第13話 十二時間だけ、敵ではない
「休戦の条件を明確にしておきましょう」
アデルの声が、パチパチと爆ぜる薪の音に重なる。
「私が許容できないのは、あなたが逃亡を企てること、そして無関係な民を危険に晒すことです。少しでもその兆候があれば、十二時間を待たずに処刑します」
「俺からの条件は一つだ」
俺は左腕の痛みを堪えながら、炎越しの瞳を見据えた。
「俺が目の前の事故を止める時、あんたの教義や規則を理由に邪魔をしないこと。それだけだ」
「あなたが災厄を集め、被害を防ぐ限りにおいては、手出しはしません。私の《因果視》で、常にあなたを観測し続けます」
観測。彼女の行動原理の根幹だ。
「あんたの《因果視》ってのは、具体的に何が見えてるんだ」
「人や土地に蓄積した災厄が、光や濁りとして視認できます。あなたが避難民の死の因果を奪い、自身の左腕へ移動させたことも」
アデルの視線が、俺の袖口から覗く黒い亀裂へ向けられる。
「転移者は災厄を周囲へ撒き散らす。それが教会の定めた絶対の真理です。しかし、あなたが背負っているのは、他者の身に降りかかるはずだった被害の残滓……。あなたの能力は、いったい何なのですか」
「俺に見えるのは、黒い伝票と経路だけだ」
俺は隠すことなく事実を告げた。
「どこで、何分後に、何人が死ぬか。そして被害がどういう順序で拡大していくか。それしかわからない」
アデルの眉が微かに動く。
「では、市場や橋での出来事は……」
「荷物の重さや動線を見て、俺が物の配置と順番を決めただけだ。魔法でも神の奇跡でもない。俺が元の世界で十年以上やり続けてきた、ただの現場仕事だ」
アデルは数秒間、何も答えなかった。
やがて銀槍から手を離し、地面へ落ちていた小石を拾う。重さを確かめるように掌で転がした後、火の脇へ置いた。
「少なくとも、奇跡だと片づけるべきではないようですね」
「……おっさん、うるさいぞ」
毛布にくるまっていたフィンが、目を擦りながら起き上がってきた。
目の前に座る白の法衣を見てビクッと身をすくめるが、すぐに不満げな顔になる。
「なんだよ。手配犯と処刑聖女が仲良く焚き火か?」
「休戦中だと、先ほど決めたはずです」
アデルが淡々と返す。フィンは大きな欠伸をして、俺の隣に座り直した。
「十二時間は敵じゃない。なら、肩書きで呼び合うのは不自然だ」
俺は焚き火に小枝を放り込み、向かいの聖女へ視線を向けた。
「さっきは勝手に名前で呼んだが、これからは直人でいい。あんたのことも、アデルと呼ばせてもらう」
炎越しに、視線がぶつかる。
彼女はすぐには言葉を返さなかった。瞬きを一つし、視線を俺の顔から焚き火の赤へ逸らす。
「……わかりました、直人」
返ってきた声は、これまでの氷のような響きとは違い、ほんの少しだけ輪郭が柔らかくなっていた。
*
翌朝。
遠くの街から朝鐘が鳴り響き、俺の現在地と賞金額が再び世界中に告示された。
通常ならすぐに身を隠さなければならないが、今は隣にアデルがいる。教会の聖女が同行している限り、地方の自警団や賞金稼ぎが手出しをしてくることはない。休戦の最大の恩恵だった。
休戦の残りは五時間。
アデルはベルクを移送する騎士たちへ、橋の復旧と物資配給を任せた。自分は監視責任者として俺に同行すると告げ、野営地の空荷馬車を一台借り受ける。
俺たちは、その荷馬車へ乗り込んだ。
目的地は、東の山脈を越えた先にある『カルム鉱山』。フィンが持つ父親の地図によれば、そのさらに奥に次の断界井が存在する。
荷台の木箱に寄りかかり、俺は浅く息を吐いた。
積載率十二パーセント。左腕の亀裂は手首の周囲まで後退したが、痺れと微熱は残っている。
向かい側に座るアデルは、俺の左腕から視線を外さない。彼女の《因果視》が、俺から災厄が漏れ出していないか監視を続けているのだ。
「痛むのですか」
静かな問いかけ。
「痛くないと言えば嘘になる。だが、まだ動ける」
「その蓄積量が増えれば、あなたの肉体がどうなるか予測できません。無理をすれば、休戦の終了前にあなたが壊れます」
警告なのか、心配なのか。感情の読めない声のまま、アデルは外の景色へ目を向けた。
荷馬車が険しい山道を抜け、前方に巨大な採掘都市が見えてきた。
山の斜面に無数の坑道口が開き、鉄のレールの上をトロッコが行き交っている。魔法インフラの動力源となる魔力石を採掘する、カルム鉱山だ。
その黒い山肌を眺めていた俺の網膜に、不吉な影が張り付いた。
【発生地点:カルム鉱山・第三坑道】
【発生まで:十五分】
【災害種別:ガス爆発】
【想定死者:百四名】
背中を冷たいものが走った。
百四人。これまでの橋や村の規模とは桁が違う。
「馬車の速度を上げろ!」
俺は御者台へ身を乗り出し、手綱を握る男に向かって叫んだ。
突然の怒声に、アデルとフィンが表情を強張らせる。
「どうしました、直人」
「あと十五分で、あの鉱山が吹き飛ぶ」
俺は痛む左腕を庇いながら、坑道の並ぶ黒い山肌を睨みつけた。




