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第8話 二十七人を載せた橋の最短解

ルーデン渓谷の底から、冷たい風が吹き上げていた。


対岸へ渡る長い吊り橋の前で、避難民の列が止まっている。三台の荷馬車が鼻先を寄せ、その後ろでは人々が「先に通せ」と押し合っていた。


橋の入り口を封鎖しているのは、白い法衣を纏ったアデルと十数名の騎士だ。


「通せ! 街には戻れないんだ!」


「橋に災厄が満ちています。安全を確認するまで下がりなさい!」


アデルの声でも、群衆の焦りは止まらない。


橋番らしい老人が、鎖を固定する石台へ耳を当てていた。顔色は悪い。それでも人と馬車が一度に押し寄せ、点検へ入れないらしい。


俺の視界には、彼らに見えない黒い経路が走っていた。


【発生まで七分】

【災害種別:東橋・主鎖破断】

【想定死者:二十七名】


右側の主鎖を留めている鉄の固定具から、橋の中央へ太い線が伸びている。三台の馬車が同時に乗ったところで線は切れ、そのまま谷底へ落ちていた。


逃走中の手配犯が、処刑聖女の正面へ出る。


正気とは思えない。


それでも、七分後に落ちる二十七人を見ながら背を向けることはできなかった。


「道を空けろ!」


人垣を抜けて封鎖線へ出た瞬間、騎士が剣を抜いた。


「転移者!」


「捕まえるのは後だ。橋番、答えろ! この橋へ同時に載せていい馬車は何台だ!」


老人が目を見開いた。だが、アデルが片手で騎士を制する。


「答えなさい」


「一台です。古くはありますが、一台ずつなら耐えるよう造られている。けれど右の主鎖から、今朝から嫌な音がして……」


「馬車三台が一緒に乗れば?」


「持ちません」


群衆の声が止まった。


俺は橋と荷馬車を見比べる。


一台目には石臼と工具箱。二台目には樽と家具。三台目には歩けない怪我人が五人乗せられている。重い物と人間が、順番もなく積み上がっていた。


「まず歩ける者を降ろせ。十人ずつ、前の組が橋の半分を越えてから次を出す」


「家財はどうするんだ!」


「石臼、金属工具、水樽だけ路肩へ下ろせ! 布と食料は残していい。橋を渡った後、軽い荷車で取りに戻れ!」


俺は対岸を指差した。


「三台目の怪我人を先に渡す。馬車は一台ずつ。前の馬車が対岸へ着くまで、次は橋へ入れるな」


短い指示を並べる。


アデルは橋番へ視線を向けた。


「この順番なら持ちますか」


老人は右の主鎖へ耳を当て、何度も頷いた。


「少なくとも、三台で押し込むよりは。荷を下ろせば、なおさらです」


アデルが銀槍の石突きで地面を打った。


「封鎖を解きます。騎士は、今の指示どおり人と荷を分けなさい」


「アデル様、転移者の命令に従うのですか」


「橋番の知識と、現場の数字に従うのです。急ぎなさい」


騎士たちが動いた。


歩ける者を十人ずつ並べ、橋へ送り出す。石臼と工具箱は路肩へ下ろされ、空いた場所へ怪我人が横になった。


俺は最初の組と一緒に対岸へ渡り、出口側で人を受け取った。フィンは人数を数え、次の組へ合図を送る。


「十人、渡った! 次を出せ!」


橋は風に揺れたが、荷重が一点へ集まらなければ持ちこたえる。


二台目までが対岸へ着いた。


最後は、怪我人を乗せた馬車だ。


御者が手綱を握り、ゆっくりと橋へ入る。車輪が中央へ近づくにつれ、俺の視界で右の主鎖が黒く染まった。


【破断まで四十秒】


「止まるな! 同じ速さで進め!」


御者の肩が強張る。


橋の出口側。主鎖を石台へ留めている太い鉄栓が、少しずつ外へ抜け始めていた。長年の錆で細くなった留め輪が、荷重へ耐えられず裂けている。


馬車はまだ橋の中央だ。


このままでは間に合わない。


俺は石台へ駆け寄り、抜けかけた鉄栓へ右手を置いた。


【集荷】


金属の悲鳴が止まった。


鉄栓を黒く覆っていた破断の経路が、腕を伝って俺の身体へ流れ込んでくる。


左腕の亀裂が肘へ伸び、視界が揺れた。


【積載率:18%】


「馬車を出せ!」


フィンが御者へ叫ぶ。


馬が最後の板を踏み、怪我人を乗せた荷台が固い地面へ滑り込んだ。


二十七人。全員が対岸にいる。


俺が鉄栓から手を離すと、主鎖が低く軋んだ。原因を直したわけではない。今すぐ起きる破断を引き受けただけだ。


「橋から離れろ!」


人々が退く。


数秒後、留め輪が裂け、右の主鎖が石台から抜けた。無人になった橋は大きく傾き、中央の床板を谷へ落とした。


向こう岸に残ったアデルと騎士たちが、崩れた橋の前で立ち尽くしている。


アデルは俺の左腕を見ていた。


距離があっても、《因果視》には移動した災厄が見えるのだろう。


「まだ、一人も死んでいません!」


橋番の老人の声が、渓谷へ響いた。


アデルの銀槍が、わずかに下がる。


俺は対岸から声を張った。


「俺が災厄を作ったんじゃない。元からあった破断の経路を変えただけだ。あんたの目で確かめろ」


返事はなかった。


だが、アデルは俺ではなく、錆びてちぎれた主鎖へ視線を移した。


橋が落ちた以上、追跡隊はすぐには渡れない。


「行くぞ、フィン」


俺は左腕の熱を押さえ、対岸の山道へ入った。

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