第3話 処刑聖女は、俺の数字を否定できない
西区の地下道出口は、廃棄された木箱の裏側に隠れていた。
錆びついた鉄格子を右肩で押し上げ、フィンと共に地上へ這い出る。消毒用の薬草の匂いが鼻を突いた。通りを一つ挟んだ向かい側に、目的の治療院が見える。
背中に固定したフィンの妹は、相変わらず苦しげな熱い息を俺の首筋に吹きかけていた。左腕の痺れは消えず、黒い亀裂が手首まで這い進んでいる。
「着いたぜ。裏口からなら、騎士の目を誤魔化して……」
先導していたフィンが振り返りかけた言葉は、路地の入り口を塞ぐように現れた冷たい輝きによって断ち切られた。
「やはり、ここでしたか」
温度のない声。
白の法衣に身を包んだ処刑聖女、アデル・ヴァレリスがそこに立っていた。
手にした銀槍の穂先が、一切のブレなく俺の喉元に向けられている。背後には数名の重武装の騎士。さらにその後ろで、恰幅の良い男が顔を覗かせていた。市場の警備長を名乗っていた男だ。
「病人を背負った逃亡者の歩幅、地下へ潜った痕跡。ならば最終的な目的地はここ以外にない。簡単な予測です」
アデルの瞳が、俺の左腕の亀裂を一瞥した。
「市場の被害はゼロでした。しかし、あなたの中に災厄が移動した事実は消えない。抵抗は無意味です。ここで処刑します」
フィンが息を呑み、絶望に顔を歪めた。
逃げ道はない。左手はまともに握れず、俺に戦闘能力など皆無だ。
俺は喉元の槍先から目を逸らし、後ろに立つ警備長へ視線を固定した。
「あんたがた教会は、あの市場の事故を俺のせいにしたいらしいな」
「事実です。転移者の周囲では災厄が連鎖する」
「連鎖させたのは俺じゃない。そこの腹の出た警備長だ」
俺の言葉に、警備長デュランが鼻で笑った。
「何を血迷ったかと思えば。聖女様、そのような化け物の妄言に耳を貸す必要は――」
「南通りの交差点だ」
俺はデュランの言葉を遮り、アデルへ向かって告げた。
「本来、あそこは幅六メートルの避難路になるはずだった。だが、俺が現場を見た時、木箱と柵で二メートル幅に制限されていた。なぜだか分かるか?」
アデルの眉が僅かに動いた。
「……警備隊の検問所があったと聞いていますが」
「検問じゃない。集金所だ。あいつらは荷馬車や通行人を無理やり狭い通路へ誘導し、身辺調査料という名目で通行料をせびっていた」
配送センターの出入り口で、悪質な業者が勝手な検問を敷き、ドライバーから小銭を巻き上げて大渋滞を引き起こしていたのと同じ構図だ。
動線が塞がれれば、人も物も滞留する。そこへ上り坂から荷馬車が崩れ落ちてくれば、逃げ場のない大惨事になる。
「だから俺は、空荷のカートを排水溝と石杭に固定して、荷馬車の片輪だけを乗り上げさせた。進路を空き露店側へ変える以外、十八人を逃がす余地がなかった。あの被害を作ったのは転移者じゃない。あいつの小銭稼ぎだ」
「で、でたらめだ! 転移者が罪を逃れるために嘘を!」
デュランが顔を赤くしてわめく。
俺はアデルの目を真っ直ぐに見返した。
「俺の言葉がでたらめか事実かは、数字が証明する。聖女、あの男の右腰にある革袋と、現場に残った備品箱を調べろ」
「革袋、ですか」
「あいつの歩き方は、右に偏っている。剣の重さじゃない。革袋の紐だけが不自然に擦り切れるほど、中身が重い。今日の検問で巻き上げた硬貨が入っているはずだ。それから、柵の裏に置かれていた警備隊印の備品箱。事故で蓋がずれた時、数字を書き込んだ手帳が見えた」
路地に沈黙が落ちた。
アデルは俺の顔と、慌てて腰の革袋を手で隠すデュランを交互に見た。
「……騎士よ。彼の革袋を確認しなさい。現場の片付けに向かった部隊にも、木箱の回収を急がせなさい」
「なっ!? アデル様、転移者の言うことなど――」
「構いません。調べなさい」
アデルの命令は絶対だった。二人の騎士がデュランの両腕を抑え込み、腰から強引に革袋を奪い取る。
中身が石畳の上にぶちまけられた。
大量の銀貨だ。正規の税収であれば、警備長が個人の革袋に隠し持つ理由はない。
さらに数分後、現場から駆けつけてきた騎士が、泥にまみれた手帳をアデルへ差し出した。
「アデル様。潰れた備品箱の中から、これが」
ページをめくったアデルの視線が、凍りついたように止まった。
「……不自然な徴収額の羅列。個人の革袋の銀貨と符合します」
言い逃れのできない物証が、白日の下に晒された。
「離せ! 私は警備長だぞ!」
「民間人を危険に晒し、私腹を肥やした罪。弁明は教会で聞きます。連行しなさい」
アデルが冷酷に言い放つと、騎士たちはデュランから武器を取り上げ、乱暴に引き立てていった。警備長としての権威も信用も、この瞬間に完全に失われた。
再び、静かな路地に俺とフィン、そしてアデルだけが残された。
アデルの銀槍は、未だに俺の喉元にある。
だが、その瞳は俺の黒い亀裂と、連行されるデュランの背を何度も行き来していた。
教義どおりなら、悪いのは転移者だけのはずだ。目の前では人間の欲が事故を大きくし、その転移者が被害を防いだ。少なくともアデルは、その食い違いを見なかったことにはできないらしい。
「……処刑は、一時保留します」
アデルはゆっくりと槍を下ろした。
「あれが真実の裏帳簿か、あなたが仕組んだ罠か。事実確認が終わるまで、私個人の権限で即時処刑を見送ります」
「逃がしてくれるのか」
「いいえ。拘束中にあなたが破裂すれば、治療院の患者を巻き込む。ここでは殺さず、外へ出して災厄の流れを観測します。人のいない場所で追いつけば、その時こそ処刑します」
アデルは治療院の裏口を銀槍で示した。
「その少女は手配対象ではありません。市場事故の被災者として、公費治療を受けさせます。治療師には私の封印証を見せなさい」
言葉とは裏腹に、彼女は道を開けた。証拠の確認を終えるまでは、転移者であっても断罪しない。その一点だけは信用できそうだった。
「行くぞ、フィン」
俺はフィンの背中を押し、治療院の裏口へ駆け込んだ。
窓口の治療師へ妹を引き渡し、アデルの封印証を見せる。治癒魔法の光が少女を包み、苦しげだった呼吸が穏やかになった。
「熱が下がるまで、こちらで預かります。兄であるあなたが戻れない場合も、この子を追い出しはしません」
治療師の言葉を聞き、フィンの肩から力が抜けた。
「約束は果たしたぞ。次は地下道だ」
俺が声をかけると、フィンは眠る妹を一瞥し、力強く頷いた。
「ああ。街の外へ繋がる水路へ案内する」
治療院を出て、再び薄暗い地下道へ足を踏み入れようとした。
その時、俺の視界に再びあの黒い伝票が張り付いた。
【発生地点:城外・東の村】
【災害種別:水源汚染】
【想定死者:六十三名】
【発症まで:三十五分】
六十三人。三十五分。
俺は伝票の数字を見つめ、無意識のうちに奥歯を噛み締めていた。




