第7話 密告者の父が残した配達地図
東の山へ続く獣道は、手入れのされていない荒れた斜面だった。
木の根を跨ぐたび、全身の筋肉が軋み、息が上がる。左腕は手首から肘へ黒い亀裂が伸び、握力も半分ほどしか戻っていない。
積載率十一パーセント。これに加えて、俺の身体には残り六十九時間ほどで破裂する未配達の災厄が詰め込まれている。
歩き続けて二時間。太陽が完全に昇りきった頃、俺は開けた岩場で立ち止まった。
「ここまでだ」
後ろを歩いていたフィンが、怪訝な顔で足を止めた。
俺は村長から受け取った革袋を開け、水筒と干し肉の半分をフィンの足元へ投げた。
「俺たちの取引は終わった。妹は治療院に入れたし、お前は西区の地下道を案内してくれた。ここから先は一人で行け」
フィンは足元に落ちた食料を見下ろし、顔を上げた。
「は? 何言ってんだ。俺は東の山を越える経路も知ってるんだぜ」
「お前の案内は助かる。だが、俺はあと三日で破裂する歩く爆弾だ。これ以上、足手まといを連れて歩く余裕はない」
冷たく突き放した。
子供を危険に巻き込みたくないという感情がゼロだとは言わない。だが、それ以上に現実的な計算だ。
追跡隊はいずれ俺の足取りを掴む。俺一人なら獣道に隠れて息を潜めることもできるが、子供と一緒では逃走の選択肢が極端に狭まる。
フィンは干し肉を拾おうとはしなかった。
代わりに、自分の粗末な背嚢をあさり、丸められた数枚の羊皮紙を取り出した。
「足手まといかどうか、これを見てから言えよ」
フィンは平らな岩の上に羊皮紙を広げた。
それは、複雑な図形と文字がびっしりと書き込まれた地図だった。街道だけでなく、地下水路、等高線、そして街や村の配置が異様なほど詳細に描かれている。
「俺の親父は、天秤塔の保守工だった」
フィンが地図の一部を指でなぞる。
「教会の連中が使っている正規の地図じゃない。親父が仕事のために足で稼いだ、裏道の記録だ。あんたが探している『断界井』の場所も、教会が封鎖したってこと以外は全部記されてる」
俺は地図に視線を落とした。
読めない。文字の形はこの世界の公用語のようだが、綴りがデタラメだ。
「暗号か」
「親父独自の略語だ。俺以外には読めない。あんた、字もろくに読めないんだろ。この地図がなきゃ、次の断界井へ着く前に確実に死ぬぜ」
十一歳の少年が、明確な交渉材料を切ってきた。
取引を有利に進めるため、自分の価値を最大限に提示している。広場で報奨金のために俺を売った時と同じ、生き汚いほどの合理性だ。
「なぜ俺についてくる」
俺はフィンの目を見た。
「ただ逃げるだけなら、妹のいる街に戻った方がいいはずだ。親父の地図を見せてまで、死にかけの手配犯についてくる理由がない」
フィンは少しの間、視線を逸らした。
やがて、地図の上に引かれた不自然な『赤い線』を指差した。
「……親父は、二年前に天秤塔の事故で死んだ。教会は単なる作業ミスだって言ったけど、俺は信じてない。親父の遺品の中にあったこの地図には、奇妙な記録が残されてたんだ」
赤い線は、いくつかの街を縫うように繋がり、最終的に断界井のあった場所で途切れている。
「過去に教会に処刑された転移者たちが、逃げ回った経路だ。なんでただの保守工だった親父が、そんなものを記録してたのか。教会は何を隠してるのか。俺はそれを知りたい」
親父の死の真相。
それが、この少年が追手から逃げる恐怖を押し殺してまで、俺に同行しようとする理由だった。
俺は小さく息を吐いた。
彼が足手まといであることに変わりはない。だが、地図とナビゲーターが必須であることもまた、否定できない事実だった。
「わかった。お前をナビゲーターとして雇う」
俺は干し肉を拾い上げ、フィンの手へ握らせた。
「ただし、条件がある。俺の指示には絶対に従え。勝手な行動はするな。そして、本当に逃げ切れないと判断した時は、俺を置いてお前一人で逃げろ」
フィンは干し肉を力強く握り込み、口角を上げた。
「悪くない条件だ。よろしく頼むぜ、おっさん」
俺たちは短い休息を終え、再び獣道を登り始めた。
フィンの案内は的確だった。崩れやすい斜面を避け、見晴らしの良い尾根の裏側を通るルートを進む。
やがて、視界が開けた。
切り立った崖の上に出た。眼下には、深く切り込んだルーデン渓谷が広がっている。
渓谷の間に、対岸へと続く長大な木造の吊り橋が架かっていた。
「見ろよ。人がいっぱいいる」
フィンが崖下を指差す。
木橋の手前に、数十台の荷馬車と、歩き疲れたような人々の列ができていた。街から離れていく避難民の集団のようだ。
その列の先頭の馬車が、木橋へ差し掛かった時。
俺の網膜に、黒い伝票が叩きつけられた。
【発生地点:ルーデン渓谷・東橋】
【到着予定時刻:残り十二分】
【災害種別:東橋・主鎖破断】
【想定死者:二十七名】
黒い線が、右の主鎖を留める固定部から、橋の上にいる群衆へと伸びている。
あと十二分で、あの橋は落ちる。二十七人を道連れにして。
「……フィン」
「どうした、おっさん。顔色が悪いぞ」
「急いで斜面を下る。ついてこい」
俺は痛む左腕を庇いながら、渓谷へ続く険しい崖道を駆け下り始めた。




