうつ伏せで寝ている。背中に広がった長い黒髪は癖の無いストレートであり、艶やかに光を反射している。着ているシャツは俺のだな。
サイズが大きいから裾でお尻は隠れているが、すらりとした生足が伸びている。
「遅い」
彼女は突っ伏したまま、くぐもった声で言った。
「いや、腹減ってたし。きっと勉強しているだろうと思って」
「すぐに会いにきて、お帰りのちゅーくらいさせたっていいじゃん」
帰宅してすぐに顔を見せなかったから拗ねているな、とわかった。
俺は荷物を降ろし、ベッドの横に座った。
「悪かったよ。おいで」
俺がそう言うなり、目の止まらぬ速さで飛び起きた彼女はすとんと俺の膝の上に降りてきた。一瞬宙に浮いた長い髪がぱさりと前に垂れかかり、顔の半ばを隠している。憶えのあるシャンプーの香りがした。
「うう……会いたかったよぉ」
「学校じゃ、顔は見れたけど、近づけなかったもんな」
「だって、約束だもん」
「その分、うちではいくらでも甘えていいよ」
「うん。そうする。お帰り、瑞樹」
「ただいま。麗。勉強は」
言い切る前にキス顔が迫ってきた。唇が接するのと同時に両手を回して抱きあう。シャツのボタンはしていないようで、一枚だけの布地に覆われた、ボリュームある胸部が俺の胸板に押し付けられる。
「んっ、んっ、瑞樹ぃ、しゅき」
「俺も好きだ。麗」
「泊まるって言ってきたから。ちゅっ」
「あぁ、いいよ」
少しだけ顔を離した麗は、早くも頬をピンクに染めて俺の顔を覗き込む。
「今夜は寝かせないからね」
「おい。明日も学校だぞ」
「にへへ」
もう一度口づけをした後、麗は俺の胸に顔を埋めた。
「でも、するのは決まりだからね」
「もちろんだ。今日もたっぷり可愛がってやる」
「あん」
俺はシャツを脱がせた麗を抱っこしたまま持ち上げ、ベッドに入って愛し合うのであった。
ここで俺と麗の関係について説明しておく。
記憶にないけど、俺が生まれたのは三重県らしい。父は商社勤務で転勤が多かった。
三重県の後は静岡、横浜と移っていき、新宿にある本社勤務となった。
東京都西部の東関市にある父の実家、つまり今の家に住みだしたのは俺が小学校にあがる直前。
同時期に近所のアパートに引っ越してきた麗と出会った。父を早くに亡くした母子家庭で、当時は今川麗だった。
たまたま近所の同学年だったのは二人きりということもあったが、俺たちは気が合ってすぐに仲良しになれた。登下校のみならず帰宅後も一緒。当時は麗の母親もフルタイムで働いていたので、うちで麗がお世話になることが多かった。よく泊まっていたし、三年まで一緒に風呂に入って、同じ布団で寝た。
俺と麗の関係は小学校卒業までの6年間だが、幼馴染ということになるだろうか。
父に転勤の辞令が下って、北海道へ引っ越しすることになった。
小学生ながら、俺と麗は相思相愛で気持ちを伝えあっていた。
だからこそ、当時の俺は引っ越しを断固拒否した。俺だけ祖父母のもとで暮らすと言い張った。
結婚してからの父は半年以内の出張・単身赴任もよくあった。両親の夫婦仲はいい。しばしば寂しい思いをしていた母からすると、家族一緒にいたい想いは強く、俺だけ我儘を許すわけがなかった。
実を言うと、半年後に麗の母も再婚して隣の国府市に引っ越したので、遠からず離れる運命にはあったのだ。再婚相手は母親の同級生で、小さいながらも会社を経営していた。妻が浮気して逃げられ、数年間男やもめだったらしい。
引っ越した後も、俺と麗の関係は続いていた。中学に入って1年くらい手紙のやり取りをしていた。その後、互いにスマホを買ってもらったことで、連絡頻度が上がった。
ただ、中学生には北海道と東京の距離は遠すぎた。
会えたのは家族で帰省する時、父が東京に出張するのに無理言って付いていった時を含めて、年に3、4回が限度。織姫と彦星よりマシな程度だ。
ただ、思春期の男女としては奇跡的だと思うが、俺たちは別の異性に惹かれることなく続いていた。
転機となったのは、父の海外転勤だった。東南アジアにおける大きな開発プロジェクトの責任者ということで、栄転だそうだ。
そこで俺は満を持して切り出した。祖父母の家に住むと。
さすがに高校生になっていたので交渉の余地はあった。
祖父母に甘えることなく、自分のことは自分ですること。勉強に手を抜くことなく、現役で大学に進むこと。そう話し合った末に了承を得られた。
すでに転校先は決めてあって、編入試験に合格した。麗が通う都立の進学校・東関第一高校だった。
引っ越しして麗に会ったのは高二の7月下旬。ゴールデンウイークに会って以来だった。祖父母の家の前で待っていた麗は俺に抱き着いて離さなかった。事情を知る近所の人には散々冷やかされた。
改めて麗と恋人としての付き合いが始まった。毎日会えるようになってからの麗はこれまでの我慢から解放されたかのごとく積極的であり、俺の方がたじたじとなるほど。
だが、ちゃんと筋は通したい。
北条姓となった麗の両親にも挨拶に行って、交際を認めてもらった。俺の祖父母は昔から麗を孫のように可愛がっていたので、ずいぶんと喜んでくれた。
ファーストキスはとっくに済ませていたが、8月に初めて体を重ねた。それからも、交際は順調だった。
問題となったのは夏休み明けの2学期が始まってからだ。
麗は2年2組で、俺は1組だった。
すでに人間関係ができあがっているし、クラスも違う。ましてや、美少女に成長した麗は学校でも姫扱い。そこに転校早々の俺が彼氏面したら、反感を買うに決まっている。
俺は麗を説得した。学校では恋人であることをしばらく伏せる。3年でクラス替えすれば、ある程度人間関係はリセットされる。その際に幼馴染であること、交際していることを宣言すればいいんじゃないか。
それまでは、ただの同級生として振舞うことにしたのだった。その代わり、学校外では思い切り甘えていいよと言った。それ以来、麗は何度も泊まりに来ていた。
・裏設定として。
瑞樹がバイトに精を出しているのはデート代を稼ぐ他、過去に麗に会いに行くための交通費を親から借りていたこと。
親は帰さなくていいよと笑って言いましたが、律儀な瑞樹はきつい力仕事のバイトをして、少しずつ返しています。




