↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/36

第36話 もう、誰にも一人で走らせない

大均衡から三日後。


中央塔の地下で、封鎖を解かれた断界井が低く唸っていた。

俺は石造りの縁へ左手を置く。

黒い亀裂はまだ手首から肘まで残っている。


アデルが右隣に立ち、フィンが左から保守盤を確認した。


「受領容量、問題なし」

「無理を感じたら離してください」


二人の声へ頷き、《配達》を選ぶ。


腕に残っていた黒が、細い流れとなって石の内側へ吸い込まれた。

市場の車軸。

毒水。

橋。

鉱山。

逃げる途中で拾い続けた、名前のない事故の残り。


全てが手のひらを抜けていく。


【積載率:0%】


黒い亀裂が消えた。

左の指を一本ずつ曲げる。痺れは残っているが、動く。


手首へアデルの指が触れた。

《因果視》で残りを確かめてから、ようやく肩の力を抜く。


「ゼロです。本当に」

「俺の数字も同じだ」


フィンは保守盤へ終了札を差し込み、断界井の蓋を閉じた。

今度の封印は使わせないためではない。次に必要な時、誰が、どれだけ処理したかを記録するためのものだ。


「終わったな」


フィンが大きく息を吐いた。


「第一王国の分は、だ」


俺が答えると、フィンは顔をしかめる。


「そういう余計なこと、今言うか?」

「直人らしいです」


アデルが微かに笑った。



三週間後。


中央塔の正面広場から、転移者の処刑告示が撤去された。

代わりに掲げられたのは、新しい法令だった。


《転移者即時処刑令を廃止する》

《召喚、監禁、強制受領を禁ずる》

《全ての魔法利用者へ、利用量と負担量を公開する》


第一天秤塔は《共同衡環》へ改修された。

受領は本人の同意がなければ始まらない。不参加を理由に不利益を与えることも、金銭で困窮者を集めることも禁止された。

国家、教会、魔法施設の運営者が先に安全上限内の負担を受ける。


完璧な仕組みではない。

魔法を減らすべきだという街もあれば、負担を分けて維持したいという村もある。

どちらを選ぶかまで、俺が決めることではなかった。


セヴェランとネルガは、中央広場の公開裁判へ送られた。

転移者召喚、記録改竄、強制注入、脅迫。

押収された財産は、犠牲になった転移者の記録保全と、遺された被害者への賠償へ回される。


審理官が犠牲者を「外界受領器七十四体」と読み上げた時だけ、セヴェランが遮った。


「人だ。記録に残る名を、一人ずつ読め」


だが次の問いでは、自分の判断の必要性を主張し、罪状の一部へ異議を唱えた。

ネルガは映像が偽造だと叫び続けている。

それでも原記録は、すでに国内各地の天告鏡へ複製されている。

一つの塔が消して済む状態には戻らない。


中央塔の記録庫では、歴代転移者の名前を戻す作業も始まった。

「北部を焼いた怪物」「疫病を呼んだ女」とだけ残されていた記録へ、処刑前の救助と本名が追記される。

地球側の家族へ届ける方法は、まだない。

それでも、この世界で何をした人間だったかを、教会の都合だけで決めることはできなくなった。


広場の端で、フィンが落ち着きなく門を見ていた。


西区の治療院から来た荷馬車が止まる。

扉が開き、小さな少女が降りた。


「兄ちゃん!」


フィンの妹だった。

顔色はよく、自分の足で石畳を走ってくる。


フィンは一歩だけ前へ出た後、照れたように鼻を擦った。

だが、妹に腹へ飛びつかれると、そのまま両腕で抱き締めた。


「遅えんだよ」

「兄ちゃんが迎えに来なかったんでしょ!」


少女は兄の腕から顔を出し、俺を見た。


「この人が、おっさん?」

「本人の前で言うな!」

「お前が教えたんだろ」


妹は笑い、次にアデルへ丁寧に頭を下げた。

三人で走ってきた旅が、ようやくこの再会へ届いた。


「負けてますね」


アデルが俺の横で囁く。


「妹には勝てないだろ」


治療師が、フィンの妹の退院証明を持って近づいた。

その後ろから、さらに大きな荷馬車が広場へ入ってくる。


見覚えのない車体だった。

だが、部品には覚えがある。


車軸はカルム鉱山の鉄。

幌布には、火災を救った街の染印。

荷台の縁にはルーデン橋の職人の刻印。

御者台の革張りは、東の村から届いたものだ。


マーラが御者台から降り、鍵を投げてよこした。


「あんたが救った連中からだよ。逃げる時に使った荷馬車は、どれも借り物だったからね」


荷台を覗く。

食料箱、寝具、工具、予備の車輪。

それぞれを固定する場所が決められ、重量は左右へ均等に配分されていた。


「誰が積んだ」

「あんたの話を聞いた連中が、喧嘩しながら決めた」


車体の側面には、新しい名前が彫られている。


《空荷便》


空ではない。

荷物は積まれている。

それでも、一人へ全部を載せないための名前だった。


「おっさん、俺の席は後ろな」


妹と再会したばかりのフィンが、当然のように荷台へ背嚢を置いた。


「妹と一緒にいなくていいのか」

「マーラの宿で暮らす。治療院にも通えるし、俺より面倒見がいい」


少女は兄の外套を掴んだまま、俺を見た。


「兄ちゃんを連れていって。今度は、ちゃんと帰して」

「約束する」


フィンが妹の頭を乱暴に撫で、背嚢の紐を締め直した。

俺の知らないところで、二人は離れている間の話も、これからの暮らしも決めていたらしい。


アデルも銀槍を荷台の専用金具へ固定した。

白い法衣は着ていない。動きやすい灰色の外套だけだ。


「お前も来るのか」

「処刑聖女の資格は失いました」

「仕事だから監視する、とは言えないな」


アデルが一歩近づいた。


「義務ではありません」


俺の左手を取る。

黒い亀裂の消えた指へ、自分の指を重ねた。


「あなたの隣で生きたい。これからも、あなたが一人で背負おうとした時に止めたい。同行を許してくれますか」


「許可じゃない。お前が選んだなら、一緒に来てくれ」


アデルの表情がほどける。

触れるだけの口づけを交わすと、荷台からフィンの大きなため息が聞こえた。


「出発前にやるなよ」

「見なければいいだろ」

「荷台の正面で無理言うな」


俺は御者台へ乗った。

手綱を握る左手には、まだ僅かな痺れがある。

右手を添えれば問題ない。


その時、中央塔の伝令が広場へ駆け込んできた。


「久瀬直人殿。隣国から、至急の密書です」


封を切る。

軍事帝国の紋章が押された短い報告だった。


《十歳ほどの転移者を捕縛》

《三十日後、《狩猟祭》にて公開処刑する》


荷台の空気が変わる。


アデルが銀槍の留め具を確かめた。

フィンは地図を広げ、帝国までの街道を指で追う。


俺は《空荷便》の向きを、隣国へ続く東門へ変えた。


「次は、あの子を一人で走らせない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。