第26話 一人を殺せば、百万人が助かる
中継都市の広場を埋めた群衆が、俺と天告鏡を交互に見ていた。
鏡の中で、セヴェランは椅子へ深く腰を下ろしている。
公開対話は、この街だけではない。
フィンが確認した限り、少なくとも周辺五都市の天告鏡へ同時に流れている。
後から救助部分だけを切ることはできても、今この場にいる全員の記憶までは編集できない。
『第一天秤塔が停止した場合、十二時間以内に水道を失う者は四十七万。治療院の補助魔法を失う患者は一万二千。農地結界の停止で、翌年の収穫は三割落ちる』
数字だけを並べれば、俺一人の命は軽い。
『これらを維持するため、五日後にあなた一人を均衡核とする。統治者として、私はその選択を撤回しない』
「選択と言ったな」
俺は鏡を見上げた。
「その数字を、殺される側へ一度でも出したのか」
『混乱を避けるため、機密としている』
「なら、第一の欠陥だ。荷物の中身も限界重量も、運ばせる相手へ知らせていない」
広場がざわめく。
「第二。転移者一人が壊れれば、全災厄が同時に漏れる。代替路も予備の受領先もない。単一障害点だ」
セヴェランの表情は動かなかった。
「第三。怪物化した時の損失を、制度の維持費へ入れていない。過去に滅びた都市を転移者の責任にして、同じ方式を続けている」
『それでも、制度を廃止した場合の死者より少ない』
「第四。次の転移者が来なければ維持できない。誰かを別世界からさらい続ける前提の仕組みを、安定運用とは呼ばない」
セヴェランは即答した。
『欠陥の指摘と、代替案の提示は別だ。あなたは塔を止めた後、水道管一本へ水を送る方法すら持っていない』
痛いところだった。
教会が作った制度は壊れている。
だが、壊れているからといって、今すぐ引き抜けば生活基盤まで崩れる。
広場の人々の視線が、俺へ集まった。
「直人」
アデルが横から小さく呼んだ。
慰める調子ではない。続きを促すような、短い呼びかけだった。
「現時点で、恒久的な代替案はない」
俺は群衆にも聞こえるよう答えた。
「だからといって、欠陥も犠牲者も隠していい理由にはならない。運用できるかは、これから実物で確かめる」
鏡の向こうでセヴェランが初めて背もたれから身体を起こした。
その時、視界に黒い伝票が開いた。
【発生地点:中継都市・第三主水路】
【発生まで:四分】
【災害種別:圧力弁破損・管路破裂】
【想定死者:九名】
黒い経路が広場の地下を走り、南側の商店街へ伸びている。
「セヴェラン。第三主水路の圧力記録を出せ」
『今は制度の話をしている』
「その制度が、四分後に九人を殺す。上流弁が閉じないまま、南の管路が破裂する」
鏡の奥で、セヴェランが横へ視線を動かした。
誰かが差し出した紙を読み、再び俺を見る。
『圧力値は許容範囲内だ。第三水路に異常はない』
「地上の計器はな」
黒い線は、計器より先の地下分岐で濃くなっていた。
俺は広場脇にいた水道職人へ向き直る。
「上流第一弁を半分閉めろ。全部閉じるな、北区へ圧が逃げる。南の排圧口を開けて、地下商店街を地上へ出せ」
職人の男は天告鏡と俺を見比べた。
「第三水路の弁は二人で回す重さだ」
「四人使え。二人は弁、二人は交代。排圧口は錆びてる。槌と油を持っていけ」
「フィンは排圧口側へ行け。口が開いたら職人を柱の陰へ入れろ。点検蓋は二人で外し、通路側へ立てておけ」
アデルが銀槍を掲げた。
「避難誘導は私が行います」
「排圧口だな。わかった!」
広場が動き出した。
俺は地下商店街へ続く階段へ走った。
積載率七十五%の身体は、自分のものではないように重い。それでも、商品を抱えたまま立ち尽くす店主へ声を飛ばす。
「荷は置け! 人を先に上げろ! 南口は使うな、管路の真上だ!」
人の流れを二本の北階段へ分ける。
最後の老人が地上へ上がったところで、床下から低い破裂音がした。
石床が持ち上がる。
亀裂から白い水が噴き出した。
だが、上流弁が半分閉じられ、排圧口が開いていたため、致命的な水塊にはならない。
濁流は無人の南通路を膝の高さで流れ、排水路へ落ちていった。
破裂した石床の破片が、排圧口の職人へ飛ぶ。
だが、二人で立てた鉄の点検蓋が正面から受け止めた。石片が床へ落ち、柱の陰にいた職人たちが顔を上げる。
黒い経路が消えた。
【想定死者:零名】
《集荷》は使っていない。
積載率は七十五パーセントのまま。設備と人の配置だけで、九人を救い切った。
地上へ戻る階段で足がもつれた。
アデルが差し出した腕を、今度は振り払わなかった。
地上へ戻ると、天告鏡はまだ公開対話を映していた。
セヴェランの背後で、職員が慌ただしく紙を運んでいる。
広場には、地下商店街から避難した人々も集まっていた。
水道職人が泥に濡れた圧力弁の破片を鏡の前へ置く。
「計器の針は正常位置で固まっていた」
男は割れた軸を見せた。
「現場の圧力は、許容値の倍だ。転移者の予告がなければ、地下に人を残したまま破裂してた」
フィンは小型水晶を水道職人へ向けた。
破損した弁、止まった計器、避難済みの通路を一続きで記録している。
教会の鏡が後で何を流しても、現場側の原本を残すためだ。
「九人は死ななかった」
俺は荒い息のまま言った。
「許容範囲だと言った管路が破裂した。現行制度が災厄を消していない証拠だ。見えない場所へ送り、数字から外しているだけだ」
セヴェランは数秒黙った。
『予告の正確性は認めよう』
広場のざわめきが大きくなる。
『だが、あなたが行ったのは事故対応だ。四十七万人へ水を送り続ける代替案ではない』
「それも認める」
ここで嘘をつけば、あの男と同じになる。
「だから、塔を止めた時に何が起きるか確認する」
アデルが俺を見た。
フィンも、水に濡れた髪を払いながら目を見開いている。
『止めれば、人が死ぬ』
「十二分だけだ。その間に死なせない運び方を組む」
セヴェランは鏡の向こうで、小さく顎を引いた。
『地方中継塔の停止権限を、十二分間だけ開放する。あなたが自分の言葉の重さを知るには十分だ』
鏡の下に、黒い天秤の印が浮かんだ。
広場からは歓声が上がらなかった。
塔の停止を試されるのは、この街で暮らす人間たちだ。
俺へ向けられる視線には期待だけでなく、はっきりとした恐れが混じっていた。
次の試験で失敗すれば、苦しむのはセヴェランではない。
この街の治療院にいる患者たちだった。
「逃げてもいい」
俺は広場の人々へ言った。
「十二分の停止へ付き合う義務はない。残る人間には、どこで何が止まるか全部知らせる」
数人が広場を離れた。
誰も追わなかった。
残った水道職人たちは制御図を広げ、治療師は患者名簿を持ち寄る。




