26. 考え方の方向性について
日々の気付きとこの世の真実を追い求める世界最短最低の物語。
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしています “い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。(あ、誤字脱字も……)
【日くらし 弐 】
26. 考え方の方向性について
「前向きな人」「後ろ向きな人」とよく聞いたりしますが、行動というよりそこに至る考え方の事だと思います。
何か良くない事態、状況に直面した時、それをどう捕らまえて処理するかといういわゆる「気の持ち方(持ちよう)」という話。
例えば出かけようとしたら“足を挫いた”とか“転んだ”とかで外出を断念した時、
「ちょっと痛いけどもしかしたら出先でもっと酷い事故に遇ったかもしれないしな」
というコレ、一見前向きな感じもしますがこの考え方だと全ての悪い出来事はその後の予定・未来の否定になってしまいますから、極端な話一歩も外に出れなくなってしまいます。(まぁ場合によっちゃアリかもしれませんが)
なので、あるべき“前向き”とは
「寝起きで慌てていて体が反応出来なかったな」とか
「浮足立ってて注意力が散漫になっていたな」と因果を冷静に受け止めた上で
「今回は良い教訓になった、今後はちゃんと時間に余裕を持って、いつもの道も気を抜かずに歩こう!ヨシ!」
ではなかろうかと思います。
生まれた時からハンデ戦(容姿とか運とか)な私は良くない出来事など慣れっこ、というか日常ですからこういったシチュエーションとそれに対する処理・判断は独自の物が構築されていたりします。
散々エラそうな事を語っておきながら、私の場合はいつも
「ま、そんな事もあるか」
です。
実際そんな事だらけですから一々反省点と今後の対策なんて考えていたらそれこそ何もできません。(原因だってそんなの分かってるっちゅーの)
結果同じ失敗を繰り返したりもしますが、そうなっても
「あー今日はツイてなかったなぁ」
で終わりです。
私の人生と生活圏においてですが、おそらく起こる出来事や展開の8,9割は取るに足らないどーでも良い事ではなかろうかと思う事があります。
人生にテーマや目的を掲げるのは本当に重要で絶対に必要なものなのか?
立てても目先の目当て程度でそこそこに生きて行ければそれもまたヨシではなかろうか?と
かなり偏った反社会的思想かもしれませんが、「ヤニねこ」を観ていてちょっと確信めいたものを感じておりますよ。
ではまた(斜め後ろ向きって感じ?)
「いやそれは違う(ダメ)だろ?」と思ったアナタはまだ大丈夫です。
成長とは疑問を抱くところから始まるのですよ!
因みに投げかけに対する答えは
「ですよね、だと思ったー」
です。




