第35話 犠牲を選ぶ者が、最初に受け取れ
【厄獣化まで:三分四十秒】
中央塔の扉を抜けた途端、アデルが銀槍を引いた。
扉が閉まり、追ってきた監察騎士を外へ遮る。
片方の手枷から切れた鎖が垂れていた。銀槍は放送室の壁へ飾られていたものを取り戻したらしい。
「中央核は地下です。こちらへ」
走り出したアデルを追う。
フィンが保守札を壁の差込口へ押し込み、業務用の昇降機を開けた。
床が落ちるように下降する。
視界が何度も暗転した。
そのたび、アデルの声が名前を呼ぶ。
「直人。私を見て」
「見えてる」
「嘘です。今、目を閉じていました」
フィンが残り時間を読む。
「三分!」
昇降機が最下層へ着いた。
中央核は、塔の直径と同じ大きさの円形空間だった。
壁際に並ぶ数百本の石柱。その一本一本に、人の形をした光が閉じ込められている。
中央には巨大な黒い天秤。
片方の皿から伸びた鎖が、俺の左腕へ繋がって見えた。
天秤の操作台に、セヴェラン・グラウスが立っている。
その横ではネルガが、注入弁へ両手を置いていた。
「止めろ!」
フィンの声に、ネルガが振り返る。
「遅い。転移者が厄獣になれば、反逆者の映像など誰も信じなくなる」
「彼が破裂すれば、首都中心部も消える」
アデルの言葉へ、ネルガは唇を歪めた。
「均衡核に封じればよい。これまでと同じだ」
セヴェランは俺の腕と、操作台の数値を見比べていた。
「百人実験の記録は確認した」
「なら、共同受領を開け」
「小規模実験と全国運用は違う。接続した民が一斉に損傷すれば、治療院も水道も同時に止まる」
以前と同じ、数字の話だった。
ただし、公開討論の時とは違う。
こちらには実測値がある。
「フィン。実験時の一人当たり上限」
「全体容量の一万分の一。体温上昇は平均〇・六度、魔力低下は一日以内」
「中央核の接続可能数は」
「全国の天告鏡へ接続できる。今も回線は増えてる」
俺は操作台へ右手をついた。
黒い線が指先へ集まり、石板に細い亀裂が入る。
【厄獣化まで:二分二十二秒】
「上限は実験時より下げる。受領量を表示する。拒否を最初の選択肢に置け。金を払うな。雇用主や教会が代理で選べないよう、本人の魔力印だけを使う」
フィンが操作盤へ保守札を差し込む。
古い文字列が浮かび上がった。
《共同衡環・保守試験》
「親父の記録通りだ。最初から機能はある」
「やめろ!」
ネルガがフィンへ掴みかかる。
銀槍が二人の間へ差し込まれた。
「動かないでください」
アデルが槍先をネルガの喉元へ向ける。
「私を刺せば大均衡を止める者がいなくなるぞ」
「止めるのは、あなたではありません」
背後の昇降機が再び動き、黒い甲冑の騎士たちが降りてきた。
先頭はガレスだった。
「告示司教ネルガ。証拠隠滅および首都住民への災厄注入容疑で拘束する」
ネルガの両腕を、崖道で助けた騎士が取り押さえる。
残るのは、最初の受領者だ。
操作盤には接続条件が表示されている。
《制度運営者による先行受領を推奨》
俺はセヴェランを見た。
「強制はしない。不参加も選べる」
「なら、なぜ私を見る」
「一人分の安全上限すら受け取らない人間に、百万人へ選べと言う資格はない」
セヴェランの視線が、拒否の文字へ落ちる。
手は動かない。
【厄獣化まで:一分三十秒】
やがて彼は右手の手袋を外した。
「私が受ければ、回路の安全性を証明できるのだな」
「一人分だけだ。それ以上は選べない」
セヴェランが受領板へ手を置く。
《受領・安全上限》
光が走った。
彼の身体が折れ、膝が床を打つ。
呼吸が止まったように見えた。
「息を吐け。吸うのはその後だ」
肩を支え、呼吸を合わせる。
しばらくして、セヴェランの喉から細い息が漏れた。
額には汗が浮かび、操作台を掴む指が震えている。
「これを……一人に、何万倍も積んでいたのか」
返事をする時間はない。
「全国回線、開くぞ!」
フィンが両手で鍵を押した。
天告鏡へ選択画面が送られる。
《受領しない》
《表示量を受領する》
不参加が上。
負担量と予測症状がその下。
国家、教会、魔法施設運営者の回線が先に開く。
最初の光が一つ、操作盤へ届いた。
二つ。十。百。
中央塔の治療師、給水区の管理官、農地結界の技師。
運営者用の回線から、所属と受領量が一件ずつ表示される。
アデルも受領板へ指を置いた。
「教会の側にいた者です。私にも先に受け取る責任があります」
安全上限を超えない細い光が、彼女の手へ入る。
眉が寄ったが、指は離さない。
ガレスは魔法施設の運営者ではない。
それでも一般回線が開くと、自分の意思で受領を選んだ。
周囲の騎士へは命じない。
選んだ者だけが、一人ずつ受領板へ手を置く。
それでも光は止まらなかった。
中央核の天井に、国中から集まる細い光が現れた。
積載率の表示が激しく明滅した。
読み取る前に数字が変わり、黒い亀裂が首から肩へ後退していく。肺へ空気が入った。
受領者の数はさらに増える。
拒否を示す灰色の光もある。誰もそれを消さない。
【積載率:48%】
天秤が水平へ近づく。
壁際の石柱に亀裂が入った。
閉じ込められていた人の形の光が、一つずつ目を開く。
作業着の男。
見たことのない制服の女。
小さな子ども。
光は石柱を抜け、天井へ昇っていく。
何人かがこちらを見た。
声は聞こえない。
ただ、もう一人も鎖には戻らなかった。
最後の均衡核が割れる。
天秤の下に溜まっていた黒い液体が、共同回路へ吸い上げられた。
一つの魂へ流れ込む太い管は閉じ、代わりに無数の細い経路が、選択した受領者の数だけ開いていく。
【積載率:12%】
【共同受領・安全停止】
黒い線が消えた。
俺の身体に残った十二パーセントは、直接《集荷》して魂へ固定された分だ。共同回路では動かせない。
断界井へ配達すれば処理できる。
膝から力が抜けた。
床へ倒れる前に、白い腕が身体を受け止める。
「直人」
アデルの声が近い。
「約束は」
「守った」
息を吐く。
「三人で、戻るぞ」




