表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/30

第16話 子どもに、一人で背負うなと叱られる

翌朝、救護所の床にフィンの毛布だけが残っていた。

荷物も、靴もない。


「あの馬鹿」


俺は寝台から脚を下ろした。

熱は引ききっていない。立ち上がると膝が揺れたが、昨日よりはましだった。


「何をするつもりです」

「探す」

「あなたは歩ける状態ではありません」

「だから、あいつが勝手に出て行った」


枕元に置いていた外套も消えている。父親の地図は一枚だけ残され、第二断界井までの経路に炭で印がつけられていた。

その横に、乱れた字がある。


『北へ行け。追手は俺が南へ引く』


夜明け前、鉱山の見張りが教会の斥候を見たと話していた。フィンは俺の外套を被り、手配犯の代わりに目立つ道へ出たのだ。


「南の搬出路だ」

「なぜわかるのです」

「あいつが使える囮は、足跡じゃない。音だ」


鉱山には、採掘した石を麓へ送る貨車軌道がある。空の鉱車を走らせれば、山道のどこからでも聞こえる。

俺たちは救護所を出た。


南斜面へ回ると、朝霧の向こうから鉄輪の音が続いていた。斥候用の角笛も聞こえる。

軌道脇には、小さな靴跡。フィンは枕木の上を選んで走っている。大人の歩幅を偽装するつもりで、ところどころ二本分を飛ばしていた。

その歩幅は途中から狭くなり、右足だけが枕木の間へ何度も落ちている。無理に走って、脚が疲れてきた跡だ。


「斥候は何人です」

「角笛は二方向。最低三人。南へ二人、フィンの後ろに一人」

「あなたは歩けますか」

「走るよりはましだ」


アデルが俺の右腕を自分の肩へ回そうとする。


「要らない」

「速さが必要です」

「あんたが槍を使えなくなる」

「では、倒れた時だけ支えます」


彼女はそれ以上手を出さず、俺の半歩後ろを進んだ。何度か足がもつれたが、そのたびに背中へ手が添えられ、倒れる前に離れた。


「子どもの考えることじゃない」

「あなたに似たのでしょう」


アデルの言葉に反論しかけ、やめた。


軌道は古い選鉱場で二つに分かれていた。

南へ下る本線では、俺の外套を被せた空の鉱車が、緩い坂を音を立てて走っている。二人の教会斥候がそれを追っていた。

フィン本人は西側の側線にいた。

切替器の根元へしゃがみ込み、錆びついた転轍棒を両手で動かそうとしている。その背後から、別の斥候が近づいていた。


「動くな、子ども」


低い声に、フィンの肩が強張る。

斥候が腕を掴もうとしたところへ、銀槍の穂先が割って入った。


「その手を離しなさい」


アデルが男とフィンの間へ立つ。

男の顔から血の気が引いた。


「ア、アデル様。ですが、その子どもは転移者の協力者です」

「拘束命令は出ていません。北側で待機しなさい」

「しかし――」

「二度言わせないでください」


斥候は手を引き、敬礼して後退した。

もう二人は空の鉱車を追って斜面の下だ。今なら西へ抜けられる。


俺はフィンの前まで歩き、その頭を右手で小突いた。


「勝手な行動はするなと言ったはずだ」

「追手を引き離しただろ」

「捕まってたら終わりだ」

「捕まる前に切替器を戻すつもりだった。錆びてなきゃ間に合った」

「間に合わなかった。結果で話せ」


フィンが唇を曲げた。

だが、俯かなかった。


「おっさんこそ、毎回そうだろ」

「何がだ」

「人には逃げろって怒鳴るくせに、自分だけ残って災厄を持ってく。昨日だって、百四人分を一人で抱えて倒れた」


胸の奥に、言葉が引っかかった。


「俺の能力でしか集荷できない」

「だからって、何も言わずに一人で行く理由にはならないだろ。俺が囮になるのは駄目で、おっさんが一人で死にかけるのはいいのかよ」


フィンは俺の外套を胸へ押しつけた。


「自分だけなら好きにしろ。でも、目の前で勝手に死なれたら、残った俺たちがどうするかくらい考えろ」


子どもに説教されるとは思わなかった。

それも、反論できない内容で。


「言い過ぎです、フィン」


アデルが静かに割って入る。


「ですが、今回はフィンが正しい」

「どっちの味方だ」

アデルは俺から目を逸らさなかった。

フィンは鼻を鳴らし、父親の地図を広げた。


「第二断界井は、この選鉱場の下だ。親父の印じゃ、西の排水坑から入れる」


斥候が戻る前に移動する必要がある。

俺たちは西側の側線を進み、崩れた石垣の裏にある排水坑へ入った。


坑道の奥にあった断界井は、最初の井戸より小さかった。

円筒の上半分は岩盤へ埋まり、表面を覆う教会の護符も湿気で半ば剥がれている。それでも黒い亀裂を近づけると、腕の奥が引かれた。


「今度は私が周囲を見ます」


アデルが銀槍を手に、入り口へ立つ。

フィンは俺の右袖を掴んだ。


「倒れる前に言えよ」

「わかった」

「本当か?」

「一度で聞け」


左手を井戸へ押し当てた。


【配達可能】


黒い亀裂の縁から、溜め込んだ熱が井戸へ流れ出す。

痛みが薄れ、呼吸が深くなる。前の井戸で感じた危険な高揚が頭の奥へ浮かびかけたが、右袖を引くフィンの手が現実へ戻した。

石の円筒の内側から、遠い水音が返ってくる。災厄が消えているのか、どこかへ運ばれているのかはわからない。

アデルは俺ではなく井戸を見ていた。


「直人から減った濁りが、設備の奥へ沈んでいます。地面へ漏れてはいません」

「なら、配達先としては正しい」

「なぜ教会が封鎖したのでしょう」


答えはない。

護符の半分は剥がれているのに、井戸はまだ使えた。壊れて封じたのではなく、使わせないために塞いだように見える。


「そこまでだ、おっさん。顔つきが変だ」


腕を離す。


【積載率:25%】

【未配達分:配達完了】

【内部破裂予告:解除】


亀裂は肘の下まで後退していた。握った左手はまだ痺れているが、指先はわずかに動く。


「次からは、先に上限を決める」


フィンが腕を組んだ。


「誰が決める」

「三人でだ」


言い返そうとして、やめた。


坑道の外から、複数の馬蹄が止まる音が届いた。

続いて、よく通る男の声が響く。


「均衡教会監察司祭マルデルより、処刑聖女アデル・ヴァレリスへ最終命令を伝える!」


アデルの銀槍が、低く構え直された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ